面倒な人 1
オルベルトを思い出すときはいつも笑顔だ。
清廉で爽やかな笑顔。
だからこそアリスは彼が苦手だった。
むしろ女の体を下卑た笑みを浮かべながら舐めるようにじろじろと見る下種な男の方がまだ親近感がわく。
そこには人間らしい感情があらわになっているから。
オルベルトから感じるものは得体の知れないナニか。
話が通じるようで通じない、意思の疎通ができているようで出来ていない、そんな違和感。
今もそうだ。
彼が何を考えているのかさっぱりわからない。
「捕らわれのお姫様を救いに来たんだ」
ゆっくりと部屋に入りながらオルベルトはアリスに目を向ける。
どこか面白がるような、それでいてどこか冷めた目。
手足を縛られているアリスはまず攻撃手段を考える。
派手な動きはできない。
せいぜい、床を蹴って壁を蹴ってドロップキックか。
捻りをくわえれば威力倍増だが着地に不安が残る。
脳内シミュレーションをしながらアリスは小さく笑みを浮かべた。
「案外、貴方が裏で糸を引いていたりしない?」
「やだなぁ、君はそんな風に私を見ていたのかい?」
悲し気に眉を寄せるオルベルトを見ながら、適当な推測が当たったかもしれないと少しだけ思った。
「君とは仲良くしたいから、君を怒らせたりはしないよ」
「……私たちを裏切っていたことに対する申し開きなら、聞いてあげてもよくってよ」
「ハハハ、今まさに火あぶりにされそうになっているのにその強気の発言、やっぱり君はいいね」
火はゆっくりと絨毯を食み、アリスに近づいている。
「普通のご令嬢なら、泣いて助けをこう場面だけれど、君には似合わない」
この男に泣いて助けをこいたくはないが、助けて欲しい気持ちはある。
それもかなり切実に。
だからアリスは挑むように微笑んだ。
「私をお茶に誘うのだから、一級品の茶葉の用意はできているんでしょうね?」
話を聞く余地はあるのだと意思表示をしてみると、オルベルトはどこか面白がるように頷いた。
「高慢なお姫様だね」
「いい女を誘うための礼儀でしょ」
「なるほど。その通りだ」
妙なところで感心しながらオルベルトはアリスの前に立つと、素早い動きでお姫様抱っこでアリスを抱えた。
「……普通は、縄を切ってからじゃないの?」
「それだと君に逃げられちゃうじゃないか」
まったく悪気のない笑顔でオルベルトはそう言いきり、図星のアリスは黙る。
「人が来ないうちに逃げないとね」
「……オルって細いくせに力持ちよね」
ある程度鍛えているアリスは筋肉の分だけ重いという自覚があるので、重いでしょうと恥じる気持ちは全くない。
だから自分を楽々抱えるオルベルトを褒める。
「まぁね。身体強化の魔法を使っているから」
「……騎士系は装備が重いからみんな身体強化が使えるって聞いたけど」
「聖騎士団だと必須だよ」
「馬車は用意していないのね」
「わだちが残るからね。追跡されても面倒だし」
外に出たオルベルトは少し離れた場所に待たせておいた白馬にアリスを横向きに乗せる。
「それにほら、女の子は白馬に乗った王子様が迎えに来るのに憧れるものなのだろう?」
「…………前から思っていたのだけど、オルベルトはあこがれの的になりたいの?」
「興味はないな。でも、君が好きかもしれないだろう?」
「まったく興味はないわ。白馬は見栄えは一級だけど、それだけじゃない」
「ハハハ、本当に君は規格外の女性だね」
見栄えよりも実を取る。
無欲で貪欲。
「足の縄だけでも取ってほしいんだけど」
「そこは諦めようか」
オルベルトは笑いながらローブでアリスをくるむと彼女を抱えるように後ろに座る。
「さぁ、遠慮せずに寄り掛かって」
戸惑いながらもアリスは寄り掛かった。
横向きで馬に乗るなんて初体験だ。
へんに虚勢を張って無駄に体力を使うよりは、遠慮なく寄り掛かって体力を温存しておきたい。
