幕間 とある帝国騎士のささやかな願い
帝都中央に聳え立つ巨城。
ここのバルコニーからの眺めは実に勇壮だ。
眼下には綺麗に整備された貴族街があって、ひとつひとつの建物も豪華。庭の草木の一本まで丁寧に手入れがされている。街路を巡回している騎士団も、一糸乱れぬ隊列を見せている。
平民が住む城下町も、豊かに賑わっている。大陸中から商人や旅人、冒険者も訪れて、騒がしくも平穏な暮らしを満喫している。
分厚い城壁で視界が遮られるのは、少々残念ではあるか。
けれど誇らしくもある。
この偉大なる帝国の騎士として、僅かとはいえ力を尽くせるのだから。
たとえ、敗戦したばかりの騎士だとしても。
「貴殿のおかげで私の首も繋がりそうだ。礼を言う、ルイトボルト殿」
「いえ。バルタザール殿が的確な判断をしたおかげです」
遠征軍の敗退。そして魔境からの完全撤退。
明らかに勝ち目はなく、無為な犠牲を減らすためとはいえ、勝手な判断をしたのも事実。
将を務めていたクルーグハルト様は、すでにこの世にいない。
しかし仮にも副将を任された自分や、援軍を率いていたバルタザール殿も責任を問われるのは当然だった。
「私はただ状況に流されただけだ。言うなれば、バロール殿に命を救われたようなものだろう」
「……島から持ち帰った品々は、どれも有用な物でしたからな」
魔力回復薬に使える稀少なグドラマゴラの根。
上質な絹さえも霞んで見える美麗な織物。
他にも、魔境から持ち帰った物品はどれも価値があった。
そして、バロールという常識外れの戦力を持つ男の情報―――。
これらの功績によって、敗戦の責は辛うじて免れた。
「噂の勇者殿や、”イインチョウ”殿も、彼には興味を示していたな」
「しかし俄かには信じられませんな。転生者など……」
それは数年前から出てきた言葉だ。
異世界で育った前世の記憶を持ち、そのおかげか類稀な才能を有する――、
そんな者たちが存在するなど、常識的には受け入れられなかった。
しかしどうも真実であるらしい。
魔族の有力者の一人は、その転生者で、尋常でない力を持つ。まだ十才なのに貴族家の当主となったことも、転生者という話に信憑性を与えている。
帝国は、魔族と同盟を結びはした。
しかし敵対関係だった時間の方が長く、そこから齎された情報を鵜呑みにはできない。
だが、この世界の希望である勇者殿も転生者だと認めた。
さらには他にも数名、そうであるらしい者たちが見つかっている。
「しかしバロール殿の素性も、随分と不確かな部分が多い。転生者として幼い頃から力を付け、己の力のみを頼って生きてきた……そういう推測も捨てきれませぬ」
「素性が知れぬか……だがそれは、私にとってはむしろ好都合だな」
「……? と、仰られますと?」
「シェリー殿を迎えるのに、身分の壁が無いということではないか。後は私自身が手柄を立て、場を整えればよい!」
バルタザール殿は拳を握り、褐色の顔に爽やかな笑みを浮かべる。
なんとも前向きな意見だ。
自分としては、いまの地位を守るだけでも精一杯だと思うのだが。
「という訳で、戦友であるルイトボルト殿に頼みがある」
「はあ。あらたまって、何でしょう?」
何気ない動作で、バルタザール殿はバルコニーの端へ身を寄せる。そうして声を潜めた。
「魔境との交易。その役目は貴殿に任されるはずだ」
「自分が? 失態を犯したばかりですぞ?」
「しかし他に適任者もおるまい。少なくとも意見は言える立場になるであろう」
有り得ぬ、とは言い切れないか。
そうなるとバルタザール殿も任命される可能性はあるが、彼の身は帝国中央の所属ではない。皇帝陛下から命じられれば否やとは言えないが、それでも領主を通しての話となる。
「私は今後も魔境に関わっていきたい。そのために口添えをしてもらえぬか?」
「……そうですな……」
考えてはみたものの、断る理由はない。
むしろ歓迎したい申し出だ。
事情を知り、バロール殿との面識もあるのだから、バルタザール殿は適任だと言える。
「心に留めておきましょう。ですが、まだ仮定の話ですぞ?」
「なに、そうなるに決まっている。私の勘は当たるのだ」
ならば何故、先の戦いではその勘は働かなかったのか?
