突然の実践
夕餉も終わり、医務室にて後片付けを済ませる。
さすがは長州藩……と言うべきか。
日中に頼んだ原料は既に届いていた。
しかし、麻酔薬の調合は明日にしようと言う事になり、原料は棚に保管した。
一日、所サンの元に付いていて思ったこと。
新選組では稽古による打撲や擦り傷等が多かったが、この長州藩邸では圧倒的に刀傷が多かった。
所サンの外科的な技術が上達する事も頷けた。
必死に私の教科書を読み解く所をよそに、私は縫合の練習をする。
集中するあまり、所サンが背後に居ることすら気付いていなかった。
「中々、筋が良いな……3日はと言ったがこれならば明日より人体での縫合を任せられるな」
所サンの言葉に素直に喜んだ。
「ありがとうございます!」
所サンは私の隣に腰を下ろした。
「お前は、医者とは何だと思う?」
「そうですねぇ……ありきたりですが、人の命を救う者だと思います」
縫合の手を止め言った。
「模範解答……だな。だが、それが基本だ。その気持ちをいつまでも忘れてはならない」
「はい。……1つ伺っても宜しいですか?」
「何だ?」
「所サンは腕がたつお医者様です……なのに何故お弟子さんを取らないのですか?」
気になっていた事を尋ねてみた。
「理由など考えてなかったな……今まで大勢の医者が弟子にと訪ねてきたが、断り続ける内に、弟子を取らないと言う噂が広まったのだろう」
「断り続ける理由はあったのですか?」
「それは……にわか医者ばかりだったからだ」
「にわか……医者?」
聞き覚え無い言葉に首をかしげた。
「にわか医者と言うのはな。自分の腕を金に変えようとする者だ。そういう輩は、自分の腕を世の中の為に使おうなぞ思わん。……そんな者共を輩出するなぞ、医者の名折れだ」
所サンが医学について深く考えている事に感心した。
「お前は、にわか医者とは違う」
「違……う?」
「お前は……金や名誉でなく、ただ一心に人を救いたいという純粋な気持ちがある」
所サンは笑顔で言った。
「そういう人間は……嫌いでない」
「ありがとうございます」
「お前は……高杉の言う通り、面白い女だ。この時代の人間でない事も今なら頷けるな」
所サンは真剣な表情で言った。
「だが、お前は高杉のお気に入りだからなぁ。下手に口説くと、私の首が飛ぶ。」
「く、口説く!?」
所サンは照れ臭そうに言うと、私の頭を撫でた。
「……冗談だ」
「所、失礼する!!」
桂サンが血相をかいて部屋に飛び込んで来た。
負傷した藩士を三名連れてきた。
いずれも刀傷だ。
その中には……久坂サンの姿があった。
三名の内、一人は軽症で消毒程度で問題ない様で、もう一人は命に別状は無い程度の傷だが縫合が必要であった。
当の久坂サンは……かなりの重傷であった。
「私は久坂を診る! 貴女はこの二人の縫合と処置を!」
所サンは私に指示する。
心の準備をする間もなく、実戦となってしまった。
私の不安を見抜いたのか、所サンは
「大丈夫だ! 貴女なら出来る。私の弟子ではないか!!」
と笑顔で言った。
斬られた男は、左鎖骨下から20センチ程に渡り傷を負っていた。
アルコールで消毒を行い、氷で冷やす事で多少の感覚を鈍らせながら、傷口の小石等を素早く取り除く。
局所麻酔が無い中での縫合……その痛みは計り知れない。
氷で冷やし感覚を鈍らせるやり方は、強い痛みの前では、気休めにしかならないだろう。
手早く済ませる事に専念した。
「……っ!」
藩士は顔を歪ませる。
この時代の人間は……本当に我慢強い。
現代人であれば麻酔無しの縫合など、ショック死してしまうのではないかと思った。
「終わりました」
私がそう告げると、藩士は笑顔で礼を言った。
その後、軽症の藩士の処置も無事終えた。
「桜! こっちを手伝ってくれ!!」
所サンの言葉に、すぐに駆け寄った。
久坂サンは、刀傷による裂傷ばかりでなく、腹部に刀が貫通した跡もあった。
位置的には内臓を傷付けるような場所では無かったが、これらの処置を行うには麻酔無しでは不可能な様子だ。
ただでさえ、出血がある。
ここに更なる痛みを加えたら……ショック症状が起こるだろう。
「この状態での処置は危険です! 麻酔を使いましょう!!」
所サンは出血部を抑えながら頷いた。
「これから調合します。揮発性が高いので引火の恐れがあります……行灯を消して下さい。それから、桂さん。これを持って私の手元を照らして!」
桂サンに私の電子辞書を持たせた。
調合が済み久坂サンにまず一滴、滴下した。
どの程度の量を与えれば良いかわからない……ならばなるべく少量で行うに越した事はない。
少しすると、久坂サンの意識は遠のいた様だ。
傷にわざと爪を立てる。
反応は無い。
「効い……た? 所さん、処置はお任せ致します。私は久坂サンの様子を観察します」
「わかった」
行灯の灯りを再度灯した。
呼吸はしている。
脈も問題ない。
「桂サン!」
私は桂サンを呼んだ。
「桂サン。ここを抑えて下さい。拍動がわかりますか?」
「ああ……」
「処置が終わるまでここを抑えて、拍動にばらつきが出るなどしたらすぐに教えて下さい。時々、息をしているかも見て下さいね」
「わかった」
桂サンの返事に笑顔を向けた。
「所サン、手伝います」
「すまない……他の傷の縫合を頼む」
「わかりました」
早速取り掛かった。
それにしても、傷が多い。
滅多斬りにされ、最後に腹部を突かれたのだろう。
1つ1つ傷の処置を済ませていく。
「終わった。……桜の方はどうだ?」
所サンは溜め息を付くと、私を見た。
「今……終わりました」
私の言葉に、桂サンも所サンも安堵の表情を浮かべる。
「お前は……凄いな。こんなに肝の座った女は珍しい。久坂が命拾いしたのは、お前のお蔭だ」
「いえ、所サンの腕の良さあってこそです!」
私と所サンは顔を見合わせて笑った。
「二人とも……良くやってくれた。礼を言う」
桂サンは深々と頭を下げた。
「これが私の選んだ道ですから! 当然の事をしたまでです」
「……っ」
久坂サンが目覚めたようで、私達は慌てて駆け寄った。
「こ……こは?」
「医務室です」
「貴女が……助けてくれたのか?」
久坂サンは私の頬に手伸ばすと言った。
「痛み……ますか?」
「大……丈夫だ」
久坂サンは力なく微笑んだ。
「久坂! 分かるか?」
「桂サン……何て面ぁしてるんですか? 男が泣くなんてみっともないですよ」
「……久坂。お前って奴は」
ぽつり、ぽつりと会話をすると久坂サンは眠りに付いた。
その間に、血に汚れた久坂サンの身体を清拭し、着替えさせた。
その夜は、私は寝ずに久坂サンの様子を観察した。
目覚めた時、痛みに苦しむだろう久坂サンをどうすべきか考えながら……




