暗躍 1
「まったく……手間を取らせてくれたものです」
忌々し気に呟いた男がゆっくりと歩き出した。
ピシャッ……。
足元から聞こえた音に眉を顰める。
「汚れてしまうな……」
「申し訳ございません」
「ふふ、仕方ないことだ。君が悪いわけじゃない。強情な彼が悪いんだよ」
せむしの男が深く頭を下げると、優し気に微笑むモノクル(片眼鏡)の中年の男はちらりと椅子に縛り付けられている男を見た。
普通の者ならば目をそむけたくなるようなそれをどこか恍惚とした怪しい光を宿したかと思うと、すぐに酷薄なものへとかわる。
「ここは撤収する」
「これはどうしましょうか?」
「放っておけば、ネズミが食べてくれるだろうよ」
だらりと力なく下げられた指先からはゆっくりと赤い液体が滴り落ちた。
ピチョン、と可愛らしい音をたて、小さな波紋が広がる。
「わかりました。根回しは?」
「必要ない。死んだ時点で隠しようがない。発覚するのが遅いか早いか、だ」
どうでもよさそうな口調にせむしの男は心得たと頷く。
二人の男が部屋を出ていくと、中に残ったのは血だまりの中に椅子に縛り付けられた物言わぬむくろだけ。
真っ白な神官服はどす黒くくすんだ赤い色に染まっていた。
「フェルナン様」
オルベルトの苦々しい顔を見てフェルナンは厄介な事が起きたとすぐに察した。
「前触れもなく君がここへ来るなんて珍しいね」
「至急の用件なので。宰相様は?」
「執務室にいるけれど」
「では、そちらで報告しましょう」
フェルナンは宰相の執務室に入るとすぐに人払いを願い出た。
オルベルトが聖女の護衛だと知っている宰相はすぐに了承し、ついでに声が漏れないよう防音の魔道具まで作動出せる。
「それで、何があった?」
宰相の朗々とした声に促され、オルベルトは要点を口にした。
「召喚の儀に参加していた神官が一人、死体で発見されました。拷問の痕跡があったそうです」
発見当初の様子と死体の様子をオルベルトが話し、二人は黙って聞いていた。
話しが終わると、宰相は深いため息をついた。
「敵に聖女の情報が流れたか。そちらはどう動く?」
「神官を殺害した者の捜索は始まっていますが、おそらく空振りに終わるでしょう」
「他は?」
「怪しい動きがないか、情報を収集中です。聖女に関しては引き続きそちらで保護を」
わざわざこのタイミングで言うということは、城から出すなということだ。
「万全の守りを備えている。問題ない」
「ですが……」
「悪意を持つものはどこにでも存在するが故にやっかいなのだ。悪巧みを口にするものはいても、魔王を信仰していると口にする者はおらぬ」
宰相の目がまっすぐにオルベルトに向けられた。
警備状況を教えるつもりはないという拒絶の姿勢だ。
教会の中にも魔王を信仰する者が潜んでいる可能性はある。
いや、いないと断言するほうが無理だろう。
オルベルトの目が心配そうに揺れた。
「狙われるタイミングがわかっていれば容易い。そういうことだよ、オル」
決められた時間に決められたルートを走る馬車。
少ない護衛。
襲撃者にとっては魅力的な条件。
「それは、聖女を囮にするという事ですよ?」
「だからこその君とジャックだろ」
フェルナンの言葉にオルベルトは不満そうな顔をする。
「ドット嬢には?」
「彼女は知る必要がない。彼女には聖女のご機嫌を取ってもらわねばならないからね。余計な憂いは必要ない」
「そういう言い方は……」
「聖女がやる気になっているのに、水を差す気か?この件を知って聖女をやめると言い出したらどうするつもりだ?代わりはいないのだぞ」
フェルナンの指摘ももっともなのでオルベルトは悔しそうに口を閉ざした。
唯一無二の存在に逃げられては元も子もない。
現に、一度は逃げられているのだ。
アリスのおかげで関係の修復はできたが、次に何かあればホノカの性格上、絶対に逃げ出すだろう。
意外と行動力がある聖女様は侮れない。
「魔王の封印が成功した後でなら、いくらでも咎を受けよう。私は聖女を騙してでも、世界を守りたいんだ」
フェルナンはまっすぐにオルベルトを見た。
魔王の封印を確かにするためならば、ホノカの恋心すら利用するつもりでいたし、もしそうなったとしたらきちんと責任をとるつもりでもあった。
「聖女が傷ついてでも、ですか?」
「そうだ。その責は全てが終わった後に受ける。私はそれだけの覚悟を決めている。君はどうなんだ、オルベルト殿」
「……本気なのですね」
「でなければ、こんな面倒な役目は引き受けない」
「わかりました。教会の方には今まで通りと伝えておきましょう」
フェルナンとオルベルトの間に火花が散った。
「…………若いのう」
二人のやり取りを見ながら、空気となっていた宰相が眩しそうにぼそりとつぶやいた。




