619話 平常運転へ戻ろう 挿絵あり
S・Y・Sの実験は大まかに別けると3つとなる。大前提としてソーツへの呼びかけは実験ではなくは実施する事に意味があるので、実験からは除外されたミッションである。1つは宇宙での畜産実験。前回うずらの雛が孵った事を皮切りに様々な生物で繁殖やら有精卵を使った実験を行う。人の妊娠はまだ先とされているが、豚や牛と言った大型のものが職抜きで育成出来るなら人も自然繁殖可能とされている。
まぁ、生活圏を広げる時に人が繁殖出来ないと言うのは大きな枷で、今までは無重力の為に脊椎の形成等が出来ずに無理とされていたが、鳥と言う細いながらも骨を持つ生物が異常なく卵から孵り順調に成長しているので次段階に進んだと言っていい。
2つ目は宇宙ステーションと言うがS・Y・Sからの月面着陸実験。宇宙遊泳は問題ないが星に降り立つと言う事は当然その星の重力圏に入ると言う事で、計算上は問題ないとされても証明する必要があるとされた。非公式で言うならそれも藤の嫁達が実現しているのだが有人では初となる。当初パワードスーツの使用に長け、システムエラーが発生しても自力で対処出来る橘のみで行い藤の嫁達がサポートする予定であったが、NASAからの申出によりエマもこのミッションに参加する。
そして最後の3つ目、宇宙からの単独降下実験。平たく言うと衛星軌道外から地球に降りると言う話である。今までの宇宙船の場合落下地点の予測や場所、進入角度や速度等の膨大な計算や着地或いは着水後の救援作業が必要だったし、天候不順による降下延期なんて事もあった。
流石に嫌だろ?地上を目前に雷雲に突入して落雷で墜落とか。そう言った問題点に対してS・Y・Sは大気圏外内問わず飛行出来、絶縁耐性も高いので天候も気にしなくていい。なら、人はどこまで宇宙を身近に出来るのか?飛行ユニットと言う物は人も飛ばせるしS・Y・Sの様な巨大な物も飛行させる事が出来る。
これも非公式となるが、飛べる人間は勝手にパワードスーツ改造して宇宙を目指す人が多いのよね・・・。それは魔術師に限らず格闘家やらガンナーなんかも。改造する側も行こうとする側も調べてやっているのだが、いかんせん落下事故が多い。これもイメージの問題なのだろうがロケットをイメージするならいいが、弾丸をイメージして失速したり空を蹴るとして連続ジャンプなんかしていた奴は蹴るものがなくなるなんて事も。
流石に死亡者はないものの危険なので、安全に着地するイメージ作りの一環として降下実験が提案された。これも割と波紋を呼ぶ実験で軍事転用された場合防ぎようのない降下兵が爆誕する訳だが、主要施設例えば発電所なんかは地上にあるとして研究施設はほぼゲート内や地下に潜ってしまっている。
地上戦を想定したとして攻めるべき場所は少なく、発電所もクリスタル使用のモノが増えつつある中で何を目標としてどうすれば効果的なのか?解答としては要人に対する暗殺なんかなのだが、それはもうわざわざ宇宙から降りる必要もないだろう。ある意味一周回って正面から挑むのが1番相手に対して打撃を与えられたり、パフォーマンスだとしても狙われていると言うイメージを付ける事が最適と言われている。
まぁ、なんにせよみんなで知恵を出し合うターンになったと言う事だろう。飛行ユニットは世界に対して作り方が開示され、どの国も今の段階では持っていないとは言えても知らないとは言えないのだから、人命優先と言う綺麗な言葉だとしても堕ちて死ぬ人間もそれにぶち当たって死ぬ人間も減らす方向性である。次いでに言うならスペース・デブリ除去業者とかもこれから増えるのではないかと言われている。
ただこの実験の優先度は低く、実施者は俺なのだがゴタゴタのせいで流れそうなんだよな・・・。地球へはバイクで降りる予定でそのバイクのメンテに2、3日かかるからその間に卒業式に顔出しする予定だったのだが・・・。割と無理して組んだ予定だからモニター越し卒業式で我慢するか。
「卒業式・・・、何年前でござろうか・・・。サクラサク未来も恋も夢も・・・。叶ったでござる!よくよく考えずとも拙者、嫁も仕事も夢も叶っておるぅぅ〜〜!!」
「おめでとうございます旦那様!」
