身の回りに潜む悪意 1
ジャックは同僚と魔法道具の製作に没頭すべく護衛を外れ、今はオルベルトとフェルナンがアリスのそばにいた。
フェルナンとオルベルトを教師に、封印の儀式の手順などの説明を受けている。
最初はなぜ儀式の手順までと思ったが、フェルナンはアリスを封印の巡礼につれていくと明言した。
アリスが聖女として動き、その付き人としてホノカが常に一緒に付き添い、儀式の場だけ交代するという運びだ。
「儀式に参加する人数は極力減らす。集中に邪魔だという理由で教会関係者も立ち入らせない」
「それはまた、随分と思いきりましたね。というか、みなさん納得したんですか?」
野心家ならば立ち会ったことを己の功績に加えたがるはずだ。
思わずオルベルトの方を見ながらアリスが尋ねた。
教会関係者への連絡は全てオルベルトを通しているし、彼自身も教会側からある程度の権限をもらっているのだ。
聖女関連に関しては、その権限は教皇の次に匹敵すると聞いている。
「はい。集中を欠いたらお前のせいにすると言われれば、誰も近づこうとは思わないでしょう」
爽やかな笑顔でオルベルトが答えると、アリスはちょっと嫌な予感がした。
「まさかとは思いますが、そのまま伝えてはいないですよね?」
オルベルトは爽やかな笑顔のまま答えない。
何度でも言おう。
爽やかな笑顔のままだ。
アリスはすっと視線をそらした。
これ以上は聞かないほうがいい。
微妙な空気を払しょくするかのようにドアがノックされた。
フェルナンが許可を出すと、グレイ小隊長が入ってきた。
淡い月の光で織り上げたような金の髪を無造作に後ろで一本に結わえているが、彼の美しさは損なわれることはない。
むしろ普段は隠されているうなじに色香さえ感じられる。
美形を見慣れている女好きのフェルナンですら一瞬みとれるくらいだ。
「巡礼に出る警備のリストです」
彼はフェルナンに書類の束を渡した。
小隊長自ら、と思わなくもないが、聖女関連に関しては余計な人を介さないというのが原則としてある。
秘密に関わる人間を減らしているのだ。
「全員、君の小隊かい?」
「隠密行動に慣れているので」
その小隊長からは隠密という言葉が全く想像できない容姿の持ち主だ。
アリスは隠密ってなんだろうと思わずにはいられない。
「私が表に立つことによって部下が目立たなくなる」
「なぜ私の考えていることを?」
グレイはふっと口元だけで笑った。
それすらも絵になる。
「隠密という言葉と私の組み合わせだと、みんな同じことを考えるからだ」
グレイに注目しすぎて他の人を見落としてしまうという事なのだろう。
あるいは敵の思惑をかく乱させる目的もあるのかもしれない。
「葉を隠すには葉の中に。だが葉だけがそこにあるのは不自然だろう。私は木であり花なのだよ」
なるほど、とアリスは頷く。
トップがでんと構えて人々の耳目を集めている間に手下が動く、という点では彼ほど適任な者はいないだろう。
「頭に叩き込むから少し待ってくれ。今、お茶の用意を」
呼び鈴を鳴らしてメイドを呼んでフェルナンが命令する間に、グレイはアリスの方へ移動した。
「聖女様におかれましてはご機嫌麗しく」
恭しく騎士の礼をしてから顔を上げたグレイはふわりと柔らかな笑みを浮かべた。
真正面から見てしまったアリスの頬に熱が集まる。
しかし生来の負けず嫌いであるアリスはここで動揺したら負けだと思った。
一体何と戦っているのかは本人もわかっていない。
「思った通り、よく似合っていますね」
アリスの髪飾りはグレイが贈ったものだ。
「ありがとうございます。使い勝手がとてもいい品ですので重宝しております」
丈夫でつけやすく、みてくれも目の肥えた人たちが文句を言わない程度の普段使いには最高の一品だった。
「気に入ってもらえてなによりだ」
嬉しそうにグレイが答えるのを見ながらフェルナンは心の中で首をかしげる。
女嫌いと評判で男色家ではないかという噂が密やかに流れるくらいグレイ小隊長という青年は普段から女性にそっけない。
こんな風に笑顔で接するのは本当に珍しいのだ。
今、アリスに向けている顔を他のご令嬢や侍女たちが見てしまったら、きっと今日は使い物にならないだろう。
顔面凶器と揶揄されるくらいに整った顔が穏やかにほほ笑むと、美形を見慣れているフェルナンですら見惚れて動きが止まるくらいに衝撃的なのだが、アリスは頬を染めるだけで全く動じない。
彼女がうろたえるほどに動揺する時というのはどういう場面なのだろうか。
なんとなくそんなことを考えていた。
「すまないが、お茶を頼む」
卓上のベルを鳴らして侍女を呼んでお茶の用意を頼む。
幸い、グレイは侍女に背を向けているため、侍女がフリーズすることはなかった。
「本日はクリストファー王子様より聖女様にと、町で評判の焼き菓子でございます」
平べったい丸いビスケットを、円に並べたドミノを倒した状態にして皿に並べている。
綺麗に円になるように重なっているその盛り付けに、どうやって並べていったのかとアリスは感心する。
均等に重なり合って作られた円は日本人の完璧主義の心をくすぐる。
この盛り付けをした人物とは気が合いそうだと秘かに思いながら手を伸ばそうとすると、フェルナンがそれよりも早く皿を自分の方に引き寄せてアリスの手から遠ざけた。
「結構な数だな。グレイ、君も食べていきたまえ」
そういいながらフェルナンは無造作に一枚を手に口に運ぶ。
侍女はグレイの分も紅茶をいれ、テーブルに並べていく。
「うん、美味しい」
フェルナンはもう一枚を口に運んだ。
次の瞬間、彼からくぐもった声が漏れてアリスたちは顔を上げた。
フェルナンの口の端から血が流れている。
「っ!」
声にならない悲鳴を上げてアリスが席を立ちあがった。
グレイはアリスを背にかばうように立つ。
「きゃぁっ!」
上がった悲鳴にそっとグレイの後ろからのぞくと、オルベルトが侍女の腕を背なかの方に捻りあげているところだった。
室内の安全を確保したと判断したグレイはアリスを残してすぐに扉に手をかけて外の様子を見に行った。