「ハハハ、本当に遠慮がないね」
体を預けられたオルはちょっと目をみはったがすぐに笑顔になった。
馬に揺られながら景色に目を凝らす。
少しでも場所の特定をし、逃げる算段をと思うが早々にアリスは逃げることを放棄した。
ここは王都の外だ。
そもそもどれだけ寝ていたのかがわからないが、おなかの減り具合から一日程度と推測する。
王都の外の森というのはわかっても、オルベルトを倒して逃げても遭難するだけ。
よってアリスはオルベルトに大人しく従う事にした。
心地よい風がアリスの頬を撫で、久々の森林浴に心が穏やかになる。
「最近忙しかったから、いい気分転換になったわ」
「この状況でそのセリフが出てくる時点で普通じゃないよ」
「殺されないとわかっているからよ」
少なくとも話が終わるまでは大丈夫だという自信はある。
馬に揺られながら、出会った時と全く変わらないオルベルトの事を考える。
ホノカから聞いていたゲームのオルベルトは教会の腐敗に心を痛めている青年だった。
バッドエンドでは聖女を暗殺されて修行の旅へ出るか、聖女を旗頭に教会のトップを狙う理想に燃える貴公子だ。
(でも、聖女は暗殺されていないしバッドエンドじゃない)
そういえば、と今更ながらに思いつく。
乙女ゲームには色々なエンディングが用意されているが、選択したキャラのその後はわかっても選択外のキャラのその後はわからないことが多い。
ホノカは誰も選ばなかったし、オルベルトはゲームにはない裏切り行為をした。
ゲームと現実との差異について考える。
アリス・ドットというモブですらないキャラのせいだろうか。
たとえこの世界が乙女ゲームになぞったものだとしても、アリスにとっては現実なので意味がない。
オルベルト・カルティオにとってもこの世界はゲームではなく現実なのだ。
彼が何を考えて片眼鏡の男、モールの手を取ったのかはもちろん想像はつく。
一人の力で巨悪に立ち向かうのは愚か者の行為だ。
ほんの少しだけ、苦い痛みを覚えた。
「ルーク、ジョン、アリスが帰ってこないんだっ!」
帰宅時間を過ぎてもアリスが帰ってこない事に業を煮やしたジギルが店に乗り込んできた。
二人は顔を見合わせるとすぐにジギルをはさんで外に出る。
「会長、お客の前で何叫んでんですかっ」
「だって、アリスが帰ってこないんだよっ」
「婚約者の家にお泊りだなんて、アリスもやるじゃん」
「馬鹿ッ、黙れルーク」
ジョンが注意するも時すでに遅し。
おろおろとしていたジギルの空気が一変し、冷え冷えとした空気が支配する。
「今、なんて言った?」
「あああアリスが帰ってこないなんて心配っすねっ!」
さすがにまずいことを言ったと気が付いたのか、ルークが慌てて今更ながらに心配してみせる。
「……探してこいや」
ジギルの元貴族にあるまじき口調にジョンは小さくため息をついた。
娘大好き人間の心配スイッチが入ってしまった以上、逆らうのは得策ではない。
逆らったら八つ当たりをされるのは目に見えて明らかなのでジョンは半ば八つ当たり的にルークの足を蹴った。
「おい、行くぞ」
「どこへ?」
「侯爵家。あいつ、今日は婚約者の家族と顔合わせ……」
「アリスがっ、ウチの可愛いアリスが気に入られたあまり監禁されたらどうしようっ!」
「何をどうしたらその発想にいくんだろうな」
頭を抱えて娘への愛を叫ぶ美貌のおっさんを見ながらジョンは深いため息をついた。
「アリスを監禁って……ありえないだろ」
「ルーク、何か言った?」
「よしジョン!侯爵家へ乗り込むぞーっ!」
このままジギルのそばにいては危険だと本能が察知し、ルークは威勢よく声を上げるとそそくさとジギルを置いて走り出す。
そして店では、四角関係に新たに美貌の紳士が参戦!と一部の客が盛り上がっていた。