「旦那様ステキー!」
「橘、アレは自画自賛カ?」
「なんで私とフェムを見ながら話を振るんですか!感覚としては自画自賛と言うよりは精神的且つ、他者による肯定ですよ。まぁ、藤くんの嫁達が藤くんの理想像なら、その理想的な者から肯定してもらえたら嬉しいでしょう?」
「ふム・・・、確かに嬉しイ。ならフェムも橘の理想・・・。」
「小難しい話なのでノーコメントです。なんですか?エマもフェムの様なパートナーが欲しいんですか?」
「操作性の問題だナ。付属ユニットはアレはアレで使いやすい。」
「設計段階から意見を取り込みましたからね。1に延命2に延命、残りも延命で生かすためのギミック多数。事故って生きて帰ってきたと思ったら血まみれのコックピットとか許せませんよ。最初に作るものは予算度外視性能オーバーフロー!枝分かれして簡易化していくのはいいですけど、現段階の最高の物がなければ何を簡易化して何を手厚くするかなんて分からないじゃないですか!そもそもマニピュレーターだってエマさんの直感的な感覚で動かせる様に設計したり・・・。」
「分かっタ、分かっタ。それでS・Y・Sは宇宙居残りが決定した分けだガ、リュウ達はどうすル?捕虜ではないが雑に扱っても文句はないと思ウ。橘の隊長としての意見ハ?」
「今更宇宙に放逐するわけにもいきませんし、どこかで宇宙ステーション出してそこに缶詰と言うわけにもいかないでしょう。暫定的に今割り当てている外部通用口付近のスペースに待機してもらうとしか。」
「リュウ氏が何か行動を起こす的な事は話し合っておったな。まぁ、キリロフ氏からは嫌われた様でござるが。」
「それってブラフでしょ?どこまで見られて聞かれているか探る為の。行動を起こすなら既に起こしてるだろうし、ここに来るまでの宇宙引き回し中や中露宇宙ステーション内で方針は決まってないとおかしいよ。更に言うなら地上で何をして来いと言う命令が出てるはず。それを実行せずに大人しいなら今の所無反応が最善かな?」
「目の死んでない捕虜同士の話し合いは避けるべきだガ、起こす行動としても限られていル。拘束するにしても先手を打つ理由がない以上缶詰が妥当だろウ。」
「それか一番ヤバい実験に使うかだね。やるやらないかの判断は状況次第とされたけど、今の状況ならGOとも言える。」
「それは・・・、ゲートによる統合基地帰投実験ですか?」
「そう。あんまりやらせたくないけど今の状況ならGOと言える生贄もいる。悪いけど、元からのメンバーと彼等なら私は彼等を使うよ。まぁ、引率として一緒に入るけどさ。」
この実験にはいくつかの状況別段階があり、最高の状態はソーツが現れて本人達に質問し太鼓判を押してもらう。それならなんの憂いもなくゲートに入り基地を目指せばいい。次の状況としてソーツは来ないがゲートに外観的な異常が見られなかった場合。重大なエラーが発生していないと言う予測の元、ゲート内に侵入し統合基地到着までの時間と変化があれば記録する。最後にゲートに対して異常を確認した時。この場合S・Y・Sは即刻帰投してゲートの経過観察を行う。
中露宇宙ステーションのゴタゴタでもしかしたら藤が入ったかもと考えもしたがS・Y・Sにカーボンナノチューブ製のワイヤーロープは搭載されており、ゲートにはまだ誰も入っていない。当初の予定なら一番生存率が高く対応力のある俺が入る予定だったのだが、使えるなら別の人を送り込むのも吝かではない。
まぁ、ゲートは大丈夫だと思うよ?外観的な異常もないしソーツが来ないからエラーもない。通信にしても地球との通信設備も整えたから話せない事もない。問題は距離と時間である。月まで地球から歩くとすれば約11年、明らかに早い馬でも日本から米国まで約5〜8時間。それを考えると、ね。最悪近くのゲートを探して16階層から退出ゲートで退出してもいいし、脱出アイテムを使い出て来てもいい。
嫌なのはゲートに新たに搭載された防犯システムが誤作動しないかとか?流石にセーフスペースを進むのでモンスターの持ち出しはない。ないのだが、地球外にある以上何が誤作動の引き金になるかもわからない。チキンと言うなよ?死なないと言う事は永遠の彷徨い人コースもあるんだからな?
