家訓は守らないと
あちこちに火をつけてまわると、今度は脱出だ。
しかし見張りはいない。
侵入者を防ぐために使用した魔法陣に絶対の信頼を置いているのだろう。
そして捕まえた者達が逃げ出すという事を想定していない。
典型的な頭でっかちなのだ。
専門分野以外ではただの人より劣るのかもしれない。
「拍子抜けにもほどがあるわ……」
「上の方がにぎやかになってきたようだけど?」
「ハルが騒いで中の人たちに気が付かせているんでしょう。このままだと焼け死にそうだし」
火をつけまくっておいてなんだが、焼死はしてほしくない。
あくまでも火をつけたのは、内側から魔法陣を破壊するためと憂さ晴らしであって、殺意はないのだ。
「迎えが来ている」
ドアを開けると、遠巻きに騎士達の姿が見えた。
「あ、ルークだ」
同じ格好の中で一部の塊だけが服装がばらばらである。
アリスに気が付いたのか、金髪の男が手をぶんぶんと振っていた。
「突入はしないのかしら」
動く気配のない彼らの元へと自然と歩みが早くなる。
そしてルークの隣にいる父親を見つけるとアリスの笑顔が若干、ひきつった。
我が家の惨状を思い出せば、この後の展開が読める。
「……ハルには特別手当を支給しないとね」
人道的観点から火事だから逃げろと叫びまわっているハルが巻き込まれるのが目に見えるようだ。
ぼそりと呟いたアリスの声にはどこか疲れた響きがあった。
「アリス!我が愛し子よ!」
そういいながら抱き着いてきたジギルを闘牛士のようにひらりと避けたアリスは苦笑を浮かべているルークに近づく。
「助けに来てくれたのね、ありがとう」
「あ、ああ、うん」
アリスの後ろで般若のような形相でこちらを見ているジギルの姿に恐れつつもルークはなんとか笑顔で出迎えた。
「そっちも、お疲れさん。火傷はしてねぇか?」
「大丈夫よ。何かされる前に優秀な従業員が動いてくれたから」
言われて一人足りないことに気が付く。
「ハルは?」
「まだ中だけど」
ルークの視線が空に向けられた。
これから起こる惨劇に思いを馳せ、主にアリスの起こす騒動に巻き込まれやすい体質の同僚に心底同情する。
「あ~、そっか……。なんつーか、王都に帰ったらでいいからさ、労わってやって」
ルークのセリフが終わると同時に、ドーンという鈍いが大きな音に驚いたアリスが屋敷の方を振り返った。
「……わぉ」
屋敷が水柱の中にすっぽり収まっている。
五秒ほどすると水は消え、あちこちにできている水たまりがなければ夢だったのではないかと思えるほどにありえない光景だった。
屋敷の中からわらわらと人が転がり出てくる。
それを捕まえるべく、騎士達が動き始めた。
「なんつーか、俺らの出番、なかったな」
暴れたかったと呟くルークをよそにアリスは父親を振り返った。
「満足した?」
「とりあえずはね」
ジギルはおどろおどろしい空気を背負いながら爽やかな笑顔を浮かべている。
「中に誰もいなくなったら乾燥させないと」
「それをやっちゃうと証拠も消えちゃうんじゃない?」
「かまわないよ。証拠がなくて困るのは彼らだし」
そういってジギルは騎士達の方をちらっと見る。
「私たちに手を出したらどうなるかを徹底的に周知しておかないとね。いい機会だ」
しれっと言い切るジギルと納得したと言わんばかりに頷くアリスを見ながら、恐ろしい親子だとルークは心の中で引いていた。
「館の中に人がいなくなったら、ジャック君に水気を払ってもらう手はずになっているんだ」
「すべての本が塵となるのね」
「ああ、とても楽しみだよ」
阿鼻叫喚の騒ぎを想像すると愉悦しかない。
仄暗い笑みを浮かべるジギルとアリス。
さっぱりしているようで意外と根に持つところは父親譲りだ。
「それが終わったら、私が直々に引導をわたしてあげよう」
楽し気に今後を語るジギルの後ろで、ドット家の手の者達がひそひそと話している。
「まさかの追い打ちっ!」
「ご愁傷様~」
「心を折るまでやるのか、容赦ねぇな」
「ドット家の家訓だからな。むしろこれからが本番だろうよ」
「生きる屍がまた増えるってもんだ」
散々な言いようだが、ドット家の家訓が発動したのならばしかたないというのが彼らの認識だ。
悪しき行為を仕掛けない限り、ドット家の人たちは善良なのだから。
「顔色が悪いが、大丈夫かい?」
合流したフェルがジャックの顔色に気が付いて声をかけた。
「ああ……問題ない」
苦虫を噛みつぶしたような苦々しい顔でジャックが答える。
「突っ込まないほうがいいみたいだね」
「すまない、助かる」
ジャックの顔色が悪いのは、屋敷の書物が己の魔法のせいですべて塵となってしまったせいだ。
もちろんやらせたのはジギルだ。
フェル達が屋敷に火を放ち、内側から魔法陣を壊したところで水魔法による鎮火、騎士達による突入及び捕縛、人質奪還。
それがベストの作戦だったが、ジギルがそれを許さなかった。
己の屋敷が放火され、水浸しになり、そしてボロボロにされた事を根に持っていたジギルは当然のごとく同じようにやるようジャックに要請したのだ。
もちろんジャックは最後の湿度ゼロの乾燥させる魔法は拒否したが、家族の思い出を塵にされたジギルがそれを許すはずもなく、延々と呪詛のような愚痴の前に屈した。
「僕と間違われてさらわれたのだろう?無事でよかった」
「自分たちの側に引き込むつもりだったみたいだから、待遇はよかったよ」
のんびりとした口調で応じるフェル。
彼らの視線は屋敷とは反対の森に向けられていた。
背後では阿鼻叫喚という言葉がふさわしいような光景が展開されている。
秘密結社の面々は貴重な資料や本、研究成果を塵にされた恨みを声高らかにわめいているが、その声も少しずつ小さくなっていく。
ジギルの声が時折聞こえ、人が倒れるような音が聞こえても振り返ることはしない。
「……帰ったらアリスの警備体制を強化することになる」
「だろうねぇ」
ジギルによって次々と心を折られて生きる屍になりつつある秘密結社の面々。
せめて事情聴取ができる程度には手加減をしてほしいが、誰も口出しできない。
だってジギルが怖いから。
敵に回したらいけない事は見てわかったから。
騎士の中には余波を食らって打ちのめされている者もいるが、ジギルの舌鋒は止まらない。
「今回は、ジギル氏にすべて持っていかれたな……」
王都に戻ったら、フェルは宰相から呼び出されて叱られるだろう。
ジャックは長から呼び出され、同じく叱られるだろう。
そして、なぜジギルの暴走を止めなかったのかと無茶な事を言われるのだろう。
今から気が重くてしかたない。
「「はぁ……」」
二人は同時に重いため息をつき、そして目を合わせると力なく笑いあった。




