快気祝と昇進祝
池田屋での一件以来、長州や土佐等の浪士に対する取り締まりは、日増しに厳しくなっていった。
しかし
それを除けば、新選組内は徐々に日常を取り戻している様にも思えた。
今回の騒動での新選組の被害はゼロに等しく、せいぜいかすり傷程度だった。
懸念していた平助クンも、土方サンの配慮により斬り込み隊から外れた事が功を奏したのだろう。
今回唯一の負傷者となった私も、昨日抜糸をしてもらった事で完治となった。
痛みも不都合も、今はほとんど無い。
いつも通りの朝げ。
この賑やかさも毎日の楽しみの一つだ。
「さて、皆に一つ提案がある」
食事を済ませた近藤サンは、皆に向かって言った。
「池田屋での一件から幾日か経ち、屯所内も徐々に落ち着きを取り戻した。桜サンの傷も完治したそうだ。そこで、桜サンの幹部入りと快気祝い、それに皆の池田屋での功績を称えて……」
「今宵は島原で宴ですかっ!?」
近藤サンが言い切らない内に、目を輝かせた平助クンが口を挟んだ。
「平助……話は最後まで聞け」
斎藤サンがたしなめる。
「いや、良いんだ。平助が言う通り、宴をと言おうと思っていたからな」
近藤サンは笑いながら言った。
「やっりぃ!!」
平助クンをはじめ、原田サンや永倉サンも浮かれきっていた。
「皆さん……桜サンの為のお祝いであって、私達はあくまでオマケである事を忘れないで下さいよ?」
山南サンは溜め息混じりに言った。
夕刻になる。
島原の見世の一つを貸し切っての宴だそうで、運良く非番の者たちは、幹部から平隊士まで分け隔て無く明るい表情をしていた。
「良いなぁ~。僕も行きたかったなぁ。こんな日に隊務とか……ついてなさすぎでしょ」
総司サンは頬を膨らませながら言った。
「残念だったな~。だが、安心しろ! 総司の分まで俺達が楽しんできてやるからな!!」
原田サンは、総司サンの頭を撫でた。
「左之サンはいっつも子供扱いして……僕だってねぇ、立派な青年なんですからね!」
総司サンは更に頬を膨らませた。
「悪ぃ、悪ぃ! 土産をたんまり貰って来るからよ~。機嫌なおせ!」
「甘いものでお願いします!」
「了解っ!」
私達一行は屯所を出て歩き出す。
しばらく歩くと、予約していた島原の見世に着いた。
今日の見世はこじんまりとした見世だったが、貸し切りと考えると十分すぎる程の広さだった。
「美味しいものがいっぱい出るかなぁ」
私は、楽しみで仕方がなかった。
「何だ、何だ? 嬢ちゃんは色気より食い気だかよ。こりゃ土方サンも苦労するなぁ」
原田サンは溜め息混じりに言った。
「そんな事ないですよ~。私にだって大人の色気くらいありますよーだ!」
私の言葉に原田サンや永倉サンは腹を抱えて笑う。
「嬢ちゃんに色気がある!? そりゃ、是非とも一度拝んでみてぇや。」
「左之~。そりゃ、土方サンでなけりゃ拝めねぇよ。なぁ、嬢ちゃん?」
原田サンと永倉サンの掛け合いに、思わず私は頬を紅潮させた。
「なっ!? 何言ってるんですかっ! もうっ……斎藤サンも、二人に何とか言ってくださいよ!」
斎藤サンは溜め息を一つつく。
「左之サン、新八サン……副長に斬られたくなければ、その辺にして下さい。先程から副長が怖い顔で見てますよ」
斎藤サンの言葉に、私達は土方サンに目を移した。
「お前ら……いい加減にしろよ? 全部聞こえてんだよ! ……お前もこいつらと遊んでねぇで、こっちに来い」
土方サンはそう言うと、私の手を引き見世に入っていった。
「さて、皆揃ったな。今宵は池田屋での皆の功績、そして桜サンの幹部入りと快気祝いの意を込め宴を開いた。京はまだ治安が安定していない。だが、御公義のため我ら新選組は尽力しようじゃないか! 明日からの隊務の為、今宵はしばし隊務を忘れ、存分に楽しんでくれ!!」
