狂った宴
捕らわれてから数日。
牢に顔を出すのは覆面をした食事を運ぶ男だけ。
はっきり言ってホノカは拍子抜けだった。
ドラリーニョとともに何をされるのかと戦々恐々としていたのだが、なにもされずに放置状態だった。
彼の貴族らしい尊大な態度に最初はムカッと来た時もあったけれど、尊大な態度だけで正義感をちょっとこじらせただけの無害な男だとアリスが言った通りだったので、次の日には慣れた。
上から目線の物言いをスルーすれば案外気さくで話しやすい。
だから牢獄でのスローライフを耐えることができたのだ。
「今日は随分と物々しいな……」
寝転がっていたドラリーニョが体を起こした。
「ホノカ、下がっていろ」
いきなり何だと思ったが、大人数の足音にそそくさと立ち上がったドラリーニョの背後にまわる。
そして真っ黒な覆面をかぶった男たちが牢の前で足を止めた。
長袖の体をすっぽりと覆った貫頭衣はドラマや映画でよく見る悪魔崇拝のサバトのシーンを彷彿とさせる。
そしてホノカは白いワンピース姿だった。
「これってもしかしなくても……」
ホノカの脳裏にこの先の展開が映画のように予想された。
テンプレ通りならば、これから起こるであろう出来事におけるホノカの役割は哀れな生贄というやつだ。
「幼子のごとく神の御手に……」
しゃがれた声が朗々と響き始めたかと思うと、目の前にいたドラリーニョが何の前触れもなく倒れた。
「えっ、なに?」
驚きに立ちすくむホノカだが、ドラリーニョが倒れた理由をその身をもって知った。
急激な眠気に頭がぼんやりとし始めたかと思うと、瞼が重くなって自然と目が閉じられた。
体から力が抜けていくのを感じながら、ホノカの意識はそこで途切れた。
ホノカが目を開けると、そこは石で作られた台の上だった。
縛られてはいないが、体の自由が利かない。
そして少し離れた位置に背を向けて立っている男が大勢の人たちに向かって演説をしていた。
(……声が出ないし体が動かないけど、どーしよう)
途方に暮れるしかなかった。
このままここで殺されるのだという漠然な思いに支配されながらも、恐怖のあまり感覚がマヒして他人事のように思える。
(アリス姉さん……助けて……)
横目で見える光景にホノカは心の中で眉を顰める。
はっきりとは見えなかったが、何かの動物の首を斧で切り落とすのが見えた。
ゴトン、と落ちた音が聞こえると、鉄さびに似た匂いがしてきた。
嫌な予感はますます増していく。
(まままさかとは思うけど、血塗れは嫌だーっ!)
心の叫びもむなしく男は落ちたモノを拾い上げ、参加している仲間たちに見せるかのように掲げた。
そしてゆっくりと、焦らせるように振り向いた。
(マジ無理っ、マジ無理っ、マジカルミラクルーって特撮の呪文を唱えてどーすんの!)
脳内がパニックになっているホノカをよそに男はゆっくりと近づいてくる。
映画もテレビも漫画でもユーチューブでも、スプラッタは山のようにみてきたけれど。
血の匂いが現実をつきつけ、我知らず手足が震えた。
(アリス姉さんを召喚っ!)
カードバトル風に心の中で叫んだ次の瞬間、聞き覚えのある声がホノカの耳に届いた。
「ホノカ!大丈夫かっ!」
現れたのは剣を持った若者、ドラリーニョだった。
脳内で戦闘シーンの音楽がワンフレーズ流れ、次にゲームオーバーの曲が流れた。
(終わったな……)
かなり失礼な事を思いつつ、現実の無情を噛みしめる。
(ちゃ、ちゃんと助けを呼んでから来てくれたんだよね?)
