避けて通れない事
「アリス。顔合わせなんだけど、全員で顔合わせと一人で先に顔合わせ、どっちがいい?」
朝食の時間にいきなりそんな話題をふられ、あやうくせき込むところだったアリスはじろりとジギルを睨んだ。
「それ、今話すことなの?」
とても重大な話だと思うのだが。
「先方はどちらでも構わないと」
「お父様はアストゥル侯爵とお知り合いなの?」
「顔見知り程度だよ。向こうは医療関係に強いから、珍しい薬草を頼んだことはあったかな」
「そうなんだ。普通はどっちなの?」
この場合、貴族の普通だ。
「政略結婚だと父親同士が最初に話し合い、次に夫婦と子供達の顔合わせ。恋愛だとお茶会や夜会で紹介して、正式な婚約を結ぶために両家顔合わせの席を設ける。今回は普通の結婚じゃないから、先方もどうしようか考えているんじゃないかな」
考えたあげく、こちらに丸投げという手段に出たようだ。
「フェル君は婿入りだから、こちらが主催したお茶会にあちらのご両親を招くのが筋なんだけど、うちは平民だからね」
格下が主導するわけにいかないが、その格下に長男が婿入りするのだから事情が複雑になる。
「お父様の考えはどうなのですか?」
「ん~。先方もフェル君がどんなところで生活するのか見てみたいと思うんだけど、まだ招くのは早いかな。まずは君が一人であちらと顔合わせをして、それからどこかの夜会で僕らを紹介して、話の流れでうちに招くのが妥当かな」
正直、面倒くさいと思うアリスだが、フェルを婿に迎えるためには必要なプロセスだ。
波風たたせず無難にことを進めるので、多少の回り道は必要だ。
「うちが家族そろって侯爵家に行くって選択肢は?」
「お嬢さんをもらい受けるならなぁ……」
「貴族って面倒くさい……」
「でもアリス、アストゥル侯爵家は特殊な仕事がら、存在自体も特殊なんだよ。そこいらの貴族よりずっと柔軟な考え方で付き合いやすい」
「特殊?」
「婚姻に関して、身分を問わない事が許されているんだ」
「えっ、侯爵家なのに?」
王族の血が混じることが許される身分なのに。
「あの家に婿入り、嫁入りするには死ぬ覚悟が必要だからね。だてに王家の盾と呼ばれてはいないんだよ。何しろ暗殺から王家の方々をお守りする家系だ」
たらりとアリスのこめかみに冷や汗が流れる。
侯爵家から平民になるより、普通に侯爵家へ嫁ぐ方が覚悟がいるという衝撃の事実に言葉も出ない。
「女性ならば多産で頑丈な方が好まれる。男性ならば殺しても死なないようなタイプかな。ティナは強くて頑丈だから、アストゥル侯爵のお嫁さんになってもおかしくなかった。そんな君を伴侶にできて、僕はなんて幸運な男なんだろう」
うっとりと自分の妻に見とれて惚気る父親から目をそらし、アリスは残ったパンを口に詰め込む。
砂を吐く前にここから退出したい。
「私一人で先に会うわ」
「わかったよ。フェル君にはそう言っておこう」
アリスは早々に席を立った。
翌日、アリスはフェルと一緒に馬車に乗り、アストゥル侯爵家に向かっていた。
早い方がいいというジギルとフェルの話し合いの結果だ。
侯爵家でも、早くアリスに会ってみたいという希望があり、すんなりと顔合わせの手配が整ったのである。
(いくらなんでも心の準備が……)
貴族どころか王族にもあった事があるアリスですら、結婚相手の両親という肩書に恐れおののいていた。
「うちは外面がいい家だから、普段はみんな気さくだよ」
「で、でも向こうは侯爵家でうちは平民だし……」
「だいじょうぶ。ひいひいお爺さんは他国の奴隷だったし、海賊の娘が当主の嫁になったこともあるから」
「……それはそれでどんな家系なのか興味があるわ」
フェルはくすりと笑った。
「毒に負けない体質で毒に興味のある人は大歓迎だ」
なんとも物騒な家柄である。
「父も、君には興味があるようだ」
意味ありげにフェルは口角を上げる。
「聖女の身代わりを務め、ドット商会を取り仕切る女傑にね」
「取り仕切っているのは父よ。私はアイデアを出すだけで、それを実行してものにする腕は父と母だわ」
貴族に顔が利く父と平民に顔が利く母。
料理の腕はなかったが、経営という腕はあった。
だからこそ潰れずになんとか料理屋を続けていけたのだろう。
最終的には経営手腕でも料理の味はどうにもならなかったが。
「父は君に嫁いで欲しかったみたいだけれど、私としては婿入りできそうでほっとしている」
「……どうしてか聞いてもいいの?」
「かまわないよ。王宮が苦手だったからさ」
華やかな顔立ちの独身貴族のフェルは常に狙われ、気を抜く暇がなかった。
仲良くしてくれる同僚がある日、狼になって襲い掛かってきたことがあった。
親身になってくれる上司がある日、狼になって以下同文。
すれ違いざまにどこぞの侍女に部屋へ突き飛ばされ、馬乗りになって以下同文。
女性たちに誘われてどこぞの部屋へ入ったとたんに以下同文。
「……フェルってば、変なフェロモンでも出しているんじゃないの?」
「どうかな。君の商会ではそんな目にあったことはないけど」
アリスが恐ろしくてフェルに手出しができないというのもあるが、基本的に他人の物に手を出してはならないという常識がある。
貴族は貴族の中でも身分があるが、平民は平民の中に身分の差はない。
あるのは貧富の差だけだ。
他人の物に、特に金持ちの物に手を出せばどうなるか、平民どうしだからこそ容赦はない。
誰も助けてくれないし、どこぞの路地に遺体となって転がっているかもしれない。
それがわかっているので、店の従業員は、フェルは観賞用だと割り切っているのだ。
「フェルのご家族はどういう感じなの?」
「そうだね……仲はいいよ。研究者の気質が強いかな。だから君の父君とは仲良くやっていけると思う」
「………………………そう」
普段のジギルならば、たいていの人とは仲良くやっていける。
が、ひとたび変なスイッチが入ったジギルは手に負えない。
そんな父と仲良くできると公言できるフェルはある意味、そっち側なのかもしれない。
アリスは複雑な心境に陥った。
(父親に似た男の人を好きになるって、よくある話よね)
あまり嬉しくない結論に達し、ため息をつきたくなった。
「フェルはお父様の事、知っているの?」
「人となりなら。君と一緒に捕らわれた時の容赦のなさは、胸がすく思いだった」
「ソウナンダ」
相手の心を折るためには何でもやるという所業。
(アレに共感するのか……)
灰となった書物の経済的損失は計り知れない。
一財産どころか二つも三つもなりそうなところをあっさりと手放し無に帰すという、それも相手の心を折るためだけにできる思い切りの良さは残念ながらアリスにはない。
迷うことなく優先順位が家族なのだ。
王家に命を捧げる侯爵家とは真逆。
「己の愛した人のためにすべてを捧げることができるということは、素晴らしい事だね」
そう言ってフェルはアリスの頬に触れて微笑む。
侯爵家では決して許されない事。
「嬉しいよ、アリス。早く君の家族になりたい」
ほんの一瞬、背筋に冷たいモノが走る。
しかしそれ以上の熱がアリスの中に生まれた。
「私も、楽しみだわ」
目の前の男を手に入れるための儀礼通過。
婿に来るのだから相手の両親に嫌われても構わないが、どうせなら良好な関係を築きたい。
アリスの闘志に火が付いた。




