572話 よしよし 挿絵あり
植物人間と脳死の違いとは端的に言えば目覚めるか目覚めないかによる。植物状態なら脳幹の多くの機能が残り自分で呼吸できるし、栄養さえ貰えれば人工呼吸器の助けなしに生き続けられる。逆に脳死だと脳幹を含む全脳髄が不可逆的に機能を失った状態で機械の生命維持なしには生きられない。
つまり、ドラマなんかで植物状態と言う設定なのにゴテゴテ機械を付けていたら脳死じゃない?と疑ってもいいし、逆に脳死と言う設定なのに一人部屋で点滴付けて寝てるだけなら、この医者患者殺す気が!と叫んでいい。
そんな大脳半球に機能障害をおこされ覚醒状態が欠如した状態にされたリーに青山が回復薬をかける。これで脳が回復すればリーは自ずと目覚めるだろう。
「気付けもいります?すればすぐに目覚めますけど。」
「いや、勝手に起きてもらおう。さてと、これでリーは起きるとしてテイさんはコレまでこの国以外で活動した経験は?」
「ない。この歳になるまでこの国以外での活動などした事がない。」
そうテイが言い捨てるが、それはそれで優秀なスパイなのだろう。ホングヌスの一件で公安は精力的に国内のスパイを潰して回った。そもそもスパイ防止法はなくともそれ以外の法はあるので難癖付けて小さな罪からどんどん傷口を広げる様に探りを入れていけばいいし、反社会的勢力なら捕まえる材料は豊富にある。
そんな中でテイが捕まらなかったと言う事は、情報を盗むにしろ何かを工作するにしろ法の穴を抜けてスパイである事を悟られず、偽装工作を完璧に行い無害な人として擬態する術に長けていると言える。実際、何時だったか伊月がリーの事を半紙に落ちた墨汁の様だと言って来た事がある。
なら、その墨汁がなければテイは白のまま活動出来た。内容が過激ではないからと言って警戒しないわけはない。寧ろ、ノーマークの所から急に現れて背後を撃たれる方が怖いし、これで世論操作とかまでやりだしたら手に負えなくなる。まぁ、今は昔と違って政治家も色々検査と言うか鑑定されたりと大変なようだが・・・。
「なるほど、それは僥倖。1番嫌な手合を仕留めたと思いましょう。なにせ、虎は船を沈められませんがネズミは一匹でも船を壊す。それも静かに確実に。」
「私はただのスパイだ。何を言おうと何もでない。」
「それを評価するのはテイさんではなく、今は私です。虎が彷徨くなら怖いですが見えやすい分行動は読みやすい。真に恐ろしいのは完全に紛れて姿も表さない者ですよ。」
「うっ・・・。」
うめき声が漏れてリーがもぞもぞと動き出した。本当に覚醒はしていないのだろう。薄っすらと開かれた目はまだ。焦点が定まっておらずどこかボンヤリとした印象を受ける。
「ここは・・・?」
「目覚めたかリー。」
「テイ?」
「おはようございます加奈子ちゃん。いえ、リー・フェイシャンと読んだ方が状況理解は進みすか?」
「司さ・・・、ん!?これは!」
「落ち着けリー、お前の思った通りバレた。今は今後を左右する話しをしている。」
「今後?撤退だろう・・・。我々の素性がバレた、そして名も掴まれた。なら、残るは撤退するか・・・、交渉の余地があると?」
一瞬身構えたリーはテイの言葉を噛み砕き姿勢を戻す。ここで短絡的に飛びかかってくるなら張り倒すのも吝かではないが、それをしないだけの理性があるならまだ話を聞く耳もあるだろう。この場合先ほどテイに話した事をまた俺から話すがテイから話させるか?説得力と言うならどちらが上だろうか?
