魔王、覚醒
(怒らせてみる?)
怒りで我を忘れるというのはよくある話だが。
(……ダメだ。無理)
ジョンの怒りのポイントは身内に何かがあった時で、自分の事で怒ったところを見たことがない。
むっとしたとことは見たことはあるが、我を忘れるほどに怒り狂う姿はない。
(じゃあ、魔王になると身内を殺しちゃうとか?)
ネガティブ思考が加速している今、悲観的になって内にこもってしまいそうなのでこれもダメだ。
(悲しい……も無理だし、嬉しいは意味ないだろうし、哀しいだと引きこもりそうだし、あとは何があったかな……)
少しずつ闇に呑みこまれていくジョンを見守りながらアリスは必死に考えた。
そしてある考えにたどり着く。
「ねぇジョン、どうして私がこの場所にいられるのかわかる?」
問いかけに、ジョンは今初めて気が付きましたみたいな顔をした。
「聖女がジョンの魂を闇から救って欲しいって、アンタの精神世界と私をつなげてくれているの」
現在進行形で。
「ホノカちゃんの手をつなぐことで、私はここに来ることができた」
アリスは笑みを浮かべた。
「話は変わるけど、アンタの初恋の人って私だってみんな思っているようだけど、私はアンタの初恋が誰なのか知っているわよ」
ふふん、とアリスは笑って見せた。
この話をする前にわざわざホノカの名前を出したのはなぜか。
ルークと違ってジョンはホノカの嗜好に気が付いている。
そしてジョンはアリスの期待通りの反応を見せた。
目を見開き、鼻息も荒く真っ青な顔でこちらへ来ようとしている。
心なしかさっきよりもジョンの姿がはっきりと見える。
「あれは一目ぼれよね」
意地の悪い笑みを浮かべるアリスは悪魔のようだ。
ジョンは必死だった。
周りが誤解していることをいいことに、訂正をしたことはない。
ジョンの初恋はアリスではないのだが、害はないのでわざと放置していた。
本当の事は言えないし、言いたくないし、忘れたい。
人生で一番恥ずかしい過去の思い出。
「まぁ、一目ぼれしちゃうのも無理はないわ。私が男だったら惚れちゃうくらいに可愛らしかったからねぇ。お人形みたいで本当に見惚れてしまったわ。お母さんが子供の頃ってあんな感じだったのかしらとも思ったくらいよ」
にまにまと笑うアリスに背筋が凍った。
ジョンは気が付いていた。
ホノカが男同士の恋愛話が大好物だという事を。
今現在、ホノカがこの会話を聞いている可能性があるという事を。
絶対に知られてはならない。
ジョンの頭はどうやったらアリスの口をふさぐことにフル回転を始めた。
この話題からどうやって逃げ出すか、別の話題を振るべきか否か、問答無用で実力行使か。
「ふふ、大丈夫よジョン。どうせ知られたってすぐにみんな魔王に殺されてしまうのよ」
安い挑発だが、ジョンは乗るしかなかった。
自分の初恋が誰なのかを聖女が知ってしまったその瞬間、全てが終わる。
一秒でもあれば彼女は確実に妄想する!
さすがのホノカもたった一秒ではスチル一枚分の想像しかできないだろうが、それさえもジョンには許しがたい事だった。
「ふふ、人が恋に落ちる瞬間を初めて見たから、鮮明に覚えているわ」
アリスの口から不穏なセリフが零れ落ちる。
「あの子が連れてこられた時のジョンの顔……」
ニヤリとアリスが悪役令嬢のような笑みを浮かべた。
「人生最大の弱みよね、コレ」
羞恥心と怒りでジョンはアリスの口をふさごうと手を伸ばす。
アリスは後ろに下がった。
間を詰めるようにジョンは踏み出す。
「みんな誤解しているけど、私だけは知っている」
口をふさぐには手は届かない距離なので、ジョンは蹴りをはなった。
笑いながらアリスは軽やかにそれを避ける。
「それこそ記憶から消したい黒歴史よね」
「やめろっ!」
心からの叫びにアリスは非情にも笑顔で追撃する。
「孤児院に来た子がどんな子か気になって、一緒に窓からこっそり部屋の中をのぞいたのはいい思い出よ」
「やめろっ、やめてくれっ、頼むっ!」
「あの子の泣きはらした顔、ものすごい庇護欲を刺激されたわ」
「アリス、やめろーっ!」
魂の叫びを放つ。
次の瞬間、暗闇が払しょくされて真っ白な空間に戻る。
ついでにアリスも吹っ飛ばされた。
真っ白な空間に顔を真っ赤にさせて佇むジョンの姿が小さくなっていく。
「アリス姉さん」
声をかけられ、アリスは目を開けた。
気遣うような目をしているホノカの顔が目の前にある。
「うわっ、びっくりした……」
美少女のドアップに思わず背筋をそらしてしまう。
「大丈夫ですか?」
「何が?」
「違和感とか?」
「別にないけど」
びっくりしたようにホノカはアリスを見上げていた。
「パスをつなげていた私もけっこう最後はきつかったんですけど……精神的な負荷がけっこうかかったと思ったんですけど……」
「家族より長く一緒にいる存在だからじゃない?」
ジョンが何をどう考えるか、は父や母よりわかる。
伊達に幼馴染はやっていない。
「ジョンの初恋って、アリス姉さんじゃないって本当なんですか?」
「今、ソレを聞くか……」
わかってはいたけれど、答えられない。
「ものすごく気になるんですっ。なんかこう、聞いておいた方がいいと第六感がささやいていますっ」
無駄にするどい第六感である。
「その第六感は、この状況をどう見ているの?」
横たわっているジョンに目を向けると、ホノカもそっちに視線を移した。
「さっきジョンが自分で魂に入り込んだ魔王の力を吹っ飛ばしたから、聖女の力で侵入できないようにコーティングして、力に飲み込まれないようにしました」
「聖女の力って何でもありなのね……」
「今だけです。ジョンが望んだら私の力は弾かれちゃいます」
聖女の力をジョンが受け入れたからこそなのだとアリスは分析した。
「そろそろ、起きますよ」
ホノカの声がやけに大きく響いた気がした。
こちらの様子を窺っていた全員が、今度はジョンに注目する。
視線が刺激になったのか、ジョンの指先が微かに動いた。
はたして目覚めたジョンは魔王になったジョンなのか、魔王ではないジョンなのか。
全員が、固唾をのんで彼の目覚めを見守った。