近藤サンの言葉に、隊士たちの歓声が上がる。
宴が始まると、見世中の芸妓が各々にあてがわれた。
私はというと、今日は芸妓より先に土方サンの隣に座った。
が、しかし……
悪夢再びとでも言うべきか、芸妓が土方サンの元へやって来る。
「副長はん、お隣に座らしてもろてもええやろか?」
華やかな芸妓の姿に、私の存在など消え入りそうな予感がした。
「いや、俺ん所は良い。他の者の所に行ってくれ」
「何でですの?」
芸妓は土方サンに食い下がる。
「俺にはこいつが居るから、お前には用はねぇ」
土方サンは芸妓と視線すら合わさずにそう言うと、私の肩を抱いた。
その冷たい一言に、芸妓は顔をひきつらせながら去っていった。
「土方サン……今日は芸妓を付けなくて良いんですか? 先日は楽しそうに飲んでたのに」
私が意地悪く尋ねる。
「別に、楽しそうになんざしちゃいねぇよ。それに芸妓を付けると……お前が妬きやがるからなぁ?」
土方サンはニヤリと笑うと、楽しそうな表情で私の反応をうかがった。
「や……妬いてなんていませんっ!」
「そうかい、そうかい」
土方サンの満足そうな表情に、私は少し悔しさを感じた。
「そういや、お前。傷は……もう痛まねぇのか?」
土方サンは突然尋ねた。
「はいっ! この通り、すっかり良くなりました」
腕を回しながら、私は明るく答える。
「そうか……ところでお前、あの長州の医者とはどうやって知り合った?」
「そ、それは……」
土方サンの言葉に、私はどう答えて良いのか分からず、口ごもる。
「言えねぇのか?」
土方サンの口調が少し厳しくなる。
こういう時はたいてい、不機嫌な時だ。
しかし……
私が長州藩邸に滞在していた事を言ったら、どうなる事だろう……考えただけでも恐ろしすぎる。
「えっと、所サンもまた有名な方なので名前は知っていました。それで……たまたま京の街でお会いして、顔見知りになりました」
私は思わず嘘をつく。
「顔見知り? ……あいつは、お前を弟子と言っていた。それに、やけに親しい様子だったな? お前……俺に何か隠してるな?」
土方サンの鋭さには脱帽だ。
このまま、誤魔化し続ける事は不可能だろう。
「ご……ごめんなさいっっ!!」
咄嗟に私は謝った。
「何故謝る? 俺は……お前があの医者と何故親しいのか、と尋ねたはずだが?」
私は土方サンの口調に怯みつつも、全てを話すことにした。
「土方サン達が大坂に行かれていた時期がありましたよね? 実はその時……所サンから医術を学んでいました。……長州藩邸、で」
「長州藩邸……だと?」
土方サンは最後の言葉に強く反応した。
「だって……仕方なかったんです! 蘭学を学んでいて、尚且つ手術が出来る医者なんて、京には所サンくらいだったんです」
土方サンは何も言わず、眉間にシワを寄せている。
「私……どうしても、土方サンや新選組の役に立ちたかったんです!」
「役になら……今までだって充分立ってたじゃねぇか!」
土方サンは声を荒げる。
「それじゃ足りないんです! 知識があっても技術が無ければ意味がありません。この先もきっと負傷者が出るでしょう。その時に即座に適切な治療が行えなければ……私が居る意味がないんです」
「それは分かるが……しかし!」
私たちの言い争いに近藤サンが気付く。
「何だ、何だ? トシ。こんな所で喧嘩など、お前らしくもない」
近藤サンは、心配そうに言った。
「っ……すまねぇ。近藤サン。ちょっと頭冷やしてくる」
土方サンはそう言うと立ち上がった。
「待って下さい。私も行きます!」
