幕間 とあるギルド受付嬢の冒険
ちょっぴり増量です。
「リステラ、いい話があるんだ」
背後から掛けられた陽気な声に、拳を握り込む。
現役時代なら、即座に振り返って殴りつけていただろう。
反応が鈍ったのか、判断力がついたのか。
どちらにしてもあまり喜べたものじゃない。
やっぱり私は、魔獣どもと殴り合ってる方が性に合ってるね。
ギルドの受付嬢なんてガラじゃない。
「いい話? 今度はどんなクソ話に引っ掛かったんだい?」
溜め息を堪えながら振り返る。
そこには、悩みなんてひとつも無さそうな中年男、ドノバンの笑顔があった。
小太りで愛嬌があるとも言える。
商人だったら客受けはいいだろうさ。
でもこれで冒険者ギルドの支部長だって言うんだから、うんざりを通り越して呆れちまうよ。
「この前は幸運を呼ぶ人形だったか? で、その前はカルマが上がる御守りだっけ? テメエはどんだけ騙されりゃ気が済むんだよ」
「いやいや、どれも騙される一歩手前で済んだだろう?」
ドノバンは悪びれもせずに笑う。
まったく懲りていないようだが、確かにコイツは、いつも深刻な事態に追い込まれる一歩手前で踏み留まってやがる。
運に恵まれてるんだろうな。
怪しい話を持ってきては、周囲から止められるのを繰り返してる。
そのくせ、本当に美味い話にはすぐに飛びつく。
そんな運の良さもあって、支部長なんて地位にも就けたんだからな。
「今度は騙される余地なんて無いんだ。なにせ、首都のギルド本部が持ってきた話だからね」
「あん? それって要は命令ってことだろ?」
「ま、まあ、そうとも言うんだけど……」
ドノバンが言い淀む。
どうやらコイツも、本部の命令が厄介事ばかりなのは理解しているらしい。
だが、いい話でもある?
どういうことだ?
「ムスペルンド島へ、冒険者をまとめて送り込む計画があるんだ。それで、新しく建てるギルド支部の職員を何名か出さなきゃいけない」
「……ムスペルンドって、あの”最後の魔境”か?」
「ああ。危険な場所だ。だから俺も悩んでるんだけど……」
ドノバンは笑ったまま表情を曇らせるっていう器用な真似をする。
初めて見る表情、ってワケでもないね。
たしか、問題のある冒険者を除名した時も、こんな顔をしてたっけ。
コイツなりに、”冒険”の危険性を理解してるってことか。
「断れなかったのかい? あそこはまだ探索すら進んじゃいないんだよ」
「そうなんだけど……最近、帝国が前線となる街造りに成功したらしいんだ」
「王国としても遅れは取りたくない、と?」
「聖教国が随分と乗り気らしいんだ。だから、東方同盟でそれなりの兵を出すみたいだよ。冒険者ギルドだけ何もしないって訳にもいかないんだ」
けっ、と吐き捨てる。
お国様の事情なんざ知ったことじゃないさ。
あたしは冒険者なんだから……と、今は引退した身か。
だけどまあ、冒険者だったとしても国からの命令となれば、完全に無視はできないからねえ。
ドノバンみたいな気弱な支部長が断れるはずもないか。
「仕方ないね……何人出せって言われてるんだい?」
「最低でも、冒険者を合わせて三十人は……」
「十人に負けてもらいな。元金クラス冒険者が指導に当たるって言ってね」
「じ、十人かい? それはさすがに……」
「そのくらいの気迫で交渉しろって言ってんだよ。大人数になれば、あたしだって面倒見るのは大変なんだからね」
あたしだけなら断ることも出来た。
だけど、あたしは根っからの冒険者なんだろうね。
最後の魔境―――なんとも、胸が躍る言葉じゃないか。
引退した身だが、体も装備も手入れは怠っていない。
休日には、近場で魔獣狩りをするのがあたしの趣味だ。
それでも手応えのある戦いはご無沙汰だったからね。
久しぶりに暴れるのを楽しんだって、責められはしないだろう?
