閑話 82 板挟みのため息 挿絵あり
この国に来てどれほどの時を過ごしたか・・・。私は間諜である。元々軍でも出世には興味なく友人も少なく世捨て人の様に日々を過ごしていた。だから国を出る事になんの抵抗もなく、愛国心なんてものははなからない。ないのだがぼちぼち優秀だったのが災いしたのか、私は日本に来て現場指揮をする事になった。
最初にスパイをやれと言われて連れて来たのは10名。そのうち半数は私の手を離れロシアとの共同スパイ組織に入れ、ロシアと日本の両方から情報収集をするよう命じた。そこでため息か1つ。組織そのものの運営は悪くなかったし、上がる情報も精査半ばで祖国に送ってよかった。当然と言えば当然だがどの情報を上が必要とするかは分からない。
なので情報は確認して本当に不要と・・・、例えば誰が昼に何を食ったなんてものは廃棄した。まぁ、どの議員とどの議員が共に飯を食ったと言うのは残す。それはそこで密談が交わされた可能性があるから。その5名はいい。食い扶持にしても共同組織故に監視の目はあるもののソコソコ資金は潤沢だ。
貧乏籤と言えば私と共に行動する事になった4人。東京方面は共同組織でカバーするとして残りの人間で地方を回る。寒いのと暑いのどちらがいいか?その問いに寒い方が良いと答えた人間は北へ。暑いのがいいと答えた人間は私と共に南へ来た。雑な決め方だろうがこれでいい。下手に理由をつけて割り振ればその理由から辿られる可能性もある。なんなら希望など取らずにくじでさえよかった。
まぁ、私は寒いのが嫌いなので南一択だったが・・・。私以外にもこの国に来た間諜は多いと聞くが、誰がそうなのかは分からない。笑える話だが隣の席の老人が同国の間諜だろうと分からない。知っているのは祖国の上層部のみ。そうでもしないとバレた時に芋づる式に全員が追い出される。それは避けなければならないので、私も含め全員この国で秘密裏に顔を整形した。
既に北に行った人間の顔は分からず、共同組織に行った人間の今の顔も分からない。まぁ、共同組織潰れちゃったんだけどね!?いやぁ参った参った、参りました。日本の警察・・・、公安は優秀である。特に今の室長になる前のチヨダは最悪だった。何度誤情報を掴まされて煮え湯を飲まされたか・・・。
この国はスパイには天国に見えるが、内情は違う。例えば目の前で堂々と諜報活動を行った書類をやり取りしても、ビジネススーツを着てどこかの営業マンに成り済ましていれば疑われない。どこかの議員に賄賂を渡して便宜を図ってもらおうとも、バレるまでには猶予がある。問題は複雑で誰も真実を知らない事だ。
正しい情報を掴んだと思っても微妙にニュアンスが違ったり、そもそもそれ自体が間違いだったりするから質が悪い。現場レベルでの精査には限界があり結局は祖国に送って判断して貰うしかない。まぁ、この国の人間がブチ切れるポイントをさえ押さえればどうにかなる。少なくとも食品系はまともなモノを取引しないと瞬間湯沸かし器並みの速度でこちらの息の根を止めに来る。
報道の火消しに奔走したのは面倒な記憶だ。まぁ、芸能人の不倫記事を流せばそれで少なからず注目はそちらに行く。それ以外にも、一度活動資金を得る為にこちらに来てすぐの頃、アルバイトをしていて先輩に飯を奢ってもらったが、口に合わず不味いと言ったら2度と奢って貰う事はなかったし・・・。まぁ、過去はいい。共同組織の5名は祖国から死亡したと聞かされたので最悪なチヨダに始末されたのだろう。
トカゲは死なない為に尻尾を切って逃げるが、私はその切られた側の尻尾でありたい。本体は大きすぎて直ぐに見つかるし、何より肥大化した組織と言うのは目に付く。その隙に意思のない尻尾は勝手に逃げればいい。そして、逃げて隠れて昼行灯の様に無害でうだつの上がらない様を装えば、この国では大丈夫な人と言うレッテルが貰える。
少なくとも会社員をした時にそれは学んだ。やたらと優秀でミスなく仕事をこなせば重用され出世も出来る反面、間諜としては動きづらくなるし、些細なミスでさえ『えっ、あの人が?』と変に印象に残る。それでもパイプにコネに面識と工作を行うならぼちぼちと仕事はする。
