池田屋事件 ― 其の弐 ―
「な……んで、お前がこんな所に居やがる!?」
意識を失った桜を抱きかかえると、土方は唇を噛み締めた。
総司と斎藤が駆け寄る。
「副長……彼女は出血が酷い! 一刻も早く手当てせねば命に関わります!!」
放心状態の土方に、斎藤は強く言った。
「土方サン!! 取り敢えず出ますよ!!」
立ち上がろうとしない土方に苛立った総司は、桜を連れ出そうと手を伸ばす。
「触んじゃねぇ!!」
土方の声に、総司は一瞬怯んだ。
「土方サンは、桜チャンを死なせる気ですか!?」
総司の一言に、土方は我に返る。
「……すまねぇ。総司に斎藤! 近藤サンの所に戻るぞ!!」
総司と斎藤に続き、桜を抱えた土方が外に出る。
桜の姿を見た皆は思わず息を飲んだ。
出血のせいか、桜の頬には血の気が感じられなかったからだ。
「トシ!!」
近藤や山南らが駆け寄る。
「これは……一体!?」
山南は口をつぐんだ。
「こいつぁ……本当に馬鹿な奴だよ、近藤サン。俺なんぞを守ろうとして……白刃の元に飛び込んできやがった。そのお蔭で……このザマだ」
土方は声を絞り出す様に言った。
「とにかく……止血しなければなりません!!」
山崎はそう言うと、手際良く桜の背中にサラシをきつく巻いた。
「しかし……この傷。縫合せねば、もたないだろうな。だが……新選組には、こいつの様に医術を使える者は……居ない」
山崎は悔しそうに呟く。
そうしている間にも、背中を流れる血は当て布を湿らせ始めていた。
桜に残された時間は少ないだろう。
「……長州、藩邸」
山南が何か思い付いたかの様に呟いた。
「長州がどうした? 山南サン。」
原田が尋ねる。
「桜サンが……師と仰ぐ名医が居るんですよ。長州藩邸に!! 此処は藩邸とは目と鼻の先です。急げば……助かるかもしれない」
山南の言葉に、皆は驚く。
「だが……たった今まで長州の者を斬っていたその足で、長州藩邸に行くなど出来る筈がない!!」
近藤のその言葉は最もだった。
長州藩邸に行けば、桜は助けてもらえるかもしれないが……連れて行った者は間違いなく斬られるだろう。
誰も妙案が浮かばず、口を閉ざす。
「何じゃ! わしゃ不逞浪士じゃなか!! 離せっちゅーとるがじゃ!!」
離れた場所から聞き慣れない声がする。
「なんだ……騒がしい」
土方は眉間にシワを寄せる。
「局長! 付近をうろついていた不審な男を捕まえましたが……如何しましょうか?」
平隊士に一人の男が連れられてやって来た。
「才谷……サン?」
男を見るなり、山南が反応した。
「何じゃ、山南サンか?」
才谷こと坂本龍馬と山南は、顔見知りの様だった。
「才谷サン、一つ頼みがあります」
「頼みっちゅうのは何じゃ?」
「貴方なら……長州藩士とも知り合いの貴方であれば、長藩邸にも出入りできる!! どうか、桜サンを助けて下さい!!」
山南の一言に、龍馬は桜へと目をうつす。
「こがぁ……一体どうなっちゅうがじゃ? 何故、桜チャンが血塗れになっちゅう!?」
龍馬は取り乱す。
「……何でお前が桜を知ってやがる?」
土方は龍馬を睨んだ。
「土方クン! 今はそんな事を言っている場合ではない!! ……才谷サン。彼女が師と仰ぐ長州の医者をご存知ですか?」
山南は尋ねた。
「知らん事も無いが……」
龍馬は口ごもる。
「お願いします! 彼女を……その医者に診せてもらいたいのです」
「ほんじゃが……桜チャンを藩邸に連れてくっちゅうのは出来ん。こんな姿を見れば……あの男はきっと、こん子を手元に置こうとするき。命は助かるかもしれんが、二度と……おまんらの所には戻れんじゃろうよ?」
その言葉に、山南は戸惑った。
再び沈黙が訪れる。
「それでも……良い!!」
その沈黙を破ったのは、土方だった。
「命が……助かるなら。会えなくなろうが、んな事ぁどうでも良い!! だから……こいつを助けて……くれ」
「っ……トシ」
近藤は土方の辛そうな表情に、何も言えなかった。
「ええ事を思い付いたき!! 所サンを連れて来れば、ええがじゃ! そうと決まれば……おんしら、そこの宿で待っとれ!! ちくっと行って来るき」
龍馬はそう言うと、足早に去って行った。
近藤らは後始末を済ませ、京の街を凱旋して屯所まで戻った。
土方は桜を連れ、龍馬に言われた宿で待つ。
「お前が居なくなっちまったら……俺はどうすりゃ良いんだよ」
玉の様な汗を流す桜の額を拭いながら、土方はぼそりと呟いた……




