01 毛玉の優雅な魔境生活
瞳に映す。眼に収める。
カシャン、カシャン、カシャン、と。
一枚ずつ。一瞬ごとに。
まるで写真でも撮るみたいに、ボクが視るすべてを記憶していく。
あるいは、記録しているのかも知れない。
そいつは、ずっと密かに蠢き続けていた。ボクの内に現れた時から。
一度だって解放はしていない。
嫌な予感、背筋が冷たくなるような禍々しさまで覚えたから。
その選択は間違っていなかったはずだ。
だけど、眼を閉じたまま生きていくのは無理だった。
そもそも、気づいたのだって、つい最近になってからだ。
例えるなら、体内に潜む寄生虫やウィルス―――、
異常が起こらなければ、その存在を感じることさえない。
だから、まあ―――放っておくしかない。
無害だ。当面。いまのところは。
そいつに、頼らなければいいのだから。
たとえコツコツと積み重ねて、なにもかもを巻き込んで、
”破滅”へ向かおうとしていても―――。
その”いつか”は、ボクの意志で選べるのだから。
◇ ◇ ◇
ひゃっほーい!
思わず小躍りしたくなる。
実際、甲冑の中で小躍りして、ちょっぴり妙な動きを見せちゃったよ。おかげで「呪いの鎧が勝手に暴れて」っていう余計な中二病的設定がまた増えた。
だけどまあ、毛玉だってバレるよりはいいよね。
帝国騎士の人たちも納得してくれたみたいだし。
哀れみ混じりの眼差しもあった気がするけど、忘れることにしよう。
ルイトボルトさんだっけ? あの人は、いいひとだ。
ニワトリを譲ってくれたし。
これからの取引やら、あれやらこれやらの打ち合わせをしたんだけど、その際に、お土産を渡してくれた。
正式名称はドムドムン鳥とかいうらしい。
ジェットストリームアタックとかは使わない。
渡してくれたのは二羽だけ。大人しくて、見た目は完全にニワトリだ。
雄と雌の区別はない。ツガイがいなくても、勝手に増えるそうだ。
普通の白いタマゴは毎日のように産んでくれる。そっちは食用になる。
一ヶ月に一個か二個、黄色のタマゴを産んで、そっちからは雛が生まれる。
便利だね。
正しく、人間に飼われるために生まれてきたような鳥だ。
でも冷静に考えると、この繁殖力は怖いかも。
単体生殖ってそれだけでホラーでしょ。
まあ、増えすぎないように気を配っておけば大丈夫かな。
他にも小麦粉やら蜂蜜やら、貴重な食材を持ってきてくれた。
いや、小麦粉はあんまり貴重でもないか。
だけど苗とか種とか、そういった物品はさすがに持ち込まれていないらしい。
栽培までしてる余裕はないってことだね。
ボクの方の拠点だと、最近は野菜も採れるんだけどねえ。
アルラウネが頑張ってくれてるおかげで、食生活の改善は進んでる。
そこにタマゴも加わった。
残念ながら牛乳とかは手に入らなかったけど、ここまで食材が揃ったんだから挑戦しない訳にはいかない。
お菓子作りだ。
タマゴと小麦粉を混ぜて、少々の蜂蜜で味付けして、しっかりと掻き回す。
あとは薄く広げて焼くだけ。
果物でジャムも作れるから、それを包んで出来上がり。
生クリームがないのが残念だけど、とりあえずの形にはなってる。
『これが、クレープというものですか?』
いいえ。実はもっさりした卵焼きです。
うん。やっぱり牛乳やバターが無いのがマズかった。
乳製品の偉大さを思い知らされたよ。
おまけに、小麦粉が所々でダマになってる。元から粉の質がよくなかったのも原因だね。
あと、なにより足りないのは砂糖だ。
大陸では作られてるって話だから、その内に手に入れたいね。
だけどまあ、タマゴとジャムの組み合わせは悪くない。
食感はいまひとつだけど、一応はお菓子になってるよ。
アルラウネやラミアの子供たちには、そこそこ好評だったし。
次はクッキーにでも挑戦しようかな。
オーブンもちょっと手間を掛ければ作れるでしょ。
パサパサのクッキーになっても、子供なら喜んでくれるんじゃない?
むしろ、あんまり贅沢を覚えさせるのもよくないかも。
甘やかすのは禁止で。
って、なんで子供の教育方針まで考えてるんだろ。
どうでもいいよね。お菓子は大切だけど。
ともかくも、しばらくはのんびり過ごしたい。
人間との取引も順調に滑り出したし。
少し面倒事も増えたけど、平穏って言えるくらいだし。
魔境とか呼ばれてる島でも、やっぱり生活の潤いって大切だよね。
ファイヤーバードとの戦いは一大イベントだったけど、その後、ボクの拠点に大きな変化は起こっていない。
籠の中で赤鳥がピーチクパーチクうるさいくらいだね。
餌をやるとひとまず大人しくなる。
たまに散歩もさせてる。
散歩というか、空中遊泳?
