波紋
足取りも軽く広間に戻った二人を迎えたのは苦々しい顔をしたクリス王子と複雑な顔をしたホノカだった。
「なぜそんな顔をしていらっしゃるのですか?」
フェルが不思議に思いながらも問いかけると、クリス王子は深々とため息をついた。
ホノカもクリス王子と一緒にため息をつき、二人を見る。
「今更ながらですが、フェルはアイドルだからファンが……」
「何かあったの?ホノカちゃんは無事?」
「少しは私の事も心配しろ。ホノカは私が守るから大丈夫だ」
「言うようになりましたね」
以前よりクリス王子は自分の言葉に責任を持つようになってきた。
そしてホノカは以前より王子に対しての苦手意識や抵抗感はなくなっているような気がする。
このままクリス王子の頑張り次第ではどう転がるかはわからないが、期待してもいいんじゃないかと思えるくらいには距離が近づいたのではないだろうか。
「二人が外に出ていくのを見て、何人かのご令嬢があとをつけようとしていたんです。それを警備兵とクリス王子が止めてくれて」
「ああ、それは大変だったわね」
結婚したい男、堂々の一位にいる男なのだから当然、その動向は注目されている。
そんな男が一人の女性を庭に連れ出せば気になってしかたないだろう。
男性陣はやっと決めてくれたのかとほっと胸をなでおろし、女性陣は嘘でしょやめてちょうだいとなって行動に移す人が出てきてもおかしくはない。
そして現実に行動に移す者が多数出て、それを警備兵たちが押しとどめるという前代未聞の出来事が起こってしまったのだ。
事前にフェルからアリスを庭に連れ出すと聞いていたクリス王子はそのためだけに警備とジャックに頼み込んで庭へ行かせないよう警備態勢を敷いたくらいだ。
「今現在、会場の一番の話題はお前達だ」
思わずアリスはフェルを見上げてしまった。
フェルは涼しい顔でアリスに微笑みかける。
「ではダンスでもしていっそうの盛り上がりを見せつけてやりましょう」
フェルは左手をアリスの腰に回し、アリスの右手をとると歩き出す。
「もちろん私とアリスならば楽勝ですけどね」
「えっ、ちょっと、何と戦うつもりなのよっ」
アリスの抗議をよそにフェルは有無を言わせずエスコートという名の拘束をしてフロアに向かう。
そんな二人を見送りながら、クリス王子は天井を見上げた。
ホノカは慌てふためくアリスを見送りながら、によによとしている。
ほんのちょっとだけ寂しいとは思うけれど、ツンデレなアリスを見られて楽しい。
そしてダンスが始まると、ご令嬢たちの間で失神者が続出した。
「随分と強引じゃない?」
フロアに立って向かい合うとさっそくアリスが文句を言うが、フェルは甘い笑みを浮かべて答えない。
音楽が流れるとフェルはアリスの手を取り、アリスはフェルのリードで踊りだす。
「大舞台で踊るのはこれが最後だから、絶対に君と踊りたかったんだ」
「……そ、そう」
言われてみれば確かに、王家主催のパーティーで踊ることなどもうないだろう。
ホノカと出会わなければ立つことどころか入場すらできなかった場所だ。
「私もあなたと踊れてうれしいわ」
素直な感想を口にすると、フェルはあふれ出す幸福感を噛みしめ、蕩けるような恍惚感に自然に口角が上がる。
単にデレデレとしてやに下がっているのだが、元がいいので愛しさと幸福と甘さにあふれる笑みに見えるので美形は得だ。
ばたばたとそこかしこで美形の幸福全開の笑みにあてられた人たちが倒れるくらいの破壊力があった。
間近で見てしまったアリスでさえ腰砕けになりそうだったが、そこは生来の負けず嫌いが辛うじて勝り、フェルに支えられながらも踊り切った。
「……自分で自分を誉めてあげたいわ」
顔が赤いのは全力で踊り切ったからだと心の中で言い訳をする。
なぜか頬を赤らめているクリス王子と無駄に興奮しているホノカの元にもどるとほっと一息ついた。
「アリス姉さんっ、すごい素敵でしたっ!素敵すぎて鼻血が出るかと思いましたっ!なんかもうR指定ですよっ!」
「……人をわいせつ物扱いするのはやめてくれないかしら?」
