まだ二日目なのに 2
「まずはあなたの立ち位置を正確にお聞きしたいわ。アストゥル様からホノカの補佐で一緒に授業を受けるからと聞いただけですの」
ざっくりとした説明にアリスは呆れる。
説明やら一切をこちらに全部丸投げしたという形だ。
一体、自分にどれだけの権限があるというのだろうか。
そこまで考えてアリスは苦笑いを浮かべる。
たかだか名のある商会の娘でしかない。
後ろ盾は、世界を救う聖女。
交渉にはある意味、ジョーカーのカードだ。
使い方次第では最強であり、最弱でもある。
だからアリスは恭しく頭を下げたまま、あげることはしなかった。
この世界の、身分制度という名の常識に従って。
「穂香ちゃんのお心を安らかにするのが私の役目でございます」
ぴくりとクローディアの美しい眉が動いた。
「私は王より直接、ホノカの教育をするよう指示されています」
敬称ではなく愛称で呼ぶアリスの無礼さをとがめるように、わざと彼女は敬称なしでホノカの名を呼んだ。
刺々しい口調にアリスは心の中でため息をついた。
家臣より王命のほうが重いにきまっている。
宰相の部下であるフェルナンとクローディアではクローディアのほうが立場は上だ。
つまり、彼女の後ろ盾は王様であり、この国の最高権力者だ。
(居場所を自分で作れってことかしら?)
丸投げなのか試されているのかわからないが、アリスは背中に向けられるホノカの視線を痛いほど感じていた。
たった一人で知らない世界に来て望まない役柄を押し付けられ、どんなに不安で怖かっただろうか。
それに比べれば、この状況はたいしたことはない。
ぐっと腹に力を入れた。
聖女のお気に入りという立場をかんがみれば、アリスに直接手出しできないこともあって強気でいられる。
黙ったままのアリスにイライラしたようにクローディアは近づいてきた。
アリスが何かしたらすぐにクローディアをかばえるように侍女がすぐわきに控えるのがわかった。
「顔を上げなさい」
言われた通り、アリスは顔を上げる。
にらみつけるような眼差しとぶつかったが、アリスはひるむことなく穏やかなまなざしでそれを迎え撃つ。
売られた喧嘩は高く買い、お釣りを渡すことも忘れないというのが母の教えだ。
人はそれを過剰防衛という。
「なぜ黙っているの?」
ホノカがはらはらしながら見守っている。
「なぜ黙っているのかと聞いているの!」
アリスは侍女の方を見た。
「高貴な方と話す許可を受けておりませんが、どうしたらよいでしょうか?」
助けを求めると侍女は小さくうなずき、クローディアを見た。
「お嬢様、発言の許可を」
「そうでしたわね。発言の許可をします」
こういった手続きを怠ると後々面倒くさいのだ。
言質をしっかりと取っておくのは商人の基本でもある。
「質問がないので答えようがありません」
王命を受けたというのはわかったが、だから何なのだ、というのが正直な気持ちだ。
察して答えてもよかったが、勘違いして険悪な空気になるのも嫌なので、貴族には苦手な率直な物言い攻撃でいくことにした。
というか攻撃と考えている時点でアリスもかなり好戦的である。
「くっ……。貴女は誰の命令でホノカ様の横にいるのですか?」
「穂香ちゃんが願われたので、期待に応えた次第です」
くわっ、とクローディアの瞳が大きく見開かれた。
(こわっ!)
目力が半端ない。
後ろにいるホノカが後退るのが気配でわかる。
アリスもできれば逃げ出したいが、そうもいかない。
笑顔でなくても美人が怒ると迫力がある。
じろりと彼女の視線がホノカに向けられた。
「ホノカ、本当なんですの?」
「ひぃっ!」
ホノカの短い悲鳴に侍女がそっと視線を外し、ため息をつくのをアリスは見てしまった。
「ホノカ!」
「ははははいっ!」
ぴしゃりと名を呼ばれたホノカはびしっと背筋をのばす。
(ああ……これはちょっと……)
ずっとこの調子なのだとしたら、ホノカが彼女を苦手に思うのも無理はない。
王子達とはうまくやっていたようにみえたが、クローディアに対してはどうも苦手意識が先に出ているようだ。
もともと高圧的な女性が苦手なのかもしれない。
「……いつもこんな感じなのですか?」
思わずアリスは小声で侍女に問いかけていた。
そっと侍女がうなずく。
先が思いやられるというか、この三か月、彼女はいったい何をやっていたのだろう。
ホノカが委縮している様子に気が付いていないのだろうか。
それとも気が付いていて、改善しようとして失敗中なのだろうか。
「クローディア様、今日は授業の様子を見たいので、私は隅に控えさせていただきます。どうぞ本日の授業を始めてください」
「えっ、アリス姉さん……」
突き放されたと言わんばかりに絶望的な顔をするホノカにアリスは笑顔を浮かべた。
「明日からは隣で受けるから、今日は我慢して」
「わかった……」
とりあえず一緒の部屋にはいてくれるのだとわかったホノカはしぶしぶ頷く。
クローディアは不機嫌な様子を隠そうともせずにホノカの方を見た。
「では今日はこの前の続きから始めましょう。我が国の歴史からですわ」
ホノカは涙目で席に着き、クローディアの授業を受ける。
アリスは離れてその様子を眺めていたが、同じく様子を見ていた侍女の隣にそっと移動した。
「アリス・ドットです。お名前をうかがっても?」
「私はリリィと申します」