人間の感覚だと逃がしちゃうのが怖いけど、ボクやメイドさんたちだって飛べるから問題なし。
アルラウネやラミアも通常運転。
人間と喧嘩したって話も聞かないね。
そう、人間だ。
いよいよ本格的に人間との交流が始まろうとしてる。
まだ大きな変化とは言えないけど、若干、拠点内でも困惑した空気が流れてる。
ボクはあんまり気にならないんだけどね。
魔獣でも人間でも、誠実な取引ができるなら大歓迎だし。
ボクが魔獣だってバレなければ、上手く付き合っていけるはず。
きっと。たぶん。希望は捨てない。
べつに仲良くしたいワケじゃないんだけどね。
むしろ放っておいて欲しいくらいだし。
独りの部屋でゴロゴロしてるのとか大好きだし。
暇潰し用の本でもあれば、もっと良かったんだけどね。残念ながら、そういう娯楽用品は街の方でも貴重らしい。
でも、この世界の事情とかも少しずつ掴めてきてる。
このムスペルンド島はずっと人の手が入っていなかった。北には大陸があって、大雑把に言ってしまえば東西の国家連合同士で啀み合っている。
ボクたちと交流があるのは西側だね。
西側の大国、ゼルバルド帝国。大陸の半分近くを占めてる。
もうひとつ、西側南端のリュンフリート公国も、この魔境の探索に協力してる。
公国の方は比較的小さな国で、ほとんど兵力を出す余裕はないそうだ。だけど海に面しているから、物資の輸送では重要な役目を負ってる。
まだ確定情報じゃないけど、どうもこのリュンフリート公国が、ボクが使い魔として呼び出された場所みたいだ。
機会があれば、戻ってみるのもいいかも。
使い魔”候補”から抜け出すのは抵抗あるけどね。
だって使い魔って、下手したら使い潰されそうなイメージあるからねえ。
簡単に考えるなら、ペットか奴隷?
一部の業界の方なら喜びそうだけど、ボクにはそんな趣味はないし。
ただ、相手次第では協力くらいならしてもいいかなあ、とは思う。
衣食住と、おやつと、お昼寝できる生活が保障されるなら。
そりゃぁいざとなれば、雑草から『吸収』してれば生きるのに支障はないんだけど、やっぱり一度贅沢の味を覚えちゃうと、ねえ?
時折、無性にジュースとかお菓子とかラーメンとか食べたくなるんだよね。
まあ使い魔云々は後回しだね。
それよりもいまは、この魔境での、人間との取引だ。
面倒な部分もあるけど、得られるものも大きい。
他人任せで色々な物品をゲット。これが理想だね。
ボクが出て行くのは最初の挨拶くらいでよさそうだし。
細かい部分はメイドさんに任せて大丈夫そうだし。
冒険者ギルドとの遣り取りも、ほとんど丸投げしちゃったからね。
いまは城壁上から、建築途中のギルド支部とやらを眺めてる。
帝国軍の一団はいくつか話をしただけで帰っていった。
どうやら冒険者ギルドとやらは、同じ帝国に属していながらも、けっこう独立色の強い組織らしい。
まあ、冒険者には荒くれ者が多いみたいだし、さもありなん。
土木作業をやりながら、うおー、とか、ぶおー、とか汗臭い男たちが暑苦しい声を上げてる。
『外部見張り塔の設置が完了しました。冒険者が常駐できると同時に、強力な魔獣が接近した場合、自動で信号を発する仕組みになっております』
折角、人が増えることになったので、周辺警戒の手伝いをしてもらうことにした。
こっちには、地下ダンジョンを管理してたメイドさんがいるからね。
そこに少しだけ冒険者たちの手を貸してもらう。
まずはメイドさんに頼んで、監視用の魔法装置みたいな物を作ってもらった。
見張り塔に設置して、冒険者にちょこっと魔力供給をしてもらえば、自動で周囲に警戒網を張ってくれる仕組みだ。
もちろん、細かな仕組みは冒険者側には秘密だけどね。
取引はしたいけど、やっぱり人間相手には警戒が必要でしょ。
こっちの手の内はなるべく晒さない方向で。
だけどまあ、ちょっと楽しみでもあるんだよね。
『支部代表の方が、また面会を求めておられます。如何いたしましょう?』
直接に会うにしても、ボクは甲冑に隠れていられる。
なんていうか、背徳的なドキドキがある。
仮面舞踏会的な? ペルソナ的な? コスプレ、はちょっと違うかな。
普通の人付き合いは得意じゃないんだけどねえ。
飽きるまでは、真面目な紳士バロールさんを演じてみるつもり。
黒甲冑に身を包んで拠点を出る。
湖のある東側が正門で、そこから少し離れた場所が、ギルド支部の建設予定地になってる。
森を拓いて整地するのだけ、こっちでも手伝った。
メイドさんの重力魔術で、ちょちょいっと。
それでも周囲の木々は残ってるので、建物が完成すると、森の中に建てられた一軒家みたいな感じになるのかな?
