信用と信頼
食事は美味しかった。
目の前の老人は食事を平らげたあと、土下座を始めた。
涙を流しながら己の罪を告白し、食事のうまさに感動したのかアリスをたたえ始めた。
そんな老人を見ながらアリスは営業スマイルを神々しく浮かべている。
「よいのですよ。たとえ醜悪で低劣であり不当不正の矮小で卑屈であろうとも罪に惑うのは人の性なのですから、悔いる心があり謝罪ができる貴方は立派な人間だと思います」
聖女アリスが何を言っているのかわかりません。
ホノカは意味不明なご高説を老人に聞かせているアリスに引いた。
あまり学がないのだろうと判断したアリスは老人が理解できないであろう難しい言葉で罵詈雑言、わかりやすい言葉で褒めたたえるという器用な真似をしてみせた。
「うおぉぉぉぉぉっ、ワシは何という事をーっ!」
体全体で打ちひしがれる老人を見ながら、なんだか舞台を見ているような気になってきたホノカだった。
アリスがニヤリと笑うさまは聖女とは対極の存在に見えたことは内緒だ。
「己の罪を騎士の方々にお話ししてくださいますね?」
「はいっ!」
話は終わったらしい。
「では、すぐに出発しましょう」
「はいっ!」
そして次の段階に進んでいた。
「奴らに気が付かれないように、安全な道はありますか?」
「獣道になりますが……」
「そう心配せずとも大丈夫です。神の加護が我らを守ってくださいます」
「奴らが追ってきたら、隠れる場所など……」
「大丈夫です。森の精霊が我らを守ってくださいます」
心配性な老人にことごとく人外の存在が守ってくれると言い切るアリスにホノカは感心する。
話し方に説得力があるので、本当に森の精霊や神様の使いが現れて助けてくれるような気がしてきた。
もはや新興宗教の始まりを見ているようだった。
気が付けば老人はアリス聖女に心酔している。
老人の手引きで小屋を出て獣道に入り、街道を目指した。
「胃袋を掴む、これはやはり基本ね」
ぼそりと呟いたアリスの横顔はとても正義の味方とは言えないものだったので、ホノカはそっと視線を外した。
「それにしても、教会の人たちが何で聖女様をさらうんでしょうかね?」
ホノカの今更な質問にアリスは苦笑する。
「権力争いよ。お城主導で事が進むのが、教会側が許せないってだけ。で、悪漢にさらわれた聖女を騎士より先に助けて一発逆転ホームランを狙っているのよ」
「そんなに自己主張してどうすんでしょうか?」
「人心を掴めば寄付やお布施という名の金が舞い込むでしょ。聖女様キャンペーンをうてば効果抜群よ」
「やっぱりお金なんですか……」
「そりゃあ人間だもん、権力をもてば欲にまみれるのはしょうがないわ。足るを知る権力者って聞いたことないし。ああ、でも理性や良心より計算でそれを実践する人もいるけどね」
「意味わかりません」
「引き時を知る悪党がいい例よね」
「高尚な言葉が一気にヤバい方向に行きましたね……」
現実主義なアリスらしい解説にホノカは呆れるしかないが、大人に夢を見られるほど子供ではない年齢なのでうなずいてしまう自分がいる。
「お静かにっ」
老人が小さな声で二人に注意を促した。
いくつかの、馬が地面を蹴る音が聞こえる。
老人の指示でその場でかがんだ。
茂みの隙間から数頭の馬が見えた。
間違いなく小屋の方に向かっている。
「このままだとすぐに追いつかれてしまいます」
泣きそうな顔で老人がアリスに訴えてきた。
「大丈夫ですよ。ここからは道に出ましょう」
「ですが……」
「大丈夫」
アリスは自信たっぷりだ。
三人は茂みから出て道に出た。
歩きやすいのでさっきよりはスピードがあがるも、小屋にいないことを知った輩が追いかけてくるのも時間の問題だった。
そろそろ追手が追い付いてくる頃だとアリスが考えていると、脇の茂みが大きく揺れた。
ホノカと老人が緊張し身構えるなか、アリスの口元が弧を描いた。
「よぉ、随分とのんびり歩いてんな」
「来るのが遅いからでしょ」
がさりと茂みを分けて出てきたのはどこかで見たことのある青年だった。
「待っていたわよ、ルイージ」
「ああ、ルイージさん。マリ……じゃなくてお一人ですか?」
「ん?おう、相変わらずアンタは美人だな。お嬢、こっちだ」
ロッシの息子、ルイージの登場にホノカは目を白黒させている。
「彼について行くわよ」
ルイージを先頭に老人、ホノカ、アリスと続いて茂みの奥へと入っていった。
「道もないのに大丈夫なんですか?」
「奥に入った方が歩きやすいんだよ」
道のそばというのは日があたるので下草が生えやすいのだ。
むしろうっそうと茂った木々があるほうが日が差し込まない分、下草が生えにくくて歩きやすい。
「ルイージはね、腕っぷしはからっきしなんだけど身を隠すって事に関しては右に出る者はいないのよ」
「ははは、褒めんなよ。照れるじゃねーか」
「褒めてないけど認めてはいるわよ」
何しろ喧嘩して殴られるのが嫌なあまり逃げるという分野に特化してしまったのだから。
彼が本気で逃げ隠れたら、誰も見つけられないだろう。
小さかったころ、かくれんぼをしたら誰も見つけてくれなくて泣いて出てきたという逸話も持っている。
「どうしてルイージさんがいるんですか?」
「騎士だけじゃ心もとないじゃない。餅は餅屋っていうでしょ。敵のやり口に精通しているのは、やっぱり同業者なのよね」
ぶっちゃけられた言葉にホノカは乾いた笑いをこぼした。
騎士団じゃ心もとないから裏社会の人間を頼ったと平然と言い放つアリスにどう反応していいのかわからない。
「騎士団は信頼しているけど、ルイージ達は信用しているの」
「意味が分かりません、先生」
「漢字の意味、そのまんまだよ。頼るのは騎士。用いるのはルイージ」
「わかるような、わからないような……騎士団が頼りないって事ですか?」
「お願いしてやってもらうか、命令してやらせるかの違いかな」
「ますますわかりません~」
「元の世界に帰ったらググってみなさい」
それまで覚えていられるだろうか。
ニュアンス的には何となく、感覚的にわかる。
信じて頼るか、信じて用いるか。
「アリス、ご高説はいいから少し黙れ」
ルイージに怒られてアリスとホノカは黙った。
彼の頬がちょっと赤かったことに突っ込みを入れることはなかった。
しばらく進むと、ルイージの仲間と合流することができた。
老人は仲間に預け、ホノカとアリスは用意されていた馬に乗って最初の巡礼地へと向かった。




