学問の神様だし
ホノカは無事なアリスを見ると泣いて喜び、涙と鼻水を盛大に服になすりつけてくれた。
クリスは居心地が悪そうにアリスとフェルに無事な事を確認し、ねぎらいの言葉をかける。
小隊長が細かい報告を王子にし、部屋の隅で二人の会話を聞きながらランスロットがせっせと報告書を書いていた。
「ジギル・ドットは帰ったのか?」
平静を装いながらクリス王子はフェルに問いかけた。
「罪人と一緒に戻りました。戻り次第、宰相のところに顔を出すと言っていたので、こちらからの報告は情報のすり合わせだけになりそうです」
「そういえば、ジャックは?」
さんざんアリスの服を濡らして気が済んだのか、ホノカが顔を上げた。
「罪人の護衛で一緒に戻ったよ」
「ん?護衛?監視じゃなくて?」
「そう、監視。ジギル氏がやりすぎないように、ね」
意味ありげに笑うフェルにホノカは何かを察したようにああ、と頷いた。
「ドット家の家訓、ですか?」
否定も肯定もせず、フェルはやんわりと微笑む。
「何か勘違いしているようだけど、うちはおおらかな家風なのよ」
「苛烈の間違いでは?」
思わずフェルが返すと、アリスは不満そうにフェルを見た。
「敵対関係にあればそうかもしれないけど、些細な事にはこだわらないのは本当よ」
些細な事にこだわらないからといって調子に乗ると手痛いしっぺ返しが待っているのがドット家だ。
小さなことにこだわるのも馬鹿らしいから切って捨てて忘れるという何とも罪深い仕打ちともいえる。
ドット家の家風を巡って軽口を叩く二人の姿を見てホノカが目を輝かせる。
攫われた二人が悪の巣窟で身を寄せ合ううちに互いに心惹かれるというのはよくある話だ。
にんまりとするホノカをよそに、小隊長からなぜジャックではなくフェルがさらわれたかの説明があった。
来る途中で出会った商隊が秘密結社の人間で、ジャックを呼んだら手の離せない彼の代わりにフェルが動いたことで勘違いしたらしい。
しかし聖女一行の面子と自己紹介した司祭が勘違いするのはおかしいと思ったら、単純に荒事に慣れていなくてジャックとフェルを間違えたというなんともお粗末な結果だった。
メディアのない世界では有名人とはいえ顔を確認するという行為は難しい。
「善良なる司祭は魔法陣マニアだったから協力したってこと?」
話を聞いていたアリスが結論を口にすると、苦々しい顔でクリスが頷く。
「そうだ。しかも自己紹介をされたくせにジャックとフェルを間違えるお粗末さに至っては言葉も出ないな」
「偶然が重なって、私がジャックの代わりに聖女とさらわれた……ということか」
「信じられないが、それが真相のようだ」
苦々しく答えるクリスの声を聞きながら、アリスはちらっとホノカの様子を窺う。
偶然が重なる、というクリスの見解を聞いたとき、なぜかホノカの事が思い出された。
ご都合主義なストーリーには嫌な予感しかしない。
目があったホノカは花がほころぶような笑みを浮かべた。
王都に帰るために乗り込んだ馬車で、アリスはホノカと二人きりになることができた。
帰る時刻をずらすことはできないため、王子達は別の馬車で報告の続きや今後の打ち合わせなどの会議だ。
ホノカは目をキラキラさせ、何かを期待している眼差しをアリスに向けた。
「アリス姉さん、無事で本当によかったです」
「心配をかけたわね、ありがとう」
「それで、フェルと何かありました?」
「何かって、何?」
想像がつくがあえて聞き返す。
「やだなぁもう、わかっているくせにぃ」
わかるからこそ口にしたくない事もある。
「今回もちゃぁんと神様にアリス姉さんの恋を進展できるようにお祈りしたんですよ~」
余計な事を、と頭を抱えたくなるアリスの横でホノカはドヤ顔だ。
「学問の神様に恋愛関係を願ってどーすんのよ。むしろそういう感情は学業に邪魔じゃないの?学業に恋愛の余地はないと思う。恋愛にうつつを抜かして学業がおろそかになったら本末転倒じゃない」
「受験間際の教育ママみたいな事を言わないでください」
「事実でしょ」
ホノカはわざとらしくため息をついて見せた。
「わかっていませんね。いいですか、勉強を介して発展する恋も世の中にはあるんですよ」
図書室で偶然出会う男女、同じ本をとろうと手を伸ばしたところから始まる物語。
研究あるいは勉強会から距離が縮まり互いを意識しはじめる恋心。
次々と恋のきっかけあるあるエピソードを披露するホノカに呆れるアリス。
「人さらいに学問が関係するとは思わなかったわ」
「魔法陣という研究ありきの騒動じゃないですか。まさに学問の神様の範疇!」
研究成果を巡って起きる事件に巻き込まれた男女のエピソードを話し始めるホノカ。
こぶしを握って力説するほどの事でもないのでは、と思いながらアリスは憐れむような眼差しをホノカに向けた。
一通り話し終え、想像に悶えるホノカは全身から期待に満ちたオーラを出している。
「率直なところ、アリス姉さんはフェルの事をどう思っているんですか?」
「どうって言われてもねぇ……。チーム聖女の渉外担当としか言いようがないんだけど」
当初の苦手意識はなくなった。
頭の回転が良くコミュニケーション能力が高いので話していて楽しい。
友達の知人から知り合いに、そして今は仲間意識が高い。
異性としてみたら優良物件だが、彼は将来、宰相の地位かそれに準じる地位を目指している文官だ。
アリスが望む結婚相手の条件は、婿養子としてドット家を支える優秀な男。
最初から圏外である、という意識がアリスの中である。
「……ねぇホノカちゃん」
「はい、なんでしょうか!」
恋バナかと期待を高めるホノカにアリスは冷静に告げた。
「本や研究資料を燃やすという凶行を学問の神様は許してくれると思う?」
「えっ?」
アリスは正直に捕らわれた屋敷から脱出する経緯とその後を話した。
「学問の神様からしてみれば、許せなくて怒って絶対に叶えてやらんってなるんじゃないのかな」
「そんなぁ……」
絶望に打ちひしがれるホノカ。
「まぁ、学問の神様だしね……。ジャックなんか己の所業に青ざめていたし」
がっかりとするホノカをよそにアリスの機嫌はよくなった。
学問の神様がホノカの願いを叶えるきっかけを与えたとしても、逃げ切ったという自信がある。
封印も終えたし、何も問題はない。
アリスはそう考えていた。
しかしアリスは自分の考え違いに気が付いていない。
結婚は政略もありだが、恋は問答無用で落ちるものなのだ。
それは自分が望むモノとは限らない。
忘れられない、忘れたくない、はるか時の向こうの愛はすでに思い出となっていることに、アリスは気が付かずに固執している。
寡婦ではなく、男と肌も重ねたことがない独身女性なのだという事に気がつかない。
そして聖女の祈りを聞き届けた神様の本気にも。
「私の目の黒いうちに、絶対にアリス姉さんの乙女な姿を……」
ぶつぶつと呟くホノカにアリスは目をやる。
あきらかに活用の仕方を間違っている慣用句。
「ずいぶんと気長だねぇ……」
乙女な姿ってなんだろうかと考えながら、流れる景色に目を向けた。




