ダンスという名の……
「ゴホン」
後ろで咳払いが聞こえ、振り返るとジャックが立っていた。
「あれ、仮面は?」
「うざい」
一刀両断である。
「アリス、その場で回ってみろ」
いきなり言われたが、フェルが離れてくれたのでアリスはくるりと回って見せた。
「よし」
何がよし、なのかと思っていたら、ジャックはアリスの手を掴んで歩き出した。
「踊るぞ」
「は?」
「借りる」
首だけ肩越しに振り向き、短く告げる。
フェルが慌てて動く前にジャックはさっさとアリスと踊りだしたので、フェルの足が止まる。
ジャックは踊りながらフェルから離れるべく中央へと移動する。
「意外だわ。ジャックってダンス、うまいのね」
踊りながら器用に人を避けていく。
「一応、貴族の家に生まれたからな」
「だけど、ダンスだなんて珍しいわね」
「結婚祝いと嫌がらせを兼ねている」
フン、とジャックは鼻を鳴らした。
「研究に忙しい僕をわざわざこんな時間の無駄でしかない場所に呼び出したんだから、多少の意趣返しは許されてしかるべきだと思わないか?」
「ええっと……」
「夫をほったらかしにしてダンスに興じる妻か。評判がだだ下がりだな」
厭味ったらしいジャックの言い方にアリスは聞き覚えがあって目を見開いた。
「聞いていたの?」
「失敬な。聞こえたんだ」
ジャックが会話が聞こえる位置にいたことに、アリスは全く気付かなかった。
素顔で近くにいればすぐに気が付くぐらいに、ジャックは存在感がある。
「うそ……」
「本当だ。認識阻害の魔法付与をした指輪を作った。さっそく試させてもらったがうまくいったようだ」
「どこが時間の無駄よ。ちゃっかり実験に使っているじゃない。……ていうか、いつもより距離が近いような気がするんだけれど?」
普通のダンスより、互いの距離が近い事にアリスは気が付いた。
「気づくのが遅い。お前の危機管理能力はどうなっているんだ?ああ、この距離でも僕は脅威ではないということか。だがお前の夫は危機感を抱いているようだが?」
くるりとまわると、ジャックの肩越しにフェルがこちらを見ているのが見えた。
笑顔だが、ブリザードを背負っているのがわかる。
ジャックは口元に笑みを浮かべた。
「愉快だな」
嫉妬のこもった視線が心地いいと感じる。
「短い付き合いだったが、あいつは素の表情を出すことはなかった。」
常に笑顔を貼り付けたポーカーフェイス。
女性に囲まれていても、ホノカがわがままを言っても、王子が無茶ぶりしても、彼がその穏やかな笑みを崩すことはなかった。
もちろん会話を円滑に進めるために眉を寄せたりといったあからさまな表情の仮面をつけることはあったが。
仕事はしやすいが、信は寄せにくい。
むしろクリス王子の方がよっぽど信用できる。
「お前が関わるようになってから、あいつは少しずつ変わっていった」
目の見張るような変貌ではなかったから気が付きにくかったけれど、少しずつ、だが確実に。
「よかったな。愛されている」
「そうね。びっくりだけど、私も彼の事を愛しているわ」
ジャックは再び鼻で笑った。
「僕には邪魔な感情だな」
「邪魔なの?」
「恋は人をおかしくさせる。狂わせる。自分で制御できない。魔法以外の事に気を取られるのは癪に障る。時間の無駄だとは思わないが、僕にはなくても困らない」
「そうね。その気持ちはわかるわ」
相手を思うあまり何も手につかなくなってしまう時間を至福ととらえるか、自分の時間を取られたようで腹が立つかは人それぞれだ。
「月並みな表現しかできないが、あのバカと幸せになるんだな」
「そうね。私以外のすべてを捨てるなんて馬鹿な真似、あなたには無理だしね」
「ああ、お前と同じで無理だな」
お互いに目を合わせると、自然と笑みが溢れた。
似た者同士なのでよくわかる。
「そういう人がみつかるといいわね」
「結婚したからと随分と上から目線だな。見つからなくていい。僕は、馬鹿は嫌いだ」
ジャックは曲が終わると同時にアリスから離れた。
「お前の商会の飯はうまいな。贔屓にしてやるから感謝しろ」
そう言ってジャックは颯爽とした足取りで食事にいそしむホノカとクリス王子がいる場所へ向かった。
「随分と楽しそうに踊っていたね」
次の曲が始まると同時に、フェルがアリスの手を取った。
「夫を差し置いて妻と踊るだなんて、ひどいじゃないか」
「ジャックの嫌がらせだもの」
アリスの返答にフェルは小さくため息を漏らす。
「君が私の腕の中にいる奇跡を神に感謝するよ」
「奇跡なんて安っぽいこと、言わないで頂戴。貴方の行動の結果が今に繋がっているだけよ」
フェル自身の力でアリスの気持ちを手に入れた。
そこに神の介在する余地はない。
介在させてたまるものか、とホノカに対しての意地もあるが。
「本当に君は……」
フェルは見る者がうっとりするような笑みを浮かべた。
アリス達の周りで足をもつれさせて転ぶ被害が続出したが、フェルはいつもの事なので気にも留めない。
さすがのアリスもちょっと気になってしまったが、色気全開のフェルがよそ見をすることを許さない。
「……美しさって暴力に通じるものがあったのね」
怖いと思ったが、それでも見入ってしまう美貌。
「……魅了の魔法を使っていると言われたほうが心穏やかに過ごせそうなんだけど」
「あいにくそんなものはない。顔を隠せば害はないし、一番魅了したい愛しい人には効いていないようだしね」
十二分に効いているが、生来の負けず嫌いと胆力の強さで抗っているだけだ。
早く耐性をつけなければとアリスは心に誓う。
ダンスがこのままずっと続けば耐性が付くかもしれないので、このままずっと踊っていたいと自分に言い訳しながらダンスを堪能するのであった。
「ジャック、来ていたの?」
もっしゃもっしゃ食べていた唐揚げを飲み込んだホノカが皿とフォークを持ったまま声をかけた。
「招待されたからな」
「珍しいじゃない」
「安心しろ。今後一切、招待状を受け取ることはない」
フェルとアリスの連名が入った招待状。
ジャックはきっぱりと言い切った。
「まぁ、個人的にお茶を飲みに行ってやってもいいがな」
「うわ、何その上から目線は」
「僕は貴族で向こうは平民だ。間違ってはいない」
「そうだけど」
ホノカが探るようにジャックを見ると、ジャックはうっとうしそうに眉をひそめた。
「聖女様は本当に下衆の勘繰りがお好きなようだ」
「純粋に、失恋した友達を心配しているんだけれど?」
やり返すホノカに呆れたような眼差しを送る。
「あいにくと、失恋とは違うな」
失うほどに恋はしていない。
執着するほど入れ込んでいない。
ただずっと、他の女性には抱いたことのない気持ちが、名前の付けられない気持ちが火種のようにくすぶったまま心の片隅にあるだけ。
「じゃあ、何よ」
「さぁな」
燃え上がることもなく、消えることもなく、燻り続けるそれにつける名前をジャックは知らない。
受け取ったワインをゆっくりと口に流し込んだ。