「桜サンも行ってきなさい。皆も楽しんでいる最中だから、幸い他の者は誰も気付いて居ない。二階でゆっくり話して来ると良い」
近藤サンは笑顔で言った。
「ありがとうございます!」
近藤サンにお礼を告げると、広間を後にした。
先に出て行ってしまった土方サンを追いかけ、袖口を掴み引き留める。
「何で付いて来た?」
土方サンは冷たく言い放った。
「土方サンと……ちゃんと話したかった……から」
ポロポロと涙を溢しながら、必死に伝える。
「……来い」
土方サンは私の手を取ると、二階に上がった。
隊士たちはまだ下の広間で飲んでおり、二階の部屋を利用している者はまだ誰も居なかった。
人が居ない二階は、静まり返っていた。
一室に入ると、土方サンは布団に腰を下ろす。
私も土方サンと向かい合うようにして、腰を下ろした。
「お前が医術に尽力している事は知っている……だが、新選組の幹部であるお前が長州の者と通じる事は、あっちゃなんねぇ事なんだ。……解るか?」
土方サンは静かに言った。
「私、切腹……ですか?」
私は恐る恐る尋ねた。
有名な局中法度……違反者には切腹が命じられる。
長州藩邸で過ごしたという事は、新選組を裏切る行為なのかもしれない。
裏切りは……士道に背いた事になるのだろうか?
自分の鼓動が速まるのが分かる。
「お前は……馬鹿か?」
意に反して、土方サンは腹を抱えて笑う。
「えっ!?てっきり、士道不覚悟で切腹を言い渡されるのかと……」
「お前はそもそも武士じゃねぇだろうが! だが……新選組を裏切る事があればその時は、誰であろうと……斬る。お前も今や幹部だ。今後、法度に背く事がありゃあ腹を斬らせなきゃなんねぇ……だからな、くれぐれも行動に気を付けろ」
土方サンの一言に、私は思わず身震いした。
「まぁ、万が一にもお前がそうなった時は……俺も腹を斬るさ」
柔らかな表情に戻った土方サンを見て、私はホッと胸をなで下ろす。
「そんな事より、お前は……俺がどれ程大事にしてるか、てんで分かっちゃいねぇようだなぁ」
土方サンは目を細めて呟く。
「俺はなぁ、あの医者から医術を学んだ事に怒っているんじゃねぇよ。医術を学ぶ事は新選組にとっても有益だ……むしろそれは褒められる事でもある」
「それなら……何故……」
「お前が長州藩邸に出入りしていた事が気に入らねぇんだよ!」
「それは……どういう事ですか?」
土方サンの意図が汲み取れず、私は困惑した。
「高杉はお前を狙っている男だ。如何に目的があの医者とはいえ、そんな男の居る所にのこのこ出向くなんざ……考えただけで腹が立つ」
何と答えたら良いのか分からず、私は俯く。
「頼むから……俺に心配を掛けさせるな。それと、妬くのはお前だけではない事を……忘れるな」
土方サンは私をそっと抱き締めると、消え入りそうな声で言った。
「ごめん……なさい」
そう謝りつつも、土方サンの気持ちが素直に嬉しかった。
妬くのは私だけではない。
土方サンも同じ気持ちなのだと思うと自然と笑みがこぼれる。
「それと……池田屋の件だが、俺のせいでお前に刀傷なんざ付けちまって……本当に悪かった」
「もう謝らないで下さい。前にも言いましたよね? あれは、私が勝手にやった事だって……」
「そう……だったな」
「傷だってこの通り! ほとんど目立たなくなったでしょう?」
私は土方に背を向けると、着物を少しゆるめて肩を出して見せる。
「それに……いつか土方サンがお嫁に貰ってくれるって言ってたから良いんです!」
「あぁ……貰ってやるさ」
そう呟くと、土方サンは後ろから私を抱き締めた。
「この傷ごと……お前を愛してやる」
そう耳もとで囁くと、薄くなった傷痕にそっと口づけた。
広間で楽しそうに騒ぐ隊士たちの声が、遠く感じた……




