Jの困惑
小動物のようにアリスの周りをうろつく少女が聖女だと知った時の衝撃は今でも忘れない。
無警戒で無防備で無神経で無邪気で……しかもヤバイ趣味を持っていた。
あいつは、ホノカは俺の知る誰よりも何も知らなくて、そのくせアリスと同じくらいに頭がいい。
そして聖女のくせに、俺が魔王だと知っても何一つ変わらなかった。
俺の隣にルークやモールがいれば目を輝かせ、あらぬ妄想に口元をだらしなく緩め、スケベと同じような表情をするのだが、美少女がやると恍惚な表情がヤバい。
男女問わずホノカの表情に釘付けになり、昼のカフェにあるまじき淫らで艶のある空気が充満する。
そんな時、俺は無言でホノカの後頭部を叩く。
「むぅ、何すんのよ~」
口をとがらせ、不満たらたらな顔でこちらを睨みつけるが、俺が鼻で笑うと視線を逸らす。
夢から覚めたように客たちが我に返り、カフェは穏やかな空気に戻った。
「くだらねぇ妄想、してんじゃねぇよ」
自分の影響力を考えろと常々口にしているのだが、こいつはまるでわかっていない。
だからアリスや俺が苦労する。
「くだらなくないもん。至高なる創造だもん」
何を想像、いや、創造するのかは絶対に口にしてはいけない。
口にしたら最後、ドツボにはまるからだ。
禁断の図書館のヤバイ本棚がホノカのせいでまた一つ棚が増えたとこの前、アリスが愚痴っていたな。
いっそ専用の図書室を作るべきかと悩むアリスのためにも真っ当な趣味を見つけてもらいたいが……おそらく一生、こいつの性癖は治らないだろう。
「だいたい聖女のお前がなんでアリスの下で働いているんだ?」
「魔王も勇者も働いているんだから、聖女の一人や二人、増えたってかわんないでしょ」
「変わるだろ。お前は見てくれだけなら最高なんだから」
そうかえすと、ホノカは不思議そうに首をかしげる。
前々から思っていたがこいつの美的感覚はおかしいんじゃないのか?
肉食獣の中に放り込まれたウサギだとなぜわからない?
「最高の女ってくくりなら、アリス姉さんがいるじゃん」
「……否定はしないが、あいつに手を出せる奴なんてそういねぇからいいんだよ」
腕っぷしも頭の回転もいいアリスに並大抵の男は心が折られ、親バカ全開なオヤジに止めを刺されるんだ。
あいつの事を知れば知るほど、身の程をわきまえてしまうのは致しかたない。
アリスを好きになっても、並び立てる自信が砕けてついでに恋心も砕け散る。
だから優男の貴族様がアリスの手を取り、並び立った時には素直に驚いた。
とりあえず、嫁に行けて良かったと感慨深く思い、俺はあいつのオヤジかよと一人突っ込みを入れてしまったくらいだ。
「ジョンはさ、アリス姉さんに失恋した?」
「俺の中であいつは女じゃねぇよ」
「じゃぁなに?」
「仲間で、家族で、絶対に敵わない相手」
小さなころから隣にいた。
孤児院という小さな世界で不満だらけの生活をおくっていた俺を広い世界に連れ出してくれた。
いいところも悪いところもお互い全部知っている。
俺の中では双子の姉というポジションがしっくりくる。
「それならルークは?」
「そこでなぜ期待のこもった目を向ける?」
俺は小さくため息をついた。
アリス曰く、俺の最大の黒歴史。
守ってあげたくなるような可愛らしい女の子。
そいつは自分の容姿を利用して幼女趣味の男から財布をかっぱらって大口で笑うような奴だったがそれはどうでもいい。
勇者の素質を持った男だと気が付いたのはいつだったかは覚えていない。
魔王である俺が認めたから勇者としての素質が芽生えたのか、勇者の素質を持っていて俺を殺せる存在だから気に入ったのか。
こいつには俺の初恋が誰かは絶対に知られてはならない。
「家族で相棒」
そう答えると、ホノカは危ない妄想を始めて口元を緩める……いつもなら。
うっすらと顔を赤くしながら何かを決意したような顔をしていた。
ものすごく嫌な予感がした。
「それじゃあ、私は?」
どこか熱を孕んで期待するような目を俺に向け、抑揚のない口調で質問してきた。
「……っ」
頭の隅で何かが警鐘を鳴らす。
こいつはなんだってこんな時にそんな顔で俺を見上げるんだ?
それなりに女にもてて秋波を送られたこともあれば恋人がいたこともある。
ヤバイ。
何が?
とりあえず、落ち着け、俺。
「お前は……アリスの妹分で、同僚だ」
「ふぅん……」
感情を読み取らせない相槌に俺は困惑するしかない。
なんだよ今の会話。
どうして動揺している?
ものすごく居たたまれない。
「まぁ……いいか」
ぼそりと呟かれた独り言を俺の耳が拾う。
「さぁて、と。お仕事、お仕事」
なぜかご機嫌な様子でホノカはテーブルの上を片付けるべく歩き出す。
今にも鼻歌を歌いそうなくらいにご機嫌な様子で、楽しそうにテーブルの間を泳ぐように移動する。
その姿に釘付けにならないように俺は目をそらす。
俺は魔王だから、敵対関係にある聖女を意識せずにはいられない。
同僚で先輩だから、面倒を見てやらなくてはいけない。
美少女で無防備で無警戒だから、彼女を狙う獣から守ってやる必要がある。
あいつに何かあったらアリスが悲しむから。
俺は面倒見がいいらしい。
あいつが呟いたように、俺も呟く。
「今は、これで……」
気が付けばあいつの姿を目で追いかけている事に気が付き、呆れるしかない。
本当に、人間の感情という物はやっかいだ。
真面目に仕事しよう……。
日常の一コマ。
魔王のジョンとホノカ