優先事項はテレビ局関係が多かったな。私自身の肩書は輸入雑貨取り扱い人としてあるので、テレビ局に撮影用の備品を卸すと言う名目で出入り出来ていた。今では簡単にはネットで手に入るので趣味の代物だろうが、それでも金を持つ人間は何かしらの美術品やらお気に入りの家具や食器を欲しがる。
紹介にツテ、或はカタログを作っての売り込み等をして行けば自ずと話の幅は広がるし、六次の隔たりという訳では無いが知り合いが多ければ多い程、私と言う人間はこの国に馴染む。ただ、それだけでは活動資金としては心ともないので祖国に無心したが、安全な受取方法を確立出来たらいいと言われた。
そこで考えたのが個人誌の販売。いわゆる同人誌の即売会での販売。20万以下なら確定申告不要と言う事で、連れて来た2人と共に本を作り現場で必要な分を売り、後はネット販売で国内の間諜に働きかけて買ってもらう。コレは中々面白かった。下手くそな絵と適当な文では売れない、売れた理由が見当たらなければ疑われると私含め5人で必死にアニメ、漫画、ゲーム等々を見て書いた。
努力は実り・・・、寧ろ実らない方がおかしく金は舞い込んだ。ただ、祖国のバカどもはコレに目を付けて売れて行くとともに人のサークルを勝手に情報交換の場にしやがった。私は拒否したが、多分漫画の話をしながら時折交換される紙は指令文書なのかもしれない。
サークル活動はぼちぼち軌道に乗りつつも、有名になりすぎてもいけないと祖国に打診し、ならサークルを寄越せと言うのでサークルの看板を渡し、2人をサークル管理者として残した。これで手駒は2人となったが別にいい。管理する人間が減れば私は楽が出来る。サークルを抜けた後は元の輸入雑貨個人営業主に戻りつつも、見返りとしてソーシャルゲームマーケティング要員の肩書を貰った。
コレにより働かなくてもぼちぼち金は舞い込むし、遊び歩いてもマーケティング費用の1言で片がつく。何せ本社は祖国にあり、日本の状況なんてサブカルチャー的な物は筒抜けだ。まぁ、サークル活動をしてソコソコ安全に金をやり取り出来る方法が見つけたと言う功績が大きいが。
そんな悠々自適な生活をしつつ、火消しや情報収集をしていたさなかにゲートが現れ世界が変わった。当時日本にいた工作員は多かったと聞くが、大きな組織との繋がりを持つ者が多くスパイ一掃作戦とでも言えばいいのか、前任と後任のチヨダが洗い浚い組織を潰して回った。無論ウチの国だけではなくどの国のモノも含めて・・・。
私と共に行動していた者は、それぞれの関わりを途絶状態にしていたので何処にいるかは把握していても接触はなく、ほぼ個人単位で動いていたので難を逃れたし、資金にしても黒い金や不明な金の流れが無い様に徹底的に工作したので大丈夫だった。
こうなると見越していれば、残りの2人も人材派遣会社の要職とテレビ局の職員に据えれば良かったと思ったが、テレビ局側には既に他の間諜が居るから不要と言われていた。まぁ、その人間が今もテレビ局にいるかは分からない。
ゲートが出現してすぐの頃に私も2人を連れ中に入り1人は死亡したが2人で生きて帰る事は出来た。弔いに吸わせた中華は美味かったのだろうか?そこからは色々と大変だった。月日が流れるごとに新たな情報は行き交い、行き交えば行き交うほどこの国は牙を剥いてきた。間諜には寒い時代だ。情報管理された国と言うのはどんなに気をつけようとも買い物するだけで映像は撮影され、カードを使えば買った物さえ把握できる。
祖国としても潮目が変わったと思ったのか、新たな間諜は送られず、日本国内の人間を使い回すと言う話で決着が付いたと聞いたが、聞かされると同時に間諜のかの字も知らない小娘が送られてきた。名をリー・フェイシャンと言う。歳で言えば・・・、私が結婚して娘がいたならちょうどこれくらいか?迎えに行くのは草臥れたが家族としてこの国で暮らすならそれらしい行動も取ろう。
リーの任務は対象、工藤 結城を通してのファーストの観察だと言う。私達とは全く違う任務なので余程の事がなければ、こちらから彼女に対して要請する事はない。ハッキリ言えば彼女は同居人であり私達からすれば異物だ。まぁ、この任務要請に当たり残り1名は町全体の情報収集を命じたのでぼちぼち奔走しながら情報を持ってきてくれる。
