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モブでいいよ  作者: ふにねこ
第一章 出会い
15/202

まだ二日目なのに 3

 怒っている様子を隠そうとして失敗しているクローディアの後について庭に出ると、そこかしこの柱や木の陰に兵士が立っていることに気が付いた。

 きっちり身を隠すことをしないあたり、アリスへのけん制を含めているのだろう。

 それにしても、とアリスは思った。

 権力はあるが自由はない。

 この状況を当たり前だとか当然だという心境には到底至らない。

 だって庶民だから。

 ホノカも庶民だ。

 常に人の目にさらされ、その一挙手一投足から忖度までされてしまうという息苦しさに、せんべいをかじりながら寝そべってBL本を読む生活を送っていた者には耐えられない。

 どんな拷問だとも思うが、彼女たちの感覚からすればこっちのだらしない生活のほうが信じられないだろう。

 生まれた環境の溝はそう簡単には埋まらない。

 リリィが他の侍女を引き連れてやってきたと思うと、あっという間に敷物とお菓子とお茶の準備を整えていった。

 残された侍女はリリィだけだ。


「それでは穂香ちゃん、お手本をどうぞ」

「えっ、お手本?」

「日本のマナーってやつ」


 すました顔でアリスがホノカをせっつかす。

 アリスがやるとまずいかもしれないので、ちゃっかりホノカにやらせようというちょっと大人のずるい考えだ。


「靴を脱いで敷物の上にあがって、好きなように座ります」


 ホノカは靴を脱ぎながら敷物の上に上がると、靴をそろえてから正座した。

 たとえ貴族のマナーや気品が身についていなくとも、日本の常識はちゃんと身についているホノカにアリスは嬉しくなる。

 自分たちの常識やマナーを知らないからと言ってホノカを野蛮人だとは絶対に思ってほしくないし、むしろしつけがちゃんと行き届いた良い子だ。


「この時、気を付けなければいけないのは靴をそろえることです」


 アリスが脱ぎたての靴を指さしながら補足する。

 そして自分もホノカと同じように靴を脱ぎながら敷物にあがり、靴をそろえてホノカの横に足を崩して座った。


「改まった席ならこうした正座がよろしいですが、それ以外はこうやって足を崩して座ったほうがいいですよ」


 アリスの話を聞いてホノカはにこっと笑い、足を崩した。


「ランベール公爵令嬢もどうぞ」


 アリスはクローディアを見上げながら手で座る位置を示す。

 クローディアは明らかに戸惑っていた。

 人前で素足になるなどもってのほかだ。

 助けを求めるようにリリィを見るが、クローディアが言うより早くアリスが言った。 


「リリィさん、手伝ってあげてください」


 さすがに一人で立ったまま靴を脱ぐというハードな事はやったことがないだろう。

 アリスの親切な助言にクローディアの目が虚ろになる。

 心得たとばかりにリリィはさっと姿を消すとすぐに小さな椅子をもって戻ってきた。


「お嬢様、どうぞ」


 貴族の、それも高位の貴族ともなれば靴も一人では脱がない。

 椅子に座り、侍女が脱がせて違う靴を履く、といったように一人では何もしないのが深層のご令嬢だ。

 椅子に座ってリリィに靴を脱がせてもらい、そこでようやくクローディアは覚悟を決めて敷物の上に上がった。


「うわぁ~リアルお嬢様ですね、アリス姉さん」

「映画とか物語でしか見たことなかったけれど、一人でやれないって本当だったんだね」

「まぁ無理ないですよ。コルセットしてると前屈できないんです。私は絶対にそれだけは妥協しなかったんですけどね」


 ポンっとおなかを叩きながらホノカは笑った。

 侍女に背中を足で踏みつけられながらひもを締められるという衝撃体験は忘れられない。

 途中で逃げ出して脱いだコルセットを思わず床にたたきつけてしまったのはいい思い出だ。


「私も何度かコルセットつけたことあるけど、辛いよね~。着物のほうがよっぽど楽だよ」


 細くくびれた腰を作るためのコルセットと対極にある寸胴万歳の着物。

 同じように締め付けるものではあるが、帯のほうがマシだ。

 リリィの手を借り、なんとか敷物にクローディアが座った。

 椅子の生活が主な彼女は落ち着かないように体をゆすっている。

 かさばったドレスのすそが落ち着きなく揺れていた。


「庶民はバスケットに軽食……パンなどを手づかみで食べ、水筒にじかに口をつけて飲み、景色を楽しみつつおしゃべりに花を咲かせます」


 手づかみとじかに口をつけという部分に力をいれながらアリスが説明した。

 想像通り、クローディアは顔をしかめている。

 貴族のご令嬢ならばどちらもはしたない行動だからだ。

 サンドイッチならば手が汚れないように紙でくるんで食べるし、飲み物は当然コップに注いでから飲む。

「ランベール公爵令嬢」

「クローディアでいいわ。そう呼ぶことを特別に許可します」


