ルート 1
黒曜の団長は部屋に宰相が入ってくるとすぐに声が外に漏れるのを防ぐための魔道具を作動させた。
きちんと作動したことを確認すると、宰相をソファーに座らせて自分はその前にどっかりと座る。
「宰相殿、何とかなりませんかねぇ」
「何とかしているからこれだけですんでいるのだが?」
黒曜団の団長は山賊顔でテーブル越しに宰相に詰め寄った。
「なぁんかそっちのとばっちりがこっちに来ているんですがねぇ?」
「まぁそんな怖い顔をするな。報告は?」
「……敵さんがどこの誰かはわからん」
「使えん報告だな」
仏頂面で答える団長。
「お前んとこより使える人材しかいねぇよ」
団長の言葉に宰相はくすりと笑ってしまった。
「しかたあるまい。まだまだ半人前だ。使えるようにするには経験が必要なのは同じであろう?」
「それをフォローするのが面倒くさいんだよ。王太子殿下が優秀なんだから、二番目なんて放っておけばいいだろうに」
「まだまだ君も若いなぁ……」
嫌そうに顔をしかめる団長を眺めながら宰相はとぼけた顔で笑って見せた。
「いやね、つい最近、神殿の秘蔵っ子とうちの子が口論していたのだが、もう聞いていて恥ずかしくて悶えそうになったよ。いやぁ、若いっていいねぇ」
呆れた眼差しを向けても面の皮が厚い宰相の顔色は変わらない。
「かわいい子には旅をさせるのはかまわんが、スペアにそれだけの価値があるのか?」
歯に衣を着せぬ言い方をしても宰相の笑顔は崩れない。
「それを見極めるのが私の仕事だよ。国に混乱をもたらすようなスペアはいらないからね」
「……おっかねぇな」
「おやおや、黒曜の団長に恐れられるとは、私もなかなか」
「けっ、何言ってやがる」
本当に怖いのは国王陛下だ。
次代の王の補佐として手腕をふるえる存在か否か。
将来の火種になるくらいなら……。
崖っぷちに立っている第二王子が気の毒でしょうがないが、国の安寧を考えるのならば見極めは必要だ。
王族に生まれた者の最大の試練の時でもあり、現在は外交を取り仕切る国王の弟もまた通った道だ。
「さぁ、報告を聞こうか」
宰相の目に冷たい光が宿る。
お遊びはここまでだと団長も背筋を伸ばした。
「結論から言えば、不備はない」
「それが本当ならば我が国の兵士の質はどうかしているな」
「本当にな。聞き取り調査も身辺調査も全部綺麗な物だった」
「…………私は神を信じても神による現実世界への干渉というのは信じぬ主義だ」
「宰相様、すいませんが、もうちょっとわかりやすく言ってもらえませんかね?」
「神の奇跡など信じないといえばわかるかね?」
「まぁ、俺もそれはわかる」
宰相は渋面を作り、団長を見た。
「聖女には影の護衛が常に二人ついている。命に係わる危険があると判断された時以外、彼らが手を出すことはない」
「……まさかとは思いますがね、そいつら聖女様が城を抜け出すところも黙ってみていたわけですか?」
「だったらよかったがな」
ふぅっ、とわざとらしいため息をついた後、宰相は視線を窓の外に向けた。
「見失ったそうだ」
団長の顎が外れんばかりにあっけにとられた。
「一人はネズミに足を取られ、一人は鳩に視界をふさがれたそうだ」
「……ネズミが足を引っかけて鳩が目隠しをしたと?どこのおとぎ話だ」
団長が最後に小さく呟くのを聞きながら宰相は小さく笑った。
「ネズミを踏めば意識は一瞬でも足元に行く。滑空状態の鳩がゆっくりと目の前を横切れば目隠しをされたも同然だな」
偶然だといえばそれまでだが、それによって聖女の姿を見失ったというのなら話は別だ。
「本物、というわけですか」
「貴族の馬鹿どもがそろそろ動き出す。派閥は二つ」
聖女と王子を結婚させて王太子を追い落とす。
王子と自分の娘を結婚させて聖女を利用して王太子を追い落とす。
どちらも第二王子が王太子の地位を得たら第一王子は暗殺というのは決定事項だ。
仮に成功したとしても、今度は派閥内での熾烈な争いが勃発するのは目に見えているし、それにともなう国内の混乱も容易に想像ができる。