互いに軽く頭を下げる。
アリスよりも年上に見えるその侍女と話をしてみると、意外なことが分かった。
「お嬢様はとても情熱的で使命感に燃えているのです」
クローディアは国を救う聖女の教育係という立場を王命で与えられ、はりきっているのだ。
張り切りすぎてホノカが委縮しているのに気が付いていない。
熱心になるあまりホノカの意思を無視してどんどん進めていき、結果としてついていけないホノカに苛立って叱責するという悪循環に陥っていた。
「聖女様に嫉妬などは?」
「まさか。国を救ってもらう聖女様に嫉妬などと。むしろほかの方々になめられないようにしっかりと教育するのだとはりきっておいででした」
見事な空回りだ。
おそらくクローディアがやる気になればなるほどホノカのやる気は削がれるだろう。
教え方は丁寧だが、ホノカに苦手意識が先に出て頭に入らないようにも見える。
「……なんていうか、見ていてしのびない気がする」
一生懸命に教えるクローディアと半泣きのホノカ。
「第二王子から貴女様の立場はお聞きしています。この世界になじめないホノカ様の手助けをしていただけると」
「はい。ですので私の流儀で少しやらせていただきたいのですが、大丈夫でしょうか?」
「お嬢様もこの状況が打開されるのであれば、咎めたりはしないと思います」
侍女の方がよほど冷静で話が通じる。
負の連鎖に陥ってなんとか抜け出したいと思っているのはクローディアも同じだ。
何かあれば王子がかばってくれるだろうし、フェルナンに責任を押し付ければいいとアリスは考えた。
丸投げされた以上、責任問題も丸投げで返してやる。
そんな事をアリスが考えていると、ホノカが突然机をたたくようにして立ち上がった。
「もうやってられないっ!」
「何を言ってらっしゃるの?こんなことでは立派な聖女……」
「うるさいうるさいうるさーいっ!」
ホノカはクローディアの声を遮るように大きな声を出すと、椅子を倒してこちらに走り寄ってきた。
「アリス姉さん~っ!」
ぼろぼろと涙を流しながらホノカがアリスに抱き着いた。
「もうやだ……」
心からの叫びはとても小さな声だった。
だからこそ彼女がぎりぎりのところまで追いつめられていることがわかる。
理解しあえる存在と出会えて、今まで我慢していたものが一気にあふれ出たのだろう。
アリスの怒りに火が付いた。
「ちょっと失礼します。穂香ちゃん、ちょっといい?」
アリスはホノカの手をつかむと部屋の隅に向かった。
「お待ちなさいっ!」
「お嬢様、大きな声で怒鳴るなどはしたないですよ」
アリスの後を追いかけようとしたクローディアは侍女によって足止めされた。
侍女のファインプレーに応えるべく、アリスはホノカを壁に寄り掛からせるように座らせて自分も横に座る。
「どうしたの、穂香ちゃん」
「……」
涙目でうつむいたホノカは口をつぐむ。
「彼女が苦手?」
こくりと頷いた。
「どんな風に苦手?嫌味とか悪口とか意地悪してくる?」
「……」
「怖い?」
こくりと頷いた。
「日本にいた時は腐女子だったんでしょ?リア充で高圧的な女の子は苦手だった?」
「……」
しばらく間をおいてからこくりと頷いた。
「頭がよくて美人でなんでもできるリーダータイプだけど口調がきついから苦手とか」
こくりと頷いた。
「嫌い?」
そこで初めてホノカは首を横に振った。
アリスは嬉しそうにほほ笑みを浮かべた。
「やっぱり穂香ちゃんはいい子だね」
国民として、聖女にいじわるしたり馬鹿にする行動をとるほど未来の王妃様がバカだとは思いたくない。
立ち上がると、アリスは侍女の前に立った。
「高貴なる方と話すためにはどうしたらいいでしょうか?」
「いちいちリリィに言わずに私に言いなさい」
侍女が返事をするより早くクローディアが口をはさんできた。
臨戦態勢は彼女も同じなのか、扇をパチンと閉じる音がやけに響いた。
「ではランベール公爵令嬢。お茶を飲みましょう。天気が良いので庭で敷物を敷いて、庶民がよくやるピクニック形式で」
「なんですって?」
侮辱されたと言わんばかりのクローディアにアリスは微笑んだ。
「僭越ながら、今までホノカ様はランベール公爵令嬢の流儀に従ってきたのですから、たまにはホノカ様の流儀に付き合ってもよろしいのではないでしょうか」
「ホノカがそう言ったの?」
「私が思いますに、お二人の間には信頼関係がまったくありません」
「っ!」
薄々気が付いてはいたのだろう。
クローディアは何か言いたそうな顔をしたが口はつぐんでいた。
「ではリリィさん、よろしくお願いします」
この場にいるということは、優秀な侍女なのだろう。
公爵令嬢に物申せるということは侍女の中でも特別な地位にあると思われる。
だからアリスはリリィを巻き込むことにした。
「よくお茶会に使われる場所に、敷物とお茶をお持ちいたします。お嬢様は先にそちらでお待ちください」
「ありがとうございます。ではランベール公爵令嬢、お願いいたします。穂香ちゃん、いくわよ」
「アリス姉(姐)さんが行くならどこにでもっ!」
姉さんが姐さんに聞こえる。
おまえはいつから子分になったのかと問い詰めたくなったが、クローディアの手前やめておいた。
ホノカの方からアリスの腕に手を回すのを忌々し気にクローディアが見ていたことにアリスは気が付いていた。
誤字脱字の訂正をしました。