 アリスは心の中でちょっと笑った。

 公爵令嬢、お嬢様、と厭味ったらしく呼んでいたことにクローディアは気が付いていたらしい。


「それから、聖女様と同じように私に話す許可を与えましょう」


 これにはアリスもちょっと目を見張って驚いた。

 変にプライドをこじらせている人間だと、なれなれしい話し方はすぐに不敬だなんだと騒ぐのだ。


「穂香ちゃん、やっぱりクローディア様は話せばちゃんとわかる人だよ」


 一応、敬称は外せない。


「王子だって最終的にはちゃんとわかってくれたでしょ」

「でも……」


 アリスはうつむくホノカからクローディアに視線を戻した。


「敷物を敷いてお茶をしながら花を愛でる。たったこれだけのことでもクローディア様とホノカちゃんではやり方が全然違います」


 クローディアは黙ってアリスの話に耳を傾けていた。


「あなたがこの世界で身につけてきた時間があるように、穂香ちゃんにも別の世界で身につけてきた時間があるのです。礼節一つとってもこの世界とは異なるものなのです」


 整いすぎて逆にちょっと怖い感じの美女であるクローディアの目力は半端ない。

 萎えそうになる心を叱咤しながらアリスは頑張って説明した。


「聞けば彼女はこの世界に召喚されてまだ三か月とか。価値観も礼儀も知識も何もかも違う世界に生まれてたった三か月なのです」

「何が言いたいのかしら?」

「三か月もこちらに合わせてくださったのですから、今度はこちらが穂香ちゃんにあわせる番ですよね」


 アリスはにっこりとほほ笑み、クローディアは背筋にぞくりと悪寒を感じた。


「あ、あなた何を言って……」

「着の身着のまま、本日はうちにお泊りしてください」

「そんなバカな事を……」

「予告なしに召喚されたということは、お泊りの準備なんかできないですよね。事前に拉致されちゃいますよって教えてあげる私って親切だわ」

「ふざけな……」

「あ、馬車はうちの馬車を使ってくださいね。今日は聖騎士団の方が護衛につくそうなので警備面は問題ないです。リリィさんは残ってお嬢様がいるように工作してください」


 相手に口をはさませない勢いでアリスは言い切った。

 ホノカも口をあんぐりとあけて呆然としている。


「私が何者か、わかっているの?」

「はい。王太子の婚約者ですよね。そのご身分ならばまだ可能です」


 結婚していたら色々とマズいが、今ならまだ公爵令嬢だ。

 口に出すとまずいが、王太子の婚約者ならば代わりはいくらでもいる。

 その意味をちゃんとくみ取ったクローディアがわなわなと体を震わせるのを見てアリスは意地の悪い笑みをわざと浮かべた。


「違う世界に召喚されて、家族のもとに二度と帰れない聖女様に比べれば、一日くらい庶民の家に泊まるくらいなんてことないですよね。だって聖女様は三か月もがんばったんですから」


 アリスはちょっと悲しそうな顔をした。


「聖女として召喚して好待遇なんて響きはいいですけど、言い換えれば本人の意思を無視した拉致監禁ですものね……本人の意思とは関係なく家族や友人とは二度と会えない状況で……本人の意思とは無関係に聖女の役割を押し付けるわけですし」


 大事な事なので三回言い、良心に訴える。

 実に嫌な攻め方だ。

 立場を口実に断ろうとしたクローディアだが、ホノカと目があってしまって口をつぐんだ。

 ここで拒否したら、彼女の意思を無視してこの世界に召喚したことを拉致監禁だと認めてしまうことに気が付いたからだ。

 どんなに言い訳しても、召喚される側から見れば拉致監禁には変わりない。

 それがわかっているからこその高待遇でごまかそうという腹積もりもだ。

 ホノカのご機嫌をとって聖女の役目を全うしてもらおうという考えなのだが、ホノカのご機嫌がちゃんととれているかといえばそうではない。

 クローディアは逃げ道がない事に気が付いた。

 追い詰められたクローディアはじろりとアリスを睨んでから、怒気を逃がすかのように扇を広げてため息をつくと静かにうなずいた。


「……わかりましたわ」

「アリス姉さん、大丈夫なの?」

「クローディア様がいいとおっしゃったのだから、いいんじゃない?」


 リリィがうわぁ~っといわんばかりに顔をしかめたのがはっきり見えたが、アリスは見なかったことにした。

 いきなりのお忍びに慌てふためくのは護衛と侍女だがそんなことは知ったこっちゃない。

 ホノカの境遇を考えれば異世界ではなく身分の壁を超えるだけなのだから、大したことはないはずだ。


「ちょっとした異世界体験にはなるでしょう」

「なるほど~。アリス姉さん、頭いいですぅ」


 たまに語尾を伸ばすホノカのしゃべり方は女子高生らしいけれど、ちょっとイラっとする時があるので言葉遣いを直すのはクローディアに協力してあげようと心の中で誓った。



誤字脱字の訂正をしました。

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