予想外
侯爵家での顔合わせは思っていた以上に歓迎されたことでアリスはほっと胸をなでおろした。
どうせなら仲良くしたいと思っていたら、向こうからぐいぐいこられて逆に困ったくらいだ。
「みんな、君が気に入ったようだ」
帰るための馬車に乗り込む前にフェルがほほ笑みながらそういった。
「それは嬉しいわ」
「本当に、君は得難い女性だよ」
フェルは頬にかすめるようなキスをすると、蕩けるような笑みを浮かべた。
間近で見た美形の甘い笑みにアリスの心臓がバクバクと音を立て、体中の力が抜けていく。
慌てて腹に力を入れてフンッと気合を入れて仁王立ちしなければ倒れていたかもしれない。
「美形の破壊力……恐るべし……」
微笑み一つで相手に膝をつかせるなんて、と背筋が凍りそうになりながらも胸の奥は温かい。
馬車が動き出したことにも気が付かず、脳裏にさきほどのフェルの笑顔を焼き付けるように何度も反芻していた。
ようは浮かれていたのだ。
身も心も。
だから馬車が止まったことに気が付いても警戒はしていなかった。
ドアが勢いよく開いて二人の男が乗り込んできてアリスの口に白い布を当てる。
流れるような動きに無駄はなく、抵抗する間もなかった。
そしてうっかり吸い込んでしまったアリスの鼻にツンとした刺激があった。
(あ、これ鼻どおりが良くなりそうな匂い……)
気を失っている最中に鼻水をたらしたらどうしようと恐ろしく場違いな事を思いながらアリスの意識はブラックアウトした。
目を開けると知らないソファーの裏側が見えた。
縛られて身動きができない。
手足を縛られて床の上に転がされている状態だ。
あえて目の前のソファーではなく床に転がすあたり、意地が悪いと思いつつ、慎重に反対側に転がる。
金持ちのおうちに相応しい暖炉が目に入る。
(商家か貴族か……油断した)
人の気配がないのが不思議だった。
床に耳をつけ、人の気配を探る。
「誰か、いる」
微かにだが床を歩き回る音が聞こえた。
やがて何人かがこちらへ歩いてくる音が聞こえた。
気絶するふりをするか、それとも起きていた方がいいのか。
相手がわからない以上、アリスは起きることにした。
世の中には、寝ている相手を起こすのに蹴りを入れる最低な輩もいるからだ。
泣きそうな顔ってどんな顔だっけと思いながら、不安そうな顔をよくしていたホノカを思い出す。
落ち着かなげに視線をさまよわせ、眉をよせる。
こんな感じだろうかと思っていたら、ドアが勢いよく開いた。
「起きていたか」
つまらなそうな男の声に、起きていてよかったと自分を褒める。
ぞろぞろと男たちが入ってくると、最後に丸々と肥えた中年の女性が入ってきた。
お肌は油ギッシュでテカテカし、一人だけ汗をかいている。
おつきの老婆がかいがいしくその汗をぬぐっているのがなんともシュールな光景だ。
レースをふんだんに使ったドレスは幼女が着れば妖精みたいで可愛らしい。
女性のインパクトに演技すら忘れて驚いていると、女性はフフンと鼻で笑った。
「私の美しさに声も出ないようね」
ものすごくポジティブな女性だった。
おつきの者達は女性からそっと目をそらすあたり、いつもの事なのだろう。
(ああこれ、話を聞かないタイプだ……)
思い込みが激しくて自分に都合のいいように話を聞き無駄に行動力がある困ったちゃんだ。
「お前のような不細工が至高の存在であるあのお方の隣に立とうだなんて不敬だわ」
「あの、お方?」
想像はついたがあえて質問してみた。
アリスの想像通り、女性は目を丸くさせ、鼻の穴を丸くさせながらフンっと鼻息も荒くべらべらとしゃべりだした。
「フェルナン・アストゥル様よ」