ムスペルンド島へ渡ってからの生活は、なかなかに刺激的だった。
昼も夜も関係なく魔獣が現れる。
兵士も冒険者、教会の神父や商人まで迎撃に大忙しだ。
まともな建物すら出来てない状態だったからね。
仮設のギルド支部が建てられた日には、絶滅したとされるオーグァルブの群れが襲ってきた。
亀みたいな甲羅を持つ豚どもは、魔獣にしては知恵が回る。
加えて、女の敵だ。
オスしかいない種族なので、多種族の女を攫って卵を産ませる。
一人に何十個、何百個と。
そうして爆発的に数を増やすから、殲滅するのも難しい。
だが一匹でも取り逃がす訳にもいかない。
あたしもギルドの受付嬢として拳を振るったさ。
オーグァルブどもの息は臭いが、甲羅をブチ割ってやるのは心地良い。
やっぱり実戦ってのは楽しいね。
生きてるって実感するよ。
怪我で引退したとはいえ、短時間の戦闘なら現役にだって引けは取らない。
良い職場を紹介してくれたものだと、ドノバンに少しだけ感謝した。
あん? 戦うのは受付嬢の仕事じゃないって?
馬鹿言うんじゃないよ。
冒険者には荒くれ者が多いんだ。
そんな連中を大人しくさせるには、拳を振るうのが一番手っ取り早い。
優秀な受付嬢であるあたしが言うんだから間違いないね。
「いえ、やっぱり姐さんは受付嬢の枠から飛び出してますって」
「あぁん? 細かいこと言ってんじゃないよ」
この島に来る冒険者は、皆それなりに経験を積んだ者ばかりだ。
荒くれ者でも、冒険者としての道理を弁えてる奴らがほとんどだった。
だけどまあ、中には言うことを聞かない問題児もいる。
そいつは、大陸からの三度目の船でやって来た。
「リステラさん、一晩付き合わない?」
「テメエが竜ランクになったら考えてやるよ」
仮にも金クラス冒険者だってのに、女に目が無い奴だった。
そういう奴はとりあえず殴って、しつこいようなら急所を潰してやるのがあたしの流儀だ。
だが忌々しいことに、そいつの実力は本物だった。
本気じゃなかったとはいえ、あたしの拳を涼しい顔で受け止めやがった。
「俺だったら、竜の上だって目指せると思うぜ?」
「はっ、油断してると野垂れ死ぬよ」
むしろ、そうなってしまえと思うほどに下衆な野郎だった。
ソージという名前も気に喰わない。
自分でそう名乗り始めたらしいが、極東風の名前だ。
極東の男は武人気質で、あたしの好みだってのに、コイツは真逆をいってる。
なにより気に喰わないのは、女型の魔獣の捕獲に熱を入れてるところだ。
まあ男の欲望は分かってるつもりだがな。
それでも女としては辟易する。
しかも星神教会まで捕獲に熱を入れてるから始末が悪い。
神の教えに従って贖罪させねばならないとか、御大層な理由をつけてやがるが、要するに変態趣味の男に高く売れるってことだ。
とりわけ”蛇”や”草花”が人気だとか、
”鳥”の具合が最高だとか、
いっそ魔獣に味方したくなるような話まで聞こえてきやがる。
ともあれ、そんな”お楽しみ”にかまけられるほど、島の探索は進んでいた。
魔獣が多いとはいえ、対処できないほど強力なものはいない。
そもそも大陸では、人類が魔獣を圧倒しているのだから―――、
それが油断だったのかもな。
前進拠点を築きに行った部隊が、ボロボロになって帰ってきた。
狂乱巨人にやられたそうだ。
あの魔獣は下手に追い詰めると、狂ったように暴れ出す。
あたしだって一対一じゃ遣り合いたくない強さだ。
だが、暴れさせた後ならば倒すのは難しくない。
兵士はともかく、冒険者にはそれを知ってる連中が多かったはずだ。
だけど巨人どもは群れで襲ってきたという。
すぐには信じられない話だった。
普通なら単独で動く巨人を、ラミアが操っていたらしい。
厄介な事態だ。
だが、それだけラミアも追い詰められていたんだろうね。
あたしが知る限りでも、もう五つの彼女たちの集落が潰されてた。
