聖女様になろう 1
アリスは深いため息をついた。
窓の外に広がる空、そこを飛んでいく鳥。
「……今日もいい天気」
「そこっ、なにを現実逃避なさっているんですの?」
すかさず飛んでくるクローディアの声に否応なく現実に向き合うことになる。
「さすがに疲れました。お肌が心配です……」
かれこれ十回は違うメイクをしただろうか。
アリス・ドットだと一見しただけではわからないように変装するため、どんなメイクがいいか色々と試しているのだ。
鏡に映る顔はいつもはしない類のメイクだし、黒く染めた髪は違和感しか感じない。
前世は黒髪だったから何も感じないと思っていたのだが、現世の栗色の髪に身も心も馴染んでいるのだと思うと感慨深い。
「安心なさい。決まったら王妃様もお使いの化粧品をいただけることになっています。もちろん美容液もね」
王妃様ご用達、というだけでものすごい高級品でものすごい効きそうな気がする。
アリスだって女性なので心の中でヒャッホーと叫んでいたのは内緒だ。
「やっぱり8番目のメイクが一番アリス姉さんっぽくないくていいですね」
ホノカは目をキラキラさせている。
「妖魔異聞忌憚に出てくる巫女のキャラクターにそっくりですっ!」
タイトルを聞いただけで妖怪やらが出てきてピンチだキャッキャだうふふな展開と想像がつく。
「……ちなみに、どんな立ち位置?」
わかっていても聞かずにはいられない。
「主人公の男の子のアドバイザーみたいな?攻略対象もイケメンが多くて面白かったです」
「だよねー」
声が平たんになるのはしょうがない。
ボーイズラブのゲームに出てくる唯一の女の子らしいがどうでもいい情報だ。
「不思議なメイクですわね。それにしてもホノカは色々な方法を知っているのね」
「コスプレ……ええっと、いろんな人に変装して楽しむ機会が多かったから」
ここでふとアリスは疑問に思う。
ホノカがコスプレをするキャラクターの性別はどっちだろうか。
こんなどうでもいいことをさっきから考えてしまうのは現実から逃避したいからだ。
「メイクが決まったら次は服装ですわね」
クローディアの言葉に現実に戻ってみれば、できる侍女リリィが布の山をせっせと作っていた。
それが終われば服のデザイン、靴、小物と続く。
(うん、今日もいい天気だね……)
再び目が外に向かうアリスだった。
身の回りの品を整える準備が終わったところでようやくアリスは解放された。
クローディアとリリィは商人たちとの打ち合わせでまだまだ忙しそうだが、二人は別室に移動していた。
ホノカはニマニマしながらぐったりとしているアリスを見ている。
「ずいぶんと楽しそうだね」
ちょっと口調が刺々しくなるのはしょうがないが、ホノカもわかっているので気にしない。
「いやぁ、ちょっと懐かしいとか思ったりして。召喚された直後、私も同じことをされましたからねぇ。ああ、メイクはなかったけど」
最後、ちょっとむかっときたけれど、ホノカの顔を見ると何も言えない。
くつろいでいると、フェルがジャック、オルベルト、グレイを連れてやってきた。
警備の打ち合わせだ。
王太子の愛人(仮)となるホノカに、聖女の護衛として表立って任命されているジャックとオルベルトをつけることはできない。
なのでしばらくはグレイの小隊が護衛としてつくことになった。
「ホノカは寝る時以外は訓練所の方で過ごしてもらう予定だから、近衛より小隊のほうが都合がいいだろう」
「ですが、近衛の方がいい顔をしないのでは?」
愛人とはいえ王族の関係者だ。
「厳密にはまだ愛妾候補なわけだから、近衛を使うほうが彼らのプライドを傷つける」
王族直属の兵士が近衛だ。
正式な王族でも国賓でもない者を護衛するわけにはいかない。
「アリスの方はジャックとオルベルトが交代で付き添うことになる。二人とも常時とはいかないから、そのときは小隊長殿が付きそう」
ジャックもオルベルトも本業の仕事があるので四六時中べったりと聖女に張り付くわけにはいかないのだ。
「ホノカの修行が終わり、巡礼に出るまではこの体制で行くよ」
魔王の体が封印されている各教会へ行く時は、ホノカが聖女でアリスは聖女付きの侍女になり、ジャック、オルベルト、そしてグレイ率いる小隊が護衛につく。
「各教会って事は、旅に出るんですか?」
「それは秘密」
アリスの質問にホノカがこっそりと頷いてみせた。
ゲームの知識で、どこに封印されているのかはわかっている。