そう問い掛けたくもなったが、さすがに口を噤んだ。
魔境の品々は確かに魅力的だ。
しかし外来襲撃も控えている。
新しく交易を始めるにしても、きっとまだ先のことだろう。それまでは自分も帝都で閑職に就けられるはず―――。
バルタザール殿には悪いが、魔境と関わるような危険はもう勘弁してほしい。
あの島は、正しく混沌の坩堝だ。
悪く言いたくはないが、バロール殿もまったくもって得体が知れぬ。
もしも暗闇であの黒甲冑と出会ったら、私は悲鳴を上げて逃げ出すだろう。
やはり私は、この帝都で過ごしていたい。
どうか安穏とした日々を送れるように祈っておくとしよう。
もう魔境とは関わりたくない。
なるべくなら忘れてしまいたい。
ささやかな願いは、残念ながら叶いそうになかった。
どうやら帝都の貴族たちは、新しい話に飢えていたらしい。様々な品が集まる帝都でも、魔境の話は珍しいということか。
尾ひれのついた噂話が、嫌でも耳に入ってきた。
「魔境騎士、ですか。あまり嬉しくない二つ名ですな」
「え、そうなのですか? 申し訳ありません。とても勇猛な名だと思ったものですから」
「いえ。謝られることではありませんよ」
正面に座った少女が丁寧に頭を下げる。
まだ十才ほどだというのに、その所作は堂に入ったものだ。
噂では、彼女は『魔導の才』にも目覚めていると聞く。毎日のように図書館に通い、騎士団や魔術師部隊の訓練にも参加を申し出ているそうだ。これほど将来有望そうな少女を人質に出すとは、公国はいったい何を考えているのやら。
表向きの理由は留学。
ならばいっそ、帝国で抱き込んだ方がいいのでは?
そんな話もちらほらと聞こえてくる。
「それでヴィクティリーア様、自分に訊ねたい話というのは?」
「はい。とある魔獣に関してです」
ヴィクティリーア様が目配せをすると、側仕えが数枚の紙束を差し出す。
そこには奇妙な魔獣が描かれていた。
黒い毛玉で、虫のように細い足が幾本も生えている。
特徴的なのは中心部にある目玉だろう。
「ベアルーダ種……?」
「はい。全身は黒で、白いものはパサルリア種と呼ばれるそうです。魔術に長けて、魔眼まで使うらしいですが……見覚えはございませんか?」
「ふむ。このような魔獣は、あの島でも……いや……!」
描かれた魔獣の絵と、魔境での記憶が繋がる。
少々、異なる部分はある。
しかし似ている部分の方が多い。
木箱の中からひょっこりと出てきた毛玉だ。幼いアルラウネやラミアに囲まれていた。
「そうか、アレは足が生えていなかった。しかし他の部分はそっくりだ」
「見覚えがあるのですね?」
「え、ええ。自分が見たのは二種類ですね」
人の胴体ほどの大きな黒毛玉と、拳ほどの小さな黒毛玉。
前者は子供たちに囲まれて、後者は侍女に抱えられていた。
自分もちょっと撫でたい衝動に駆られたのを覚えている。
「子供と、遊んでいたのですか? そして侍女にも従っていたと?」
「ちらりと見ただけで、どういったものなのかは分かりません。あの島の主であるバロール殿は、他にも多くの魔獣を従えていました。恐らくは、その内の一種類なのではないかと」
「そうですか……ですが、足が無いとは……進化したのでしょうか?」
「さて、そこまでは自分にも……」
今更遅いが、もっと情報に貪欲になるべきだったか。
珍しい魔獣の情報というだけでも、何かしらの役に立つ場合もある。
それに、目の前の少女の様子は随分と真剣だ。
大人として、帝国騎士として、助力をしてあげたくもなる。
「いまは他に情報もありませぬ。しかし、何か分かった時にはお伝えしましょう」
「はい。とてもありがたく存じます。この魔獣を、わたくしはなんとしても探し出さねばならないのです」
どんな事情を抱えているのか?
訊ねようかとも思ったが、やめておいた。
幼い少女が真剣に助力を求めている。それだけでも応えるには十分な理由だろう。
「いずれ、わたくしも魔境へ赴く時が来るかも知れません。そのためにも、もっと力を付けなければなりませんね」
「……魔境へ? そこまでの重要事なのですか?」
「わたくしも、以前はくだらない見栄の問題だと考えていたのですが……」
ヴィクティリーア様は柔らかく目を細める。
憂い混じりの表情は、幼い少女には相応しくないほど艶めかしかった。
「ですが、魂を喚んだ責任があるのです。置き捨てるなどできません」
意味が分からない。
けれどその真摯な想いは伝わってきた。
本当に、公国からの人質という立場なのが惜しい。
「自分には大したことは出来ませぬ。ですが、可能な範囲で調べてみるとしましょう。その魔獣に関する情報でよろしいのですね?」
「はい。ご助力、重ねて感謝いたします」
もしもまたバロール殿と会うことがあったら尋ねてみよう。
そう考えていた。
けれど、自分も彼女も、運には恵まれていないらしい。
公国が帝国から離反―――、
その凶報が届いたのは、ほんの数日後のことだった。