種族として絶滅の危機にあってもおかしくない。
ラミアは言葉を解するほどに知恵も回るからね。生き残るために、手段を選んでいられなくなったんだろうさ。
魔獣に神がいるかどうかは知らないが、悪魔に縋ってもおかしくない。
あたしはギルドの連中に、最大限の警戒を促した。
だが、あの下衆野郎は大喜びしていやがった。
「モンスターハーレムも夢じゃねえ。分け前が欲しい奴はついてこいよ」
そんな風に言って、大勢の冒険者を扇動した。
一応、あたしだって止めたさ。
馬鹿な男どもへの気遣いというより、ラミアへの同情が勝ったけどね。
だがソージの実力は知れ渡っていた。
何日か念入りに準備をして、欲望に駆られた男どもは街を出て行った。
地獄を見るとも知らずに。
その日は、朝から驚きの連続だった。
目が回るような一日ってのは、こういうのを言うんだろうね。
まず最初に、一人の冒険者が帰ってきた。
疲れ果てた様子でギルドの扉をくぐった男は、ソージの死を告げた。
見たこともない黒い毛玉の化け物に殺されたという。
下衆な男だったが、ソージは金クラス冒険者だ。
戦闘力だけなら、一万の軍勢をも上回る。
だというのに、殺された? たった一体の魔獣に?
この時、あたしが覚えたのは、不謹慎にも武者震いだった。
その化け物を見てみたい、戦ってみたい―――、
あたしの願いはすぐに叶った。
ただし、まったく望まない形で。
唐突に始まった。それは蹂躙だった。
冒険者も兵士も、男も女も区別なく殺されていく。
天から降る雷の雨によって。
全身に雷を纏った鳥型の魔獣は、あたしも見たことのない化け物だった。
戦ってみたいとは思った。
武者震いも覚えた。
だけど、絶対に敵わないと一目で分かっちまった。
まったく冗談じゃない。
最後の魔境とはよく言ったものだ。
こんな化け物は竜クラス、それこそ勇者でもなけりゃ太刀打ちできないさ。
生憎、あたしは受付嬢だからね。
受付嬢らしく、生き延びるのを最優先にさせてもらう。
ギルドの建物は、大雷鳥が巻き起こす突風であっさりと吹き飛ばされた。
次は雷が降ってくる。
そう直感したあたしは、半ば死を覚悟しながらも障壁を張ろうとした。
だが、その必要はなかった。
大雷鳥の頭に、光の柱が落とされたんだ。
何が起こったのか―――上空へ目を向けて、一瞬、呆けちまった。
黒い毛玉が浮かんでいた。
そうとしか表情のしようがない。
人間の胴回りほどもある毛玉は、中心に大きな眼がついていた。
見る者によっては不気味な魔獣なのかも知れない。
だが、そこはかとなく可愛らしさも漂わせている。
なんというか、こう、抱き締めて寝たら気持ち良さそうな―――、
と、そんなことはどうでもいいんだ。
ともかくも、その毛玉は鳥野郎の気を引いてくれた。
おまけに、周囲に治療魔術も飛ばしてくれたらしい。
建物が吹き飛ばされた時に、後輩のギルド職員も怪我を負っていたんだが、柔らかな光に包まれて回復していった。
「まさか、助けてくれるつもりなのか……?」
疑問の答えは得られず、毛玉はまた上空へと飛び立った。
大雷鳥も後を追う。
理屈はよく分からないが、どうやら化け物同士で戦ってくれるみたいだ。
だが、次にいつまた襲撃があるか分からない。
残っていた冒険者やギルド職員に、あたしは大声で告げた。
「ボサッとすんな! この街はもうダメだ、逃げるぞ!」
「で、でも、リステラさん、逃げるって何処に?」
「船も壊されちまった。次の便が来るのは、早くても十日後ですぜ?」
「はっ、あたしだって知らねえよ」
なにせ、ここは魔境だ。
未知の冒険が溢れている土地だ。
そこに正解なんざありゃしない。だが、退屈も消してくれる。
「いや、まずは楽しむってのは正解かもな」
自然と笑みが零れてくる。
とはいえ、笑ってばかりもいられない。どうするか?