「だってなんだかものすご~くエロかったですよ、二人のダンス」
ホノカの率直な感想にアリスが言葉を失った。
アリスは自分の事で精一杯だったため、周りを見回す余裕がなかったので気が付いていなかったが、二人のダンスを見て頬を赤らめている人たちはけっこういたのだ。
清々しく初々しいという言葉からは程遠い、甘く艶がありすぎたダンスは人々の目をくぎ付けにするのには十分な大人のダンスだった。
「目に毒だから、お前たちはもう踊るな」
ひどい言われようだがアリスは大人しく従う事にした。
なぜなら、会場を覆っているのが熱気だけではなかったからだ。
「なにかざわついているようだけれど」
お祝いのパーティーにしては空気がどこか殺伐としてざわついているような気がする。
「お前たちのダンスが刺激すぎたのだろう」
「何それ」
「別にアリス姉さんのせいじゃないですよ。アイドルのお宝映像に感極まって失神しちゃうってのはどの世界でも共通だってことです」
「お宝映像?」
「愛する人だけに向ける美形の笑顔ですよ」
ホノカの言葉にアリスはフェルに目を向ける。
穏やかにほほ笑む姿はいつもの通りだが、踊っている時のフェルの顔を思い出してうっかり頬に朱がさす。
それと同時に悪寒も感じた。
「……ホノカちゃん」
「なんですか?」
「しばらくウチに来ないほうがいいかも」
「なんでですか?せっかくドット商会で働けるようにがんばったのに……」
「いや、なんか……闇討ちされそう?」
「それならなおの事、私がいたほうがいいですよねっ!今ならグレイ小隊ついてきますから、安心安全ですっ!」
おまけ扱いされた小隊の面々は今ごろどこかでくしゃみをしていることだろう。
「返り討ちにするなら簡単なんだけど、ちょっと厄介ね」
アリスのセリフに複雑そうな顔をするクリス王子をよそに、ホノカは不満そうに口をとがらせる。
「アリス姉さんにはいっぱい助けてもらったから、今度は私が助ける番なのにぃ」
今なら聖女として権力の使い放題。
そんな副音声が聞こえた気がしたアリスは深いため息をついた。
「人を使う事しか能のない人間に私が負けるわけないでしょ。大丈夫よ」
何がどう大丈夫なのか問いただしたいがクリス王子はぐっと我慢した。
藪をつついて蛇を出す、という言葉の意味を身をもって体験した彼は大人としての分別を身に付けたのだ。
「フェルは私が守るわ」
何かが違う、と思ったがクリス王子は何も言わない。
嬉しそうなフェルを見たから、だけではないが。
「アリスは男前だな」
今のクリス王子では、そう返すのが精いっぱいだった。
「それぐらい当たり前でしょ。体一つで私のところに来てくれたんだから、私のすべてを使ってでも彼を守って見せるわ」
「私のアリスはカッコいいな」
フェルはニコニコしているが、クリス王子は逆に渋い顔をして引きつった笑みを浮かべている。
「今は侯爵家の威光でおいそれと手は出せないだろうけど、平民とわかったらきっと群れをなして襲ってくるでしょうね」
そう言ってにっと微笑むアリスにクリス王子は戦いの神の祝福でもうけているのかと突っ込みそうになったがぐっとこらえた。
「それはまた随分と頭が悪いね。確かに私は平民になるけれど、侯爵家と縁が切れるわけではないのだけどね」
ふっ、とこぼした笑みが冷ややかで、見ていたクリス王子は背筋に悪寒が走った。
アストゥル侯爵家の絆は家の特殊な事情も相まって非常に強く硬い。
貴族ではなくなるだけで、家族との縁は切ってはいない。
頭の良い人間ならばそこに気が付くだろうが、盲目になっている者達はきっと気が付かないだろう。
これから起きるであろう騒動に、クリス王子は深いため息をこぼす。
そんな彼とは対照的に、憧れのヒーローの活躍に期待して心を躍らせるホノカはキラキラ輝く眼差しをアリスにむけていた。
その様子を離れた場所で見ていたジャックは、人目もはばからずに深い深いため息をついて疲れたように眉間に拳を当てていた。
封印編はここで終わりです。
次からは(非)日常編を楽しんでください。