いや、一軒じゃないけどね。
ギルド支部と、宿屋を並べて造ってる。
けっこう大きな建物になるっぽいけど、それでも作業は順調みたいだ。
「これはこれはバロール様、わざわざお越しいただき、ありがとうございます」
監督役としてやってきたギルド職員さんは、やたらと腰が低い。
背は高いけど細身で、目も細い。いつも愛想笑いを浮かべてる。
ただの事務員だそうで、荒くれ者をまとめるのには不向きにも見える。
前に来た代表者のリステラさんは、腕っぷしでまとめ上げてるような人だったからねえ。
ちなみに、そのリステラさんは大陸の方に戻ったそうだ。
数日前に船が来て、昨日あたりに出航だったらしい。
なにか美味しい物資が届いていないか、確かめたいところ。
「おかげさまで、建設は順調ですよ」
まあ、腕っぷしはともかく、この細目職員さんはなかなかに有能らしい。
ここへ訪れた当日に、ビッシリと書き込まれた行程表を提出してくれた。
こっちが見張り塔を建てたり、整地を手伝ったりした直後に、行程に手直しを加えて、いまは幾分か早目に作業を進めてる。
作業に従事してる冒険者は二十名くらい。
筋骨隆々の男たち、リーダーっぽいスキンヘッドの男、身軽そうな細身の男、給仕役の女性ギルド職員―――、
それぞれに土木作業や周辺の警戒、休憩など、きっしり仕事を回している。
『問題が無いならば、それでいい』
例によって、ボクは魔力文字を描いて伝える。
まだ後ろでメイドさんに控えて貰ってるけど、少しの会話なら出来るようになってきた。
『こちらで出来るのは魔獣の対処程度だが、構わないな?』
「ええ、もちろんです。安全が保障されているだけで、とても助かります」
細目職員さんは、人の良さそうな笑みを浮かべながら何度も頷く。
でもねえ、油断できないんだよね。
実はこの人たちが来てから、夜中に城壁の外をうろつく人影が確認されてる。
手出しはしてきてないから放置してるけど。
『何かあれば、相談に来るといい。私は多忙だが、妹が屋敷にいるからな』
偉そうなことを言って立ち去る。
実際に頼られても困ることが多いんだろうけどね。
ボクに出来ることと言えば、毛針を飛ばしたり、魔眼を撃ったり、魔力ビームで薙ぎ払ったりするくらいだし。
暴力的だよねえ。
こういう魔境で生き延びるには役立つんだけど……。
そういえば、人間社会的にはボクの地位ってどうなるんだろ?
少なくとも、この拠点を建てた土地に関しては権利を主張してもいいと思う。
拓いた土地は当人のもの、みたいな法律がありそうだ。
財産はすべて国家に属す、なんて言われたら違うんだろうけどね。
そういう国とは縁切りするのを即断させてもらおう。
でも土地を持ってるからって偉いとは限らないんだよね。
細目職員には様付けで呼ばれてたけど、さすがに貴族って訳でもないし。
そもそも戸籍とか、身分証明みたいなものは持ってないからね。
何処の国にも属さない辺境領主? 豪族?
そんなあたりかな?
偉そうな肩書きは、在ると便利なのかな?
まあ、人間と付き合っていけばハッキリするでしょ。
なるべく良い地位を確立しておきたいね。
そうすれば、部屋でゴロゴロする時間もたっぷり取れそうだし。
いまはちょっと忙しくなってきたけど、良い方向に転がってると思う。
冒険者ギルドは、けっこう大きな組織みたいだし、そこと仲良くしておくのは悪いことじゃないでしょ。
持ちつ持たれつ。
でも寄り掛からないくらいの距離感が大切なんじゃないかな。
そういうのは苦手でもあるんだけどね。
それでもいまは、もう少し自分を鍛える時間が欲しい―――。
なんて、考えてた。
なのに、その日の夜、向こうから動いてきた。
『ご主人様。城壁を越えて忍び込もうとした冒険者を一名、捕らえました』
ああもう。
なにか企むにしても、もっと慎重に動こうよ。
こっちはのんびりしたかったのに!