「ロシアが情報収集を売った?それは・・・、別に全てと言う訳でもないのだろう?」
「違う。正しくは情報提供に応じて貸しを作ろうとしただが、子供を・・・、職に就けない人間を使った実験をしていたと聞いている。」
「それとファーストの所在がなぜリンクする?」
「モンスターとの人体結合実験。うちの国の金持ちとあちらの国の金持ちが永遠を欲して共同出資した。その実験のさなか結合体一体が脱走しゲートからの退出不可能と言う名目で捜査打ち切りになっていたんだ。ロシアが寄越したデータでも結合体の長期生存は不可能としてあった。」
「まさかそれを?」
「内通者の雪城がファーストの妻からゴタゴタがあってラボにいると連絡を受けた。それより数刻前に現チヨダ室長と旧チヨダ室長が共同組織ホングヌス関連で再調査を開始し、それより数刻後副官房長官松田と元外務省所属加納本部長が外務省を緊急ガサ入れした。」
「ロシア系の情報を漁ろうとしてあるのは分かるが、壊滅した組織の再調査と内通者探しだろう?結合体の話に繋がらない。」
「結合実験の現場運用者はアガフォン。コレはその任務に就く前はホングヌスの幹部をしていた。つまり、少なからずチヨダと関わりがあり結合体とも関わりがある。日本ロシア大使が釣り好きでアガフォンは毎回大使が釣りに行く前・・・、少なくとも数日から1週間前にはそこで釣りをしていたらしい。」
「それで情報交換をしていた可能性があると?無理だろう。流石に釣り場に何かしらの情報媒体を置いたとしても、回収までに時間がかかりすぎる。」
「私も当初そう考えていた。ハッキリ言えば私は君とは違い祖国になんの感情も抱いていない。」
「同志テイ!それは!」
「熱くなるな小娘、それではスパイにはなれない。祖国の国旗を切り刻んで笑いながら燃やすくらい出来て半人前だ。」
「裏切る気か?」
「違う。それは面倒なだけだ。ロシア側から大使が釣りに行く時は愛人を連れて行くと言う話があったので、祖国の情報局が映像を取り寄せて多方面から緊急精査した結果、高確率で加納本部長の可能性があると出た。考えろリー。相手は魔術師:水の中位だ。」
ここで更にため息。馬鹿な子ほど可愛いとはこの国の言葉だったか。私の言葉でハッとした顔になるが自身が中位な分、その脅威を想定しているのだろう。どこで釣りをしたか知らないが、下手をすれば湖底や海底に沈もうとも人一人で回収出来てしまう。
「仮にその結合体が見つかったとして、祖国と同盟国はどの程度不味くなる?」
「正直分からないと言うのが情報局の回答だ。少なくとも実験した国は顰蹙も買うし、モンスターと人が戦うと言う話をする中で結合したモノが、モンスターの力を持つ新たな種族として名乗りを上げれば混乱は必須だろう。」
「待ってほしい、その結合体は死に体の状態だったのだろう?助からなかったとする可能性は?」
「助からなかったならゴタゴタで帰れないとは連絡はしない。希望的な可能性は最初に捨てろ。それは判断を鈍らせる。すぐさま誰かが動くとは思えないが最悪は想定するしかない。ファーストの持つ薬、それの最上級は?」
「まさか・・・、蘇生薬?それを使ったと想定するのか?見ず知らずの他人に?発見報告のまだないそれを?」
「過去にスレイシスと言う男は不死の薬を飲んだ。それの出所は不明だが、あの時点でそれを売るなんて言う酔狂な人間は1人だろう?」
「ファーストか・・・。」
「そう。我々の方針としては結合体が何らかの形で生きていて、それをファーストが確保したものとして動く。」
面倒だ。この国は平和で金があれば不自由はそんなにない。静かに暮らしてもいいし、無能を示してそのまま忘れさられても良かった。しかし、なんの因果かこうして指令は来てしまった。まだ実働の指示はない。我々が動くのは最悪中の最悪だ。しかし、リーは違う。姿を変えられる彼女はファーストからその結合体を奪ってこいと無茶を言われるかもしれない。・・・、私もヤキが回ったか?他人にも国にも興味のなかった私が。




