姉弟
「歳……三!?」
門をくぐると、一人の女性の姿が目に入る。
「のぶ姉さん……只今戻りました」
「随分と久しぶりじゃないか! しばらく見ない間に男前になって……あら? こちらのお嬢さんは?」
土方サンのお姉さんである、のぶサンは私に視線を移す。
「あぁ……こいつか。こいつはな……」
土方サンが言い切らない内に、のぶサンは屋敷の中へと駆け出して行ってしまう。
「た、た……大変だよ!! 歳三が、歳三が!! 嫁さんを連れて帰ってきたよ!!!」
その声に、一人の男性が慌てて顔を出す。
「な、何だって!?」
「彦五郎義兄さん……ご無沙汰しています。所用にて一時、江戸へ戻りました」
その男性を見ると、土方サンは深々と頭を下げた。
「歳三……本当に久方ぶりだなぁ? 立ち話も何だ、屋敷に入ると良い」
彦五郎サンに促され、私達は屋敷へとお邪魔した。
「で? こちらのお嬢さんとは、どういった関係なんだ?」
彦五郎サンは静かに尋ねた。
「嫁さんなんだろう?」
ノブサンも興味津々だ。
「こいつは、新選組の医者だよ! 江戸へは医術の勉強に来たんだ。俺はその護衛だ! 何を勘違いしてんだよ。」
土方サンは二人に簡単に説明した。
新選組の医者。
確かにそうなのだが、
恋人だとか……そんな紹介を淡くも期待していた私は、少し胸が痛む。
「桜と申します」
私は平然を装い、頭を下げた。
「歳三がお嫁さんを連れてきたと思って喜んだのに……何だ、違ったのかい? 残念だねぇ。まぁ……こんな若くて可愛らしいお嬢さんじゃ、あんたには勿体無いか」
ノブサンは溜め息をつきながら言った。
「そういや……あんたが置いて行った、お琴サン。未だに嫁に行かず、あんたを待ってるそうよ? 折角なんだから、会いに行ってあげたら?」
ノブサンの言葉に、一瞬だけ土方サンの表情が変わった。
お琴……さん?
置いて行った?
私は話が読めず、ただただ笑顔でおとなしくしている。
「なんだ、あの女はまぁだ嫁に行ってねぇのか? 俺は京に発つ前にキッパリと断ったはずだが……」
「あんたは馬鹿だねぇ……好いた男をそう簡単に忘れられる訳が無いだろう? それに……あんただってあの時、泣く泣く別れたんじゃないか!」
土方サンが泣く泣く別れた?
どういう意味?
その時、ふと思い出す。
豊玉発句集
あれは、新選組の皆が江戸を発つ前に、既に詠まれていた物である事を。
しれば迷い
しなければ迷わぬ
恋の道
私は、あの日の土方サンの適当な言葉を鵜呑みにして、この句は私の事だなんて勝手に思い込んでいたが……
この句は、もしかすると……
ノブサンの言う、お琴サンを想って詠んだ句なのではないか?
土方サンとノブサンのやり取りが、私の心を掻き乱す。
「わかった、わかった。顔を出すだけ出してくるよ!」
私が考え事をしている間に、ノブサンの気迫に気圧された土方サンはぶっきらぼうにそう言い放った。
「行かないで!!」
などとは私には言えなかった……。
「悪ぃ、しばらく此処で待っていてくれ。夕餉過ぎには戻る」
と言い、私の元を去って行こうとする土方サンを、追うことも引き留めることも叶わず……私は、その背を無言で見送った。
「まったく、歳三はいつまで嫁も貰わずフラフラしてるつもりだろうねぇ。お琴サンと祝言でもあげて、二人で京に住めば良いのにねぇ」
ノブサンの言葉がいちいち胸に刺さる。
「あの……。土方サンを待つ間、この辺りを散策しに行っても宜しいですか? 私、江戸は初めてですので……あ、私も土方サンが戻るまでには帰ります!」
「だが……娘さん一人では危なくはないかね? そうだ、誰か護衛を付けよう」
「いえ、結構です。多少は……剣術に覚えがありますので」
とにかく、すぐにでも一人になりたかった私は、彦五郎サンの申し出に嘘をついて断った。
ここには、私の知らない土方サンの過去がある。
知らなければ良かった事……ばかり。
姉弟のやり取りが、頭の中をこだまする。
道も方角も……
何もわからなかったが、私はただひたすら道を歩いた。
嫌な現実から目を反らすかのように……




