本領発揮
目があった。
華やかな笑みを浮かべる男の眼差しの、存外に力強い事に心臓が音を立てて身が竦んだ。
黒歴史でさんざん自分よりも大きな男を相手に戦ってきたはずなのに。
腕っぷしだけでいえば彼はアリスよりも下なのに。
心臓が音をたて、金縛りにあったように体がこわばるのは理不尽だ。
「……恋って恐ろしいわ」
「アリス姉さん、何言ってんですか?」
豊穣の神の神殿に向かう馬車の中でぼそりとアリスが呟いた。
「ここまで正常な判断を狂わされるなんて……想定外」
アリスの座る窓の向こうには、馬に乗って並走するフェルの姿があった。
ニヤリ、と美少女にしては残念な顔になっているホノカ。
「ぶっちゃけ、アリス姉さんはフェルの気持ちに気が付いていますよね。察しのいいフェルがアリス姉さんの気持ちに気が付かないはずもないし」
そう言ってからホノカは不思議そうな顔をする。
「どうして告白しないんですか?」
両想いのはずなのになぜ告白しないのかが謎だ。
「ん~、まず問題は貴族と平民。後戻りができない……」
「随分と後ろ向きですね」
「フェルは侯爵になる人だから、並び立つならドット商会の現場から手を引かなきゃならない」
現場から離れ、経営も人に任せ、仕事は社交界を通じた営業と人脈作りだけになる。
「ああ、そっか。アリス姉さん、現場であれこれが好きですもんね」
書類上で指図ではなく、現場で指図と実戦をするのが好きなのだ。
「侯爵夫人、やれるとは思うけどモチベーションがねぇ……」
好きな人のためにどこまでがんばれるか、が問題だ。
完全にアウェーの世界へ飛び込むのだから苦労するのは目に見えている。
うまくやれることとストレスを抱えることは別問題で、愛する人のために耐え忍ぶにも限度がある。
「そこは問題ないんだ、さすがアリス姉さん……」
社交界や人脈作りは営業と割り切れば笑顔で渡り歩けると豪語するアリスに感心する。
しかしモチベーション、心構えといった部分に問題があるのだとアリスは冷静に口にする。
「子供の恋愛と違って、大人の恋愛は……特に身分が絡むとしがらみやパワーバランスとか余計な事が増えて面倒なのよ」
「ロミオとジュリエットみたいな?」
「あれもねぇ……偉い人とか巻き込んで和解という名の政略結婚に持ち込めば堂々と結婚できたのに、周りの事を考えずに恋愛一直線で視野が狭いと怖いよねって話だし」
「さすがアリス姉さん……シェークスピアにケンカを売るとは」
「悲劇はごめんだわ。特に身分が違う望まれない結婚は悲惨ね。人生は長いのよ。結婚してから後の苦労を考えれば、乙女ゲームの主人公になりたいなんて思わないから」
「夢がない……」
悲し気に美少女は眉をよせた。
「特に女は子を産むからね。夢を見るのは少女時代でおしまい」
「希望もない……」
今のホノカを見たら男たちはむせび泣くであろう。
心が折れる十秒前。
「だいたい、愛があればお金なんてっていうけど、おむつ代もないほど貧乏で愛が続くと思う?子供の学費は?生活費は?老後は?日本だと男は働いてりゃいいけど、女は男の面倒を見て子供の面倒を見てなおかつ金を稼ぐために働くのよ。へたしたら自分と夫の親の面倒をみなきゃいけないのよ」
最悪の現実をアリスは口にする。
想像してしまったホノカの心が折れた。
異を唱えるだけの経験値がホノカにはない。
「愛って枯渇するのよ。まだ愛のない金持ちとの結婚のほうが、いつか歩み寄れるかもしれないって希望がある分幸せだと思うわ」
夫が冷たいという事だけ悩んでいればいい。
だいぶ偏った考え方だが、現実とはいつだって非情なものだ。
「リアルすぎて言葉もないですが、後ろ向きすぎて怖いです」
