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桜前線此処にあり  作者: 祀木 楓
第8章 島原
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紅桜


 一呼吸置き、私は広間の扉を開けた。


 先程と同じように、斎藤サンの隣の席に座る。


「随分と遅かったな。広すぎて迷いでもしたか?」


 斎藤サンは心配そうに尋ねた。


「そうなんです! 広すぎて、帰ってこられないかと思いましたよ……」


 心中を悟られないよう明るく言った。


「そうか」


 斎藤サンは静かに呟くと、杯を飲み干した。




「桜はん」


 突然の呼び掛けに顔を上げると、小常サンが目の前に居た。


「女同士で話したいことがありんす。わっちと来て頂けやしませんか?」


 コクりと頷くと、小常サンの後を追った。


 どうせロクな話ではないだろう。


 そう思うと気が滅入る。




「着きんした」


 此処は……


 小常サンの部屋だろうか?


 座るよう促され、座布団に腰を下ろした。


「手短に話しんす。……これから、新選組はんの局長はんと副長はん達がお見えになりんす」


「えっ? 土方サンも来るんですか!?」


「あい。永倉さんからはそう伺っておりんすが……何も聞いちゃいやせんか?」


「えーっ!? 聞いてないですよ!!」


「わっちが会いたいと言いんしたのはただの口実に過ぎやしいんせん。主様にお職の衣装を着せて見世に出したら……副長はんはお気付きになるかどうか皆さんと賭けてると言いんした。わっちは面白そうだから乗ったまででありんす」


「あんの人達は……全くロクな事をしやしないんだからぁっ!」



 私は怒りを顕にした。



「そうお怒りになると女が廃りんす……美しい所を見せれば殿方の心もしかと掴める物。普段と違う姿に惚れ直しやしょう?」


 小常サンはクスリと笑った。



 これが遊女の手練手管というものだろうか?



 交渉が上手い。



 すっかり言いくるめられた私は、賭けのネタに使われている事を忘れ、ついつい乗り気になってしまっていた。



 禿や髪結いが着々と支度を整える。



「支度が整いんした。あとは作法でありんすなぁ。まずは言葉遣い……これを気を付けなんし。他は笑って酒を注ぐだけ」


「はい。……いえ。わかりんした?」


「そうそう。堂々とすれば大丈夫だと思いんす。鏡を見なんし……美しい遊女の出来上がりでありんす」



 小常サンに促され鏡を見た。



 どこからどう見ても遊女だ。



 本物の様な女の色気……というか艶やかさは残念ながら無いが、着物のお蔭か華やかさが出た。



 更に気をよくした私は、小常サンに紅桜という名前を付けてもらい広間に向かった。



「紅桜……あんじょうお気張りなんし」





 禿が扉を開ける。


 既に近藤サンや土方サン、普段花街には行かない山南サンまで居た。


 久々……と言っても一日ぶりだが、土方サンの姿に胸が高鳴る。



「初見世の芸妓にありんす」



 小常サンに教えてもらった通り、三つ指を立て頭を下げた。



「紅桜でありんす」


「ほう?美しい芸妓じゃないか?これならすぐに人気が出るだろうなぁ」



 近藤サンは全く気付いていないらしく、自然の事のように私を褒めた。


「近藤はん。遊郭では浮気はご法度でありんす」


 近藤サンの馴染みの芸妓が拗ねた表情をする。


「分かっているさ。心配しなくとも、そんな野暮はしないぞ?」


 近藤サンは芸妓の手を取った。




 この人は……一体何人の女を囲うつもりなんだ?




 私は、少しだけ苛っとした。




「初見世の妓は……土方サンに付けたら良いんじゃねぇのか? 土方サンはこの見世にゃ馴染みが居ねぇしなぁ」


 永倉サンの言葉に、隣の原田サンが笑いを堪えている。


 そんな二人を私は、軽く睨んだ。



「俺ぁ良いよ。こんな事が知れたら……どやされちまう。それに長居はしねぇつもりだ。お前らで楽しめ」



 そう言うと、一人で杯を煽る。



 土方サンのその言葉に、喜びを感じた反面……罪悪感があった。



「トシ! 今日は野暮は無しだ。此処はそういう所じゃないか? それに彼女なら大丈夫だ。総司や他の隊士が付いている」


「……だから心配なんだよ」


 土方サンは呟いた。




「紅桜……ぼさっとしてないで、副長はんにお酌しなんし」


 小常サンは私に指示を出した。



「……わかりんした」



 そう言うと、土方サンの隣に座る。


 原田サン達の表情が苛立ちを助長させたが、バレないかという緊張の方が勝っていた。


 周りの遊女を見ながら、粗相の無いように細心の注意を払う。



「……お前」



 えっ?



 もうバレた!?



 座ってものの数分でバレてしまったのか?と緊張に身体を強ばらせる。



「いや……何でもねぇ」



 土方サンは杯を飲み干した。



 当然の事のように、堂々と杯に酒を注ぐ。



 バレていないと分かると、更なる行動に出た。



「副長はん。わっちの顔に見覚えでもありんしたか?」



 その言葉に、原田サンと永倉サンは酒を吹き出した。




「見覚え………というか。似てやがんだよ」



「副長はんの大切なお人でありんすか?」



 核心に迫る質問に出た。



「……まぁ、な」



 土方サンの意外な一言に頬が紅潮する。



「今夜はわっちをその方と思いなんし。……此処では野暮は無しでありんす」



 土方サンの手をそっと握る。




 遊女に言い寄られた時、土方サンはどうするのか……



 それを純粋に知りたかったのだ。



「……そうだな」



 当然、手を払いのけるだろうと予測していたが、意外にも土方サンは手を握り返して来た。



「……後悔するなよ?」



 と耳元で囁く。



 その反応に胸