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モブでいいよ  作者: ふにねこ
第二章 修行
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身の回りに潜む悪意 2

「フェルナン様っ、大丈夫ですか!」


 ぼたぼたと口から血を流しているフェルナンにアリスが駆け寄り、ハンカチを差し出す。

 フェルナンはその手を優しく押し返すと、自分のハンカチを取り出して口の中の物をそこに吐き出した。

 それから紅茶を口に含み、口の中をゆすぐようにしてからカップに戻した。


「外は異常ない。……アリス嬢?」


 フェルナンの傍らで真っ青な顔で立っているアリスに気が付いたグレイが訝し気に声をかける。


「ど、どうしたらいいの?」


 常日頃から堂々としているアリスが不安に揺れる眼差しをグレイに向けた。

 グレイは、今更ながらにアリスが一般人だという事を思い出した。

 腕っぷしは強くとも、こういったことには慣れていない普通の平民なのだ。

 パニックに陥ってへたに騒がれても困るのでなだめようと思ったが、あいにくグレイは女性の扱い方がわからない。

 同僚ならば遠慮なく頬を打って痛みと衝撃で落ち着かせるのだが、女性相手ではそうもいかない。

 そうなると、見学に来ていた我が子を落ち着かせる同僚の真似をすればいいと思い当たった。


「大丈夫だ。落ち着け」


 そういうとグレイはアリスの頭に手を回したかと思うと、自分の胸に抱え込んだ。

 いきなり抱き寄せられたアリスだったが、逆らうことなく彼の胸に耳をつける。


「目を閉じて耳を澄ませ」


 優しいトーンの声にアリスの意識が集中する。


「私の心臓の音が聞こえるか?」


 鼓動が聞こえてくると、自分の手足が驚きのあまり冷えてしまった事に気が付いた。

 心地い良い温もりと力強い命の音とともに、熱が緩やかに体の中を巡っていく。

 命を刻む音に体の緊張が解けていくのが自分でもわかった。


「大丈夫。聖騎士がいる。彼がいる限り、死なせない」

「そうだよ。これくらいでフェルは死なないから大丈夫。彼を殺すには毒じゃなくて剣の方が確実だよ」


 ちっとも安心できないことを口にしながらオルベルトがアリスに声をかけた。

 目を閉じていたアリスの目がかっという音が聞こえそうな勢いで見開かれたのだが、幸い誰も気づくことはなかった。

 オルベルトの声に、今がどういう状況なのか思い出したのだ。

 グレイ小隊長に抱きしめられている。

 心の中で頭を抱えながら床の上をゴロゴロと転がりながら悶えているのだが、そんなことをおくびにも出さずにグレイから離れる。


(うわぁぁぁぁぁぁぁぁ、私ったらなにやってんのよ~っ!)


 違う意味でテンパっているのだが、鍛え上げられた面の皮からは微塵も感じられない。


 アリスが落ち着いたとみたグレイはゆっくりと手を離す。

 体を起こしたアリスが離れると、ほんの少しだけ物足りなさを感じたがすぐに気持ちを切り替える。


「落ち着いたか?」

「はい。ありがとうございました」


 グレイに抱きしめられたと貴族のお嬢様達に知られたらと思うだけで、頭の中がすっと冷えた。

 久々にときめいた乙女心に蓋をして、今はそれどころではないのだと状況を考える。

 完全に立ち直ったとみたグレイはそれ以上、何も言わない。

 普通のお嬢様なら、もっと心配してくれてもと思うだろうが、これ以上の心配はアリスには煩わしいと感じるだけだ。


「もう大丈夫そうだね、アリス」


 オルベルトに微笑まれ、アリスは大きく頷いた。

 普通のご令嬢ならばうろたえて当たり前の場面である。


「アリス、この件が終わったら同僚にならない?よかったら推薦するよ」


 オルベルトの同僚と言えば聖騎士団、教会の守護である。

 アリスの頬がひきつった。





 フェルナンはオルベルトに自分が吐き出したものを見せる。

 小さな銀色の破片が混じっているのを見てオルベルトは小さく息を吐いた。


「飲み込んだ?」


 オルベルトの質問にフェルナンは首を横に振る。


「そう、よかった。アリス、毒じゃない。仕込まれた金属片で口の中を切っただけだよ」


 オルベルトの視線が捕まえている侍女に向けられる。


「わ、私ではありませんっ!」

「どうかなぁ……」


 蒼白な顔で首を横に振る侍女を面白そうに見るオルベルトにアリスが声をかけた。


「オル様、彼女は犯人ではありません。放してあげてください」

「理由は?」

「オルベルト様の様子に動揺していましたから」


 そういうアリスの顔色は冴えない。


「逃げるのでも観察するのでもなく、動揺していました」

「オルベルト殿、私が代ろう。治癒を先に」


 それでも容疑者を野放しにはできない。

 それがわかっているのでグレイはオルベルトの代わりに侍女の手首をつかんでとらえた。

 侍女はちらちらとつかまれた手とグレイの顔を盗み見ている。

 その口元が微かに震え、頬がうっすらと赤く染まっていた。

 おいおい、と心の中で侍女に突っ込みながら生ぬるく見守っていると、グレイがおもむろに侍女の首に左腕をまわし、あっという間に締め落とした。

 小説やテレビで見る首の後ろを手刀でトンとやるのではなく、柔道の締め技だ。

 そのまま空いた右腕で頭部を掴んで無理やり首を回して昇天させる幻すら見えた。

 あまりの事に声も出せずに驚いている間にグレイは侍女をソファーに横たえる。


(容赦ないよこの人……というか、この扱いは普通なの?)


 文官であるフェルナンが眉を寄せただけで、オルベルトは平然としている。

 むしろ静かになっていいし気を使わなくていいからよくやったといわんばかりの表情だ。

 やはり文官と武官の常識は違うのだろう。

 そしてアリスの常識もまた一般人と少々ずれているという事を本人が一番わかっていなかった。





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