「元平民、侯爵家なのに平民の血を引いている子供なんて、虐めの対象にしかならないわ」
「それがこの世界のリアルなんですか?」
「悲観的な事を考えているかもしれないけれど、でもおこりうる未来でもある。一番平和的な立場だと愛人かしら。でも、そんなのごめんだわ」
アリスが生き生きとしている姿は、なんといっても商売している時が一番だ。
それをわかっているのでホノカは何も言えなくなる。
それと同時に、大人って面倒な生き物だとも思った。
何も考えずに感情の思うままに生きることができないのはなんて窮屈な世界なのだろうか。
「でも、アリス姉さんなら侯爵家でもうまくやれそうですけど」
「だとしても、私のせいで私の好きな人がとやかく言われるのは許せないわ」
自分の事なら放っておけるけれど、自分の愛する者を悪く言われるのは許せない。
「けどアリス姉さん、変わりましたね」
「何が?」
「前は絶対に恋バナ、しなかったじゃないですか」
「……こういった話をするのはね、ホノカちゃんに釘をさすためでもあるのよ」
にっこりとアリスは笑みを浮かべた。
「余計な事をして引っ掻き回されたら困るから」
心なしか馬車の中の気温が下がった気がする。
二人の距離を近づけさせるための計画をあれこれ考えていたこともあり、気まずそうにアリスから視線をそらした。
フェルとアリスが恋に落ちて結婚すればいいとだけ考えていた自分がいかに子供なのかを思い知らされた瞬間でもあった。
馬車がとまり、豊穣の神を祀る教会に到着する。
ドアが開いて降りるのに手を貸すのがクリス王子だったことにほっとした。
先にホノカがおり、そしてアリスが続く。
「お手をどうぞ」
声がかかり、見ればフェルが手を差し伸べていた。
無言で手を重ね、馬車から降りる。
ホノカはどうしたと前を向けば、クリス王子にエスコートされて教会へ向かう二人の後姿が目に入る。
(呪われてしまえ……)
物騒な事を考えつつフェルのエスコートで教会に足を運ぶ。
機嫌のよさそうなフェルの様子にアリスは戸惑いしかない。
だがその戸惑いを押し殺し、冷静さをアピールするかのように無言を貫くしかない。
お互いに意識し、好意を持っているのはわかっている。
しかしフェルが行動に移すことはなかった。
変わらない距離間と行動に対し、アリスは何もできないし何も言えない。
目が合うと魅力的な笑みを浮かべるだけ。
だからアリスは彼から目をそらす。
隣で微かに笑う気配がした。
「今回、妨害はあると思う?」
「ないと思うわ。ああいった手合いは、最後の封印でやらかすだろうから」
問われてアリスは返事を返す。
「なるほど。わかりやすくていいね」
問いかければ答えはある。
フェルはアリスの性格を掴んでいた。
距離を縮めようとすればアリスはまってましたとばかりに逃げだす。
逃げ出す言い訳を与えなければ、アリスはその場にとどまるしかないのだ。
口に出せば断られ、態度に出せば逃げられる。
それがわかるからこそフェルは何もしない。
戦略的撤退はあっても単純に逃げ出すことを良しとしないアリスの性格をついた作戦なのだ。
あとは逃げ出せないように言葉と距離感に気をつけつつじわりじわりと自分の存在をアリスに浸食させていけばいい。
気が付かれないようにゆっくりと、焦らずに。
伊達に内側から王家を守ってきたわけじゃない。
毒を扱う暗殺者の在り口はよくわかっている。
どうすれば効果的に、確実に標的を堕とせるのか。
仕事が終わるまで、彼女に気が付かれてはいけない。
フェルは心地よい胸の高鳴りを感じながら、誰もが魅了される笑みを浮かべ、その色気にたじろぐアリスの反応を秘かに楽しんでいた。