中で何か司令を受け取って行動を起こす?その場合宇宙に叩き出す。卒業式に出れないのがほぼ確定状態なのだからわざわざイライラさせるなよ。予定では既に実験進めて問題なければ卒業式にもタイトだが間に合う予定だったんだからさ。
「ゲートは一旦横に置いて月行きから初めませんか?他の研究者の方達は牛や豚の受精卵の経過観察を行っていますし、ビオトープ型受粉システムも稼働させてますよ。」
「ビオトープ型のやつってアレでしょ?白詰草とさつま芋を大量に育て養蜂するやつ。温度変化やライトで擬似的に昼夜や四季を作ったりして生産性を確かめるとか。」
栽培方式にも一悶着あったと聞いてるな。水耕栽培を押す組と土と合成肥料マシマシの土壌で育てる事を押す組。結果として水耕栽培では稲等や根菜類が育て辛いとしてビオトープ型農園が作られたが、イチゴなんかは水耕栽培だし果樹はミカンなんかの背が低くとも育ちやすい物が採用された。因みに白詰草もさつま芋のツルも人が食えるし牧草にも出来るからと採用を後押しされたな。
セクター内に入る時は土足厳禁で消毒と素足が推奨されていて、とても綺麗な所である反面虫達の楽園なので長居すると蜂に刺される。まぁ、ビオトープ型を歌うだけあって空には蜂、地中にはミミズ、小川風の水源地には魚に見えない分解者達が生態系を作っている。
「あの土も高級だと聞いたナ。なんでも選抜に膨大な時間がかかったとカ。」
「腐葉土にしろ赤玉土にしろ、どこまで人の手を加えて手を抜くからしいですよ?ゲートのおかげで食べる物には困りませんけど、そればかりでは飽きてしまいます。でも、慣れると割と草と馬だけでも気にならなくなってきますね!昨日何食べた?馬と草、なら2ヶ月前は?馬と草。聞いた人は呆れてましたけど、貴女が思うより健康でした。」
山口がドヤ顔で話しているがその顔がうるさい。年頃の娘なんだからもう少しこう・・・、はい。仕事が恋人状態の山口に何を勧めても無駄である。そのうち人工授精して宇宙ベイビー出産とかしそうだし・・・。いや、その前に職の遺伝とか調べる?どう生きてきたかによって出る職は変わるが、例えば双子なら似たりする事もあるし全く変わる事もある。
環境的な外的要因による職の出方を調べるなんて言う気長な学者もいるらしいが、頑張れば観察対象より後に死ねるので答えは得られるだろう。しかしまぁ、俺も一旦頭を冷やそう。
今が平常運転で中露宇宙ステーションの件は異常。なら、やるべき事から進めて地球からも帰っていいよの返事を早く貰えるようにしないとな。
「そう言えばエマはバイク使った?」
「いヤ、まダ。これから橘と月面降下もあるし返しておこうカ?」
「私の方としてはミッションコンプリートだし、エマ達に随伴しようかとも考えてた。でも橘隊長が待機と言うなら待機で。」
「う〜ん・・・。待機で。暇なのは分かりますけど、信号送信して明日まではここにいた方がいいでしょう。」
月面着陸はお預けらしい。実際俺が宇宙にいる理由ってソーツへの呼びかけがメインだから終われば割り振られたタスクもない。精々誰かの手伝いとかになるのだが、宇宙にまで来て土いじりしても仕方ないし、ゲートへの侵入は流石に今の段階ではやる気がない。仕方ない、宇宙用の魔法イメージでも試しながらゆっくりさせてもらおう。
「了解です隊長。ならS・Y・S内でサポートに回りましょう。降下実験っていつ頃やります?」
「予定がだいぶ狂ったガ、私の方は資機材に問題はないと思ウ。橘の方に問題がなければ開始の指示はそちら次第となるガ・・・、山口は一度付属ユニット含めて点検するカ?」
「想定外の使用と言うわけではないですけど、外観点検等はしておきましょう。藤くん手伝ってもらえます?」
「いいでござるよ。ここにいても暇でござるし、何処にいてもS・Y・S内部なら異常は分かるでござるからな。クロエ殿はどうするでござる?サポートするにしてもまだ時間があるでござるが。」
「そうだね・・・、ちょっと部屋で電話でもしながらゆっくりさせてもらおうかな?」
コントロールルームを出て各々が作業に取り掛かる。部屋に戻る途中で酸欠風な症状が出た奴等を見に行くが、話を聞く限りだと症状は安定しているらしい。時折何かに怯える素振りを見せるらしいが、視界を切り替えても今は宇宙人もいないし宇宙で酸欠なんて言う死に近い状態になったトラウマだろうか?
精神が傷ついたからと言われればそれまでなのだが、生憎とそれを治す薬もなければソフィアの時の様に誰かの精神に入り込む気もない。まぁ、食って寝て遊ぶのが一番早い回復方法なんじゃなかろうか?少なくとも時間をかければ精神も戻るらしいし、反応を示すなら砕けてないのだろうし。
「もしもし莉菜?」
「もしもし司?宇宙ライブはお預けね。また何かゴタゴタがあったみたいだけど大丈夫?」