フェルナンの隠し事が台無しである。
二人が入れ替わる大筋の話と警備の話が終わると緊張していた空気も和やかな物へと変わる。
「アリス」
そろそろ帰ろうかという雰囲気の中、グレイが声をかけた。
「はい、なんでしょうか」
「手を出せ」
絹のハンカチらしき塊を手の上に乗せられた。
何だろうと思ってそれを広げると、髪留めが出てきた。
宝石でも彫刻でもなくリボンをあしらってあるそれは、花の形をしていた。
花からは髪に留めたら肩甲骨あたりに届きそうな長さの細いリボンが二本垂れている。
「これは?」
戸惑いを隠せないアリスにグレイは楽しそうな笑みを浮かべた。
「雑貨屋に立ち寄った時に見つけた。このリボンの先が長いだろう?翻ったリボンが立ち回った時の君にとても映えると思ったら買っていた」
「「「…………」」」
フェル、オルベルト、ジャックの三人は何とも言えない顔でグレイを見た。
『ダンスを』『乗馬を』『いたずらな風』などの動詞ならば活動的な誉め言葉だが、グレイの言う立ち回りはどう考えても荒事だ。
普通の女性ならば怒ってもおかしくはない言葉に三人はおそるおそるアリスの方を窺った。
驚いた顔で髪止めとグレイを交互に見ていたアリスだが、最終的に髪止めに視線を落とした。
そして嬉しそうにほほ笑んだ。
「ありがとうございます」
春の日差しのような柔らかくて心から喜んでいるのがわかる微笑み。
「私、家族以外の人からアクセサリーをもらうの…初めてです」
よほど嬉しいのかうっすらと頬が朱に染まり、蕩けそうな笑みに変わった。
「家族以外って、アリス姉さん、誕生日プレゼントは?」
思わずホノカが突っ込みを入れる。
仲の良い友達ならばアクセサリーの一つくらいはもらったことがあるだろう。
アリスが遠くを見るような目でホノカから視線をそらした。
「…………ない」
友達からもらったプレゼント。
本、菓子、鎖帷子、メリケンサック、手甲、皮手袋(拳闘用)、ブーツ(戦闘用)、靴(安全靴)、ナイフ、ロープ……。
「嬉しい……」
愛おしそうに髪留めに触れる。
「大切に使わせていただきます」
神棚に飾って毎日拝みたいところだが、使われることを望まれているのでそこは我慢だ。
アリスは丁寧に髪留めを包みなおす。
想像以上に喜ばれたこっちが驚くが、今更ながらにアリスが女性だという事を認識する。
「ふぅん。お前でもそういうものをもらうと嬉しいのか」
「やはり女性ですね」
「では成功報酬に宝飾品でも用意しようか?」
最後にからかうようにフェルが言うと、アリスは呆れた眼差しを向けた。
「こういうのはただのプレゼントだからいいんです。報酬なら現金か金のどちらかがいいです」
「現金はわかるけど、なんで金?」
不思議そうにジャックが問うと、アリスはしょうがないなぁという眼差しを向けた。
「金は相場がブレにくい投資品です。宝飾品は流行りすたりがありますからモノによっては買い叩かれやすいんですよ」
「売るのが前提かよっ!」
「失礼な。だがしかぁし、世間知らずなジャック様に教えて差し上げましょう。モテる強かな女性は誕生日には複数の男性に同じモノをおねだりするんですよ」
「なぜだ?」
「一つだけ残して全部売るために決まってるじゃないですか。そして全員に残ったひとつを見せながら貴方にもらったから身に着けているのよ、とささやいて独占欲を刺激しちゃうわけ」
フェルだけがなるほど、と納得し、他の面々は複雑な表情でアリスの手元を見ていた。
「さすがアリス姉さん、勉強になります」
「飲み屋のお姉さんなんかの常套手段よ。いちいち人からもらったものを覚えるのも大変だし、間違えたら大変でしょ」
「アリス嬢、不要な知識を聖女に与えるのは控えたほうが……」
控えめにオルが口を出すと、アリスはにこりとほほ笑んだ。
「いらない物を貢がれるくらいならお金に変えて好きな物を買ったほうがいいという生活の知恵です」
どこがだ、と全員が心の中で突っ込みをいれる。
「貢がれたことのないお前には不要の知識だな」
「そうですね。女性への贈り物をすることがないジャック様にも不要な知識ですものね」
「楽しそうなところをすまないが、そろそろ行く時間だ」
一触即発的な空気がジャックとアリスの間に立ち込めるが、フェルナンがあっさりと割って入る。
ほんのちょっとだけ、彼らは名残惜しそうに部屋を後にした。




