別れの刻
気付けば長州藩邸に来てからもうすぐ、約束の10日が経とうとしていた。
明日の朝には屯所に戻らねばならない。
あの晩、白刃に伏した久坂サンも処置後に発熱はあったものの、今ではすっかり回復していた。
この10日此処で得たものは多く、確実に私の力となっていた。
麻酔をはじめ、外科的な技術を得ることが出来た。
晋作に桂サンに久坂サン……そして所サン。
関われば関わるほど親近感を増し、この先の時代の流れの中で、不本意にも敵対しなければならない事実への迷いと葛藤があった。
私は土方サンが好き……
しかし、長州や土佐の人々を嫌いになることはできない。
とは言え、異なる思想の者達が相容れる事は決して叶わず、血を血で洗う御代はすぐそこまで迫っていた。
「何湿気た面ぁしてやがんだ?」
突然、声を掛けられ飛び上がる。
振り返ると、晋作がキセルをくわえ立っていた。
「晋作!?」
「湿気た面ぁしやがって……明日、壬生浪に帰ぇるのが嫌んなったのか?」
「…………」
答えに迷い、俯いた。
屯所に帰りたくないのではない。
だが、此処を去るのも後ろ髪がひかれる思いだった。
「沈黙は……肯定か?」
晋作は私の顎を掴むと、自分に向かせた。
「お前……此処に住まねぇか?」
晋作は真剣な表情で尋ねた。
「新しい時代を造るのは俺達だ。消え行く運命の壬生浪に居たところで、犬死にするだけじゃねぇか。俺ぁなぁ……おめぇを死なせたくねぇんだよ」
いつもの軽いノリ等ではなく、本心から言っている事は、すぐにわかった。
頷いてしまいそうな自分を必死に抑え込む。
「そんなの……出来ない……よ」
消え入りそうな程小さな声で呟いた。
「何故だ?」
「確かに……新選組は消え行くよ。最期の戦いで土方サンも戦死する」
「ならば!!」
晋作の言葉を打ち消すように、今度はハッキリと言った。
「だからと言って、私達は新選組から離れない! 土方サンから離れたくないの!!」
気付けば涙が溢れていた。
「おめぇに……そんなに想ってもらえるなんざ、鬼副長も幸せモンだな」
晋作は寂しそうに言った。
「晋……作?」
「たが……あの男に飽きたら、いつでも俺んトコに来い。そん時ぁ、おめぇに新しい時代を見せてやる」
「ありがとう」
そう言うと、晋作は私の元から去っていった。
土方サンと晋作はどことなく似ている……そんな気がした。
素直でないところや、冷たい様でいて本当は人一倍、人間味に溢れているところ。
私が初めに飛ばされたのが長州藩邸だったとしたら……
私は晋作を好きになって居たのだろうか?
そんな思いが頭を巡った。
今夜が藩邸で過ごす最後の夜……と言う事で、桂サンは宴を開いてくれた。
「残念だが……彼女は明日この藩邸を去る。所と供に大勢の藩士を助けた功績は高い。本当に惜しい存在だが……致し方あるまい。今宵は最後の夜。皆、彼女に礼を尽くしてくれ」
桂サンがそう言うと、宴は始まった。
藩邸に来た日の夜、藩士たちと仲良くなれるか不安だった。
しかし、そんな思いをよそに藩士たちは皆気さくな人たちで、随分良くしてもらった。
「桜チャン……帰っちゃうの? 寂しいなぁ」
「桜チャンが居てくれて良かったよ。ほら傷もすっかり良くなった!」
藩士たちは次々に声をかけてくれた。
それだけで、涙が出そうだった。
「世話に……なったな」
久坂サンが私の隣に腰を下ろした。
「お前が居なかったら……私は死んで居ただろうな。お前を見ていたら、私もまた医術を学びたくなってしまったよ」
「あれは……所サンの技術のお蔭です」
「そんな事はない……それと、以前島原で会った時はすまなかったな。いつか謝ろうと思っていたのだが……今になってしまった」
「気にしてませんよ。それに……この10日間で、久坂サンが良い人だって分かりましたから」
「そうか。……新選組に戻っても、達者でな。また遊びに来ると良い。お前の事は私も皆も、気に入っているからな」
久坂サンはそう言うと、私から離れた。
久坂サンが席を立つと、今度は所サンが隣に来た。
「10日間、御苦労だった。お前の様な弟子を手放すのは口惜しいが……これも運命、か」
「所サンには大変お世話になりました。感謝してもしきれません。……晋作の薬の件、よろしくお願いします。新しい時代にとってきっと、晋作は必要な人ですから」
「心得た。高杉の事は任せてくれ。お前はいつまでも俺の弟子だ。お前なら立派な医者として、この時代に功績を残せる……誇りを持て!」
「ありがとう……ございます」
所サンの言葉に、我慢していた涙が溢れた。
「おい、おい。最後に泣く奴があるか!? これが今生の別れではあるまい。また……いつか会おう」
「はい」
「所~。俺の女ぁ勝手に泣かしてんじゃねぇよ! 桜……こっち来い!!」
晋作は言った。
「私……晋作の女……じゃないし!」
そう言いつつも、高杉の隣に座った。
晋作は着物の袖で私の涙を拭う。
「おめぇは……よく泣くなぁ?」
「だって……」
「所じゃねぇが、今生の別れでもあるまいよ?」
晋作は笑いながら言った。
「私ね……初めて飛ばされたのが長州藩邸だったら……きっと晋作の事を好きになってたと思う」
私は、晋作にこっそりと耳打ちする。
「そりゃ嬉しいねぇ。ならば、俺ぁ……神様とやらを恨むとするか」
晋作は満足そうな笑顔で言った。
時間とは残酷な物で、どんなに願っても一定に過ぎて行く。
気付けばお開きの時間になっていた。
「今宵は月も綺麗だ。縁側で少し呑み直すか?」
晋作は尋ねた。
返事の代わりにコクりと頷くと、後を追った。
「月……本当に綺麗だね」
「そうだな……」
自然と口数が少なくなる。
何か話そうとすればする程涙が溢れそうだった。
「泣きたきゃ泣きゃあ良い……我慢するな」
晋作の一言に関を切ったかの様に涙が流れた。
「晋作の……馬鹿。我慢……してたのに」
晋作はクスリと笑うとキセルを置き、私を優しく抱き締めた。
「晋……作?」
「振りほどくんじゃねぇよ……今くれぇ許せ」
ぶっきらぼうに言った。
ひとしきり泣くと、気持ちが晴れるようだった。
「すっきりしたか?」
コクりと頷く。
「本当に……お前を、鬼副長に渡すのは惜しいモンさなぁ」
晋作は呟くと、私から離れた。
この晩は深夜まで、二人で月を眺めながら呑んでいた。
別れを惜しむかの様に……
翌朝
晋作や桂サン達だけでなく、藩邸に居た藩士たちまでもが見送りに出てきてくれた。
「本当に……お世話になりました」
「晋作……本当にありがとう」
「桂サンも、久坂サンも、所サンも……藩邸の皆さんも、ありがとうございました!」
溢れそうな涙をこらえ、満面の笑みで言った。
「達者でな」
「また遊びに来い」
皆の言葉に後ろ髪がひかれる思いで、私は藩邸を後にした。