「こちらはファースト直属のギルド関係者として認定を貰う。スパイ活動も自由だそうだ。そして、ファーストはギルドマスターとしてこちらに仕事を出し必要な時に時折情報を渡す。当然祖国の情報は渡さない。それは分かっているな?」
「かまいませんよ。それにスパイ活動で情報を抜かれたら、それは警備体制の落ち度です。大手振って活動すれば流石に咎めないわけには行きませんが、隠れてやる分には私は口出ししません。」
「それは・・・、いや、それなら司はどこの情報が欲しい?今の話ならば日本国内の情報を攫っている様にしか聞こえない。そんなものならファーストと言う名で私達に条件を出すまでもなく掴めるだろう?」
まぁ、当然そこに行き着くよな。しかし、真に欲しいのは民間中位で自由に動き回らせても一定の活動が出来て、何よりこちらから離れられない状況にある者。青山はそれに該当しない事もないが、大分にいる来歴なんかを考えると、どこに出しても相手としては靡かない引き込めないなら、技術指導を受ける以上の事はやる意味がないと何1つ情報を貰えずに帰ってくる事が考えられる。
寧ろ青山に『なにか情報待ってきて。』『分かりました!』そう言って飛び出して行った先で何かしらの問題を引き起こさないとも限らない。人なら優先事項を組み立ててその場の対応と言うモノも出来るだろうが、奉公する者が絡むと暴走列車並みに突っ走ってスパイなんて出来ないだろうしな。
「私が欲しいのは海外の動向ですよ。別にそれは政治的なモノではなく、そこに住む人達の生の意見がね。何か情報を取ってこいと指定する事はほぼありませんが、旅行話を話しに来る感覚で話して貰えれば結構です。まぁ、直属関係者とするのでどこかの時点で時枝 加奈子は中位であると発表しますが。」
「それは・・・。」
リーが考えあぐねテイを見る。力関係と言うか別任務と言う割にはリーはテイを信頼している様だ。多分、スパイとしてはテイが長くこの国にいて活動方針的なモノはテイが持っているのだろう。そう考えると先にテイが折れた状態なのは好ましい。
「構わない。但し、それは専属となってある程度の期間があいてからとしてもらいたい。流石にすぐに発表と言うか大々的に動かれてもコチラとしても困る。」
「いいのかテイ、目立つぞ?」
「対象と共に目立て。その功績を上げる過程で中位に至り直属部下となったとする。筋書きはその辺りだろう。」
「ええ。新人スィーパーが功績を上げ至り中位となる。ヒロイックで刺激的でしょう?別に誰も彼もゲートに入れとはいいませんが、それでも夢を見せられる次世代のニュービーは必要なんですよ。この国としても世界としてもね。」
こんな工作しなくとも入る奴は勝手に入る。でも、世界を年寄りだけで回すのは違う。何時だって新しい事は若者から始まり流れが出来るのだからそれを始める若者がいないと始まらない。その為の小さな一歩にでもなればいいな、中身はバリバリの大人で軍人だけど。
「受諾するのかテイ?」
「そちらの任務にも千載一遇のチャンスで私の方としても活動に支障はない。なら、この取引を受けて互いに利益を出す。バレたとして祖国に出す損害よりも余程スパイとしては有益だ。考えても見ろ、我々がこれから強制送還されれば更に祖国の立場は危うくなる。」
「そうですね。バレて帰えれば一生牢獄か日陰者として文字通りゲート内の薄暗がりで過ごす事になるでしょう。姿は時枝 加奈子として、日本人である限りは簡単には手を出させませんよ。」
「・・・、分かった。その話を私も受けよう、これからは?」
「帰ってもらって結構です。息子達としては、いきなり倒れて私が連れて行ったと言う状況ですから元気だとでも連絡しておいて下さい。」
話はまとまり時枝達を解放する。一応の備えとしてバイトに見張りをさせるが、この期に及んで国外逃亡もないだろう。仮に逃亡したとしても行く先は祖国でもなければどこかの未開の地。なにせバレた時点で彼奴等には後がない。さてと、このまま防音室で電話するか。
スマホを手に持ち電気を流す。流石に今通信傍受をしているとは思わないが念には念を入れないとな。さっきの今までスパイに気づいていなかった訳だし。
「もしもし増田さん?クロエです。」
「もしもし?クロエですか?いつもよりクリアな音の様な気がしますが?」
「あぁ、魔法通信だと思ってください。ところで渡したスパイってまだ健在ですよね?」
「ええ。メインは軍関係の情報収集なので簡単にはバレません。それがどうかしましたか?」
「テイ・ユウファンとリー・フェイシャン。リー・フェイシャン・・・?取りあえずこの2人が情報を持ってくる時はそちらのスパイを使い回収して廃棄でもさせて下さい。」
「ふむ・・・、スパイをどこかで捕まえたと?こちらへの引き渡しは?しかし、リーは中国国内から出ていないとされていますが?」
「拒否します。この2人は私の方で預かる予定なので。そうか、リーは前テレビで見たリーか。かなり前で忘れてた。」
確か中国にいる中位の1人でゲート内活動をメインにするとかニュースで言ってたな。つまり、国を上げて偽装工作してこちらに送り込んでいたと。まぁ、そのせいで1年近く見つけられなかったし、何より息子達には友人として受け入れられている。そうなると、まだ協力者もギルド内にいそうだが、そこは警戒させてもらおう。
「・・・、また中位を駒にですか?勝手な戦力増強はこちらとしても怖いのですが?」
「よく言うでしょう?強い者の周りには強い者が集まると。最強を自負する気はありませんが、対外的な評価はそれです。なら、仕方のない流れでしょう。取りあえず、その2人からの情報はそちらのスパイで歯止めする、お願いしますね?」
「分かりました、ただなにかする際は必ず先に連絡して下さい。」