最低限、食料は確保しておくべきだな。
ギルドの倉庫は丸ごと吹き飛ばされちまったが、兵舎の方に行けば少しは残っているか?
港の倉庫も漁ってみる価値はありそうだ。
あとは、ギルドの後輩の面倒くらいは見てやってもいいか。
ドノバンの奴にも頼まれたことだし―――。
「―――冒険者の方はいらっしゃいますか!?」
手早く考えをまとめようとしていた時に、その声は投げられた。
振り向くと、まだ幼い姉妹がいた。
幾度か見掛けた顔だ。
確か、教会で聖女扱いされてる姉妹だな。
強力な神聖魔術を使えるとかで、冒険者や兵士も大勢が助けられてた。
実際は、その技能のおかげで、教会に首輪を嵌められてるってところだろう。
以前に見掛けた時も、とりわけ姉の方は暗い顔をしてたからな。
えっと、誰かが酒場で名前を言ってたような……。
「姉の方は、ルエールだったか? それで妹は……」
「パステル! 黒い神しゃまが助けてくれたの!」
「は? 黒い神さま……?」
パステルと名乗った幼女は、むふぅ、と鼻息を荒くして胸を張る。
どうやら、あの黒い毛玉を神だと思っているらしい。
なかなかに面白い子じゃないか。
星神教の神父なんかに預けておくのは勿体無いね。
それに、姉の方も随分としっかり者のようだ。
妹の頭を撫でて黙らせると、重そうな革袋を掲げてみせた。
「お金ならあります。これで、私達を帝国の街まで送ってください」
「へえ。そうきたか」
このドサクサに紛れて教会から逃げ出したい。そういうことだろう。
島の西側まで行けば、帝国の街がある。
帝国に入ってしまえば、星神教会もおいそれとは手出しできない。
おまけに、この姉妹の神聖魔術はとてつもなく強力だ。
なにせ、街ひとつをまとめて治療できるほどなのだから。
その技能があれば、きっと帝国でも歓迎される。
「話は分かった。こんな時だからね、金の出所も聞かないよ」
僅かに肩を揺らした姉の腰には、大振りの剣を差されていた。
この街の兵士に支給される剣だ。
きっと倒れた兵士から拝借してきた物だろう。
革袋に詰まっている金も、死者には無用の物を集めてきたんだろうね。
まあ、あたしが責める道理もない。
「冒険者を斡旋するのはギルドの仕事だが……しかし、運が無いね。見ての通り、もうギルドもまともに機能してないんだ」
「それは……その、誰かいないんですか? 私とパステルも、治療系統の魔術は扱えますから……」
「ああいや、話は最後まで聞きなよ」
こんな状況で、まともに雇える冒険者なんていない。
誰だって、自分が生き残るのを優先する。
素人を護衛しながら魔境を横断しようなんて―――、
そんな無理難題は、よっぽどの物好きじゃなけりゃ請けはしないよ。
「紹介できるのは、一人くらいだね。だが腕前は悪くない。現役復帰したばかりの金クラス冒険者さ」
差し出された革袋を受け取り、拳を握り込む。
こうして、あたしたちの冒険は始まった。