「……この状況で、第二王子が失敗したら?」
「それをさせないために我らが動く。君の部隊は城の外にいる敵を。私の役目は城内の敵を一掃すること。これを機に一気に王都を掃除しようというのが陛下のお考えだ」
息子たちの将来と国の将来を安泰にするために。
第二王子が第一王子の敵にまわることはないと貴族たちに知らしめる。
あるいは、第一王子に反目するふりをして不穏分子の取りまとめをすること。
第二王子の気質を考えると、腹黒でなければできない不穏分子のとりまとめは無理だろう。
だとすれば、彼の残された道は万人にもわかりやすい功績を残して第一王子に忠誠を誓って臣下になるしかない。
「思惑通りに行きますかね?」
「行かせるのだよ」
団長は深々とため息をついた。
聖女を狙う輩が活発に動き始めたと同時に、城でも不穏な空気が漂い始めている。
誰がどうつながっているのか。
闇の深さを誰もまだ知らない。
そして団長と宰相は、魔道具が接触不良を起こして時々機能停止していることに最後まで気が付かなかった。
アリスとホノカはかじりかけの煎餅を片手に固まっていた。
だらだらと冷や汗を流しながら真っ青な顔になっている。
二人のいる部屋は改装中の小部屋だった。
おそらく団長つきの人達が詰める部屋なのだろう。
ドアはあるが部屋の中には何もなく、半分だけ綺麗な壁紙が張られている。
床の上にはハケやらペンキ、組み立て中の机などが放置されている。
「……アリス姉さん」
「……何かな?」
人目を気にせずおやつをゆっくりと食べたくて入り込んだ部屋なのだが、とんでもない話を聞いてしまった。
「……私のせいでクリス、身内に殺されたりしない、よね?」
「ホノカちゃんが聖女の務めを果たせば大丈夫」
不安そうにホノカの目が揺れている。
「で、でも、クリスが……」
「客観的に見て、クリス王子は使える人だから最悪な事にはならないよ」
ホノカが絡まなければそこそこ優秀な部類に入る王子、というのがアリスの評価だ。
王位をつがない王族の役割はフットワークと地位が生かせる外交官か監査系が多い。
どちらも誘惑の多い職業なので自制心が試される。
「無駄に正義感を振り回したり、安易な方に流されない限りはいい役職につけるんじゃないのかな」
「正義感?」
「清濁併せ呑むってやつ。必要悪を許せなくてもいいけど見なかったことにできない人は政治に関わっちゃいけないんだよ」
「よくわかんない。悪いことは悪いんじゃないの?」
「ん~、戦争を止められる唯一の人がいるとするじゃない。ところがその前日、人殺しをしてました。この人を逮捕したら戦争が止められません。あなたならどうする?」
「えっ……」
法律的にはアウトな案件だ。
しかしその人を捕まえたら戦争が始まる。
大勢の人が苦しむのがわかっていてその人を捕まえるか、見逃して戦争を止めるか。
「戦争を止めてから逮捕するっ!」
「ブッブー」
アリスは両手の人差し指を交差して×を作って見せた。
「戦争を止めた英雄が実は人殺しでしたなんて事がわかったら、また戦争が始まっちゃうよ。英雄だと思ったのに罪人だったなんて知ったら暴動が起きちゃうよ。戦争をしたい人達にとって見たら絶好の口実になるしね」
「…………政治家、怖い」
人間は狡猾で卑怯な生き物だ。
残念な事に正義は人によって異なるという事をホノカも理解している。
『正しい』を強要すればそこには無用な軋轢を生み、新たな火種を生み出す。
学校の教室という小さな空間で学んだ。
あのたかだか40名という人数でさえそうなのだから、国単位となったらもう想像もつかない。
「ホノカちゃんは聖女で政治家じゃないし、クリス王子の件は城の人たちが決めることだからホノカちゃんには関係ない」
「そ、そうだね……」
アリスのいう事はわかっているが、心情的に納得はいっていないといった顔でホノカが頷いた。