「絵面的には彼の隣に立てるのは聖女様くらいだと思うけど、彼は私がいいと言ってくれたわ」
演技で震えて怯えながらもちゃんと言いたいことは言う。
「彼が私を望む限り、彼の望みを叶えるために、私は彼の隣に立つの」
ちゃんと相手を煽ることを忘れないアリスである。
案の定、相手の女性は手に持っていた扇をばきっと二つに割ってアリスに投げつけた。
コントロールが悪いのか、避けるまでもなくそれらはアリスの前に落ちた。
「この生意気な女……どこがいいのかしら」
「私だからいいのだとあの方はおっしゃってくださいましたっ」
「おおおお嬢様っ!」
「おやめくださいっ」
「お手が汚れますっ」
アリスを殴ろうとしたのか、歩き出した女性を三人がかりで押しとどめる。
この女性を押さえつけるのに三人必要なのかと別な意味で感心しながらも観察は怠らない。
妙齢を通り越した中年の女性をお嬢様と呼ぶおつきの面々。
さしずめ、お嬢様とゆかいな仲間達といったところだろうか。
それとは別に、冷めたような呆れたような目をしている男が二人。
(こいつらか……)
アリスをさらった実行犯。
手慣れた手つきに裏社会の人間で、雇われたのだと判断する。
「それでオジョー様、どうすんだよ」
どこか疲れたように男が言った。
「殺しておしまいなさい。予定通り、苦しめてね」
その時だけ女性の動きが止まり、蔑んだ眼差しをアリスによこす。
そして舌なめずりをしながら下品に口角を上げた。
「身の程知らずな女は、処刑されてもしょうがないわよね」
笑いながら去っていく後ろ姿に、何しに来たんだろうかと首をかしげずにはいられない。
残ったのは雇われたと思われる二人。
「悪く思うなよ」
そういいながら男は小さな火を指先にともす。
それを暖炉に放り投げた。
ゴーッとすさまじい音で暖炉の中にあった薪が燃え始める。
あらかじめ、油をしみこませてあったのだろう。
パチッと爆ぜるたびに火の粉が暖炉の外に舞い、絨毯の上に落ちる。
「おい、行くぞ」
「あんたらの顔は覚えたから」
アリスの冷静な声に男たちの足が止まり、いぶかし気にこちらを見る。
挑むような微笑みと意志の強い眼差しに男たちは怯んだ。
ボッ、という音がし、暖炉の前のじゅうたんが燃え上がる。
ゆっくりと火が絨毯を燃やし始めた。
「この場で私を殺さなかったことを、お前たちは後悔する」
「小娘が何を……」
くっ、と喉の奥でアリスは笑った。
小娘というワードが実はちょっと嬉しかったりする。
嫁き遅れに足を突っ込んでいるアリスにとって小娘呼ばわりはむしろご褒美。
「おい、行くぞっ!」
なぜか怯えた目をしたもう一人の男が促し、二人はドアから出ていった。
アリスは火で縄を焼き切ろうと立ち上がる。
幸い、手首を背中側で縛っているだけなので軽いやけどですむだろう。
胴体も一緒に縛られていたらさすがにできなかったが。
「ぎゃあぁぁぁぁ」
「ひいぃぃぃ、助け……」
男たちの悲鳴が聞こえ、アリスは立ち上がったまま動きを止めた。
誰かが階段を駆け上がってくる音が聞こえる。
助けに来たにしては少々早すぎる気もするが、ジョンとルークが来たのかもしれない。
しかしアリスの胸に広がるのは安堵ではなく、不安だった。
リズミカルな軽い足取りが迷うことなくこの部屋に向かっている。
見慣れていた赤銅の髪が真っ先に目に入った。
冒険者風の服装をした青年は金色の瞳で柔らかくアリスを見て爽やかな笑みを浮かべた。
「助けに来ましたよ、アリス」
どう逃げるか考えを巡らせていたアリスだが、彼を見た瞬間、全てが吹っ飛んだ。
「どうしてここにいるの……」
世界を裏切った男、元聖騎士団のオルベルト・カルティオがそこにいた。




