医者
「高杉クン、失礼するよ」
部屋に所サンが訪れた。
どう交渉して良いやら考えは纏まらず、気持ちばかりが焦る。
「で、私に何か用かな?」
所サンは座布団に腰かけるなり尋ねた。
「忙しいところ悪ぃな。実はな、一つ頼みがあんだ」
「頼み……とは?」
「10日間、こいつに医術を学ばせてやってほしい」
所サンは私を一瞥すると、すぐに高杉に向き直った。
「高杉クン……君も知っての通り、私は弟子をとらない。それに、女性ではないか。話にならん。私は忙しいのだ……失礼するよ」
所サンはそう言い放つと、立ち上がろうとする。
「お待ち下さい!! 話だけでも聞いては頂けないでしょうか?」
つい、所サンの着物の裾を掴み引き止めてしまう。
「話くれぇ聞いてやってくれや」
高杉の言葉に、所サンは訝しげな表情をしつつも座り直した。
「で? お嬢さんは医者なのか?」
「医者……ではありません。ですが、この時代の医術以上の知識はあると自負しております」
「ほう。医者でないのに、医術の知識があるとは妙な事を言いなさる」
所サンは予想通り、鼻で笑った。
「…………」
言い返す事も出来なかった。
しかし、まだ秘策はある。
「こちらをご覧下さい」
私は持参していた教科書とノートを取り出した。
所サンはそれらを手に取るとページをめくり、途中で手を止めた。
「こ……これは!?」
「所サンは蘭学の知識もあり、適塾の緒方洪庵サンの元で医術を学んだと伺いました。コレラ……いえ、コロリがどの様に伝播していくか分かりますか? 労咳の治し方が分かりますか? ……この本には、この時代の医学者が解明出来ない事がたくさん書かれています」
「これを……何処で手に入れた?」
「それは……」
何と説明して良いか分からず、口ごもる。
「先の世だよ」
私の表情を見て察したのか、高杉が口を挟んだ。
「頭の堅いアンタにゃ信じらんねぇだろうが……こいつは、この時代の人間じゃねぇ」
所サンは明らかに困惑している。
「高杉クン……いくら何でも、それはお伽噺の様だ。信じられんよ」
「じゃあ、アンタが今見てるモンは何だ? 幻か?」
「…………」
高杉が助け船を出してくれた事がありがたかった。
「所サン、私に医術を教えて下さい! いくら知識があっても、技術が無ければ意味がありません。今、私に必要なのは技術です」
必死に頭を下げた。
「君……名前は?」
「桜と申します」
「先の世から来たと言ったが……そこで貴女はどのように医術の知識を身につけたのだ?」
「私の時代は、今から150年は先の未来です。そこでは看護師という職業があり、看護師とは医者の補助をします。看護師になるための養成所があるので、そこで全ての分野の医学的知識を学ぶのです」
「かん……ごし!? それは聞き覚えが無いな。しかし、この時代でこれだけの知識を身に付けていれば、医者と名乗っても何の遜色も無いだろう」
「私の時代では、医者が身に付ける知識はこれより遥か膨大にあります」
所サンは苦笑いした。
「どうだ、所。面白ぇ女だろう?」
高杉は得意気に言った。
「面白いどころではない! これは医術界にとって革新的な事態だ!!」
所サンは興奮しながら言った。
「私が望む事は二つ……10日間で技術を身に付けたい事と、この時代の医術を知りたいという事です。代わりと言ってはなんですが……私が知り得る知識は全て、提供させて頂きます」
所サンは黙って考える。
「如何ですか?」
私は、おそるおそる尋ねた。
「明け六つ!! 私の朝は早い。これに遅れずに医務室に来る事。一日でも遅れた場合は、ここから去って頂きますのでそのつもりで」
所サンはそう言い放つと、部屋を後にした。
「ありがとうございます!」
去り際に精一杯礼をした。
「良かったじゃねぇか」
高杉は私を見ると、ニヤリと笑った。
「本当にありがとう! 高杉のお蔭です。」
高杉にも礼を言った。
「その、高杉ってのは止めねぇか? それに、畏まった物言いも好かねぇ……」
「じゃあ……晋作?」
必死に考えたが良いあだ名は思い付かなかった。
「ああ……それで良い」
そう呟くと、キセルをくわえた。