首を掲げていた男を切り伏せると、無駄にキリッとした顔で振り向いた。
「絶対に守るっ!安心しろっ!」
(定番だと魔法陣があって……血に反応するんじゃ……)
男の体が倒れるのを見ながら、ホノカはぼんやりとそんな事を思った。
そして想像通りに床に描かれた魔法陣が光り始めた。
「おお~、魔王様の降臨じゃぁーっ!」
沸く人々と、あたふたとしているドラリーニョの対比がなんともいえなかった。
切羽詰まったドラリーニョはホノカを抱え上げると魔法陣の外に出る。
「えぇ~、なに、何が起こっているの~っ!」
魔法陣の外に出た影響なのか、声がでた。
「わからない。動けるか?」
「うん。あの魔法陣から出たら大丈夫になった」
「あれはなんだ?」
魔法陣の事を聞かれてもホノカにはさっぱりわからない。
しかし、定番通りならば今後の展開も予想はつく。
「多分だけど、あれって私を生贄にして魔王を降臨って流れじゃないかな」
しかし生贄になったのは穢れなき乙女ではなく欲にまみれたおっさんだった。
「光っているな……」
「発動中?」
さっさと逃げればいいのだが、不思議とその考えが思い浮かばなかった。
部屋の中を支配する異様な空気にあてられたせいかもしれない。
何の前触れもなく、ホノカの寝ていた台座が吹っ飛んで天井に突き刺さった。
思わずドラリーニョにしがみつくホノカ。
声も出ないような緊迫感に、誰も動かない。
目は魔法陣に釘付けだ。
「ま、まさか魔王降臨……」
魔法陣の線が赤黒い光を放ち、それが最高潮に達すると魔法陣の中に何かがゆっくりと姿をみせた。
空中にリアルな絵を描くように、最初は輪郭、そして徐々に色づいていき……。
「なんでケルベロス?」
象くらいの大きさをした、頭が三つもある有名な地獄の番犬が姿を現した。
「おぉぉぉぉ~っ!」
なぜか歓喜の声を上げる集った人々。
「ね、ねぇ、なんかヤバげだよ。今のうちにこっそり逃げようよ……」
「あ、ああ……」
全員の目がケルベロスに釘付けになっている間に、二人はソロソロと壁際に移動した。
もはや誰も生贄になった乙女の事など頭にはないらしく、歓喜の渦に酔いしれている事が幸いだった。
二人が壁際に到着したその時、ケルベロスが咆哮を上げた。
うるさいといわんばかりの大きな声に本能が刺激されて体が硬直する。
そして歓声が悲鳴に変わるのに時間はかからなかった。
「見るなっ」
ドラリーニョはホノカを自分と壁の間に押し込み、剣を構えた。
「あ、あんなの……無茶だよ……こっそり逃げようよ……」
そういいながらもわかっている。
逃げ道はいまだに衝動のおもむくままに人を襲っているケルベルスの向こう、出口に殺到するあまりに詰まって出られない人だかりの他にはドアはなかった。
「静かにしていろ。私は騎士だ。守ってやる」
そう言い放つドラリーニョの剣先は微かに揺れていた。
「そういえば私、転移の魔法が使えるの」
ドラリーニョが訝し気にホノカを見た。
転移魔法となれば使い手は国の中でも片手に満たない。
いぶかしむ眼差しに気が付いたホノカはつけていた指輪を見せた。
「あの、これ、ジャック……ええっと、宮廷魔法使いにもらって、一度だけ転移できるの」
なぜそんな希少な物をと思ったが、ホノカは王太子の愛妾候補で将来は国王の第二王妃になる可能性があることを思い出す。
そんな重要人物ならば転移の魔法もうなずける。
「命の危険があれば勝手に発動するから、私につかまっていれば一緒に転移できるんじゃないかな」
続いた言葉にドラリーニョは難色を示した。
ジャックの名前は知っているし、疑うつもりもない。
しかしホノカを命の危険にさらすことは騎士として耐えがたい行為だ。
正義感を変にこじらせている彼にとってそれは絶対に許すことができないし、指輪の前提条件に違和感を覚えた。
「すまないが、それはぎりぎりまでとっておけ」
城から出ることのない令嬢に与えるには大げさすぎる代物だが、現に今、ホノカはさらわれてここにいる。
守られるべき令嬢が命の危機を覚えるような状態といえば、それは最悪の事態だ。
常にだれかに守護されている令嬢が心底殺されると思える状況といえば、護衛の騎士がすべて殺されて孤立無援の状態になってからだ。
ドラリーニョがいることによってホノカの危機感が指輪の発動条件に至らなかったら?
下手をしたら共倒れだ。
ホノカを不安にさせないために、指輪の発動条件については口にしなかった。
幸い、ケルベロスは逃げ惑う人たちと遊ぶのに夢中のようだ。
「腹が満ちてなぶるのに飽きた時がチャンスだ。それまで気づかれないように大人しくしていろ」
ドアとは反対側になってしまうが、儀式で使用するための物が角に積み上げられている。
本棚と机の間に隙間を見つけたドラリーニョはそこに入るように指示し、自分はその前に陣取るように腰を落とした。
それから二人はただひたすらにじっと息をひそめて悲鳴が消えるのを待った。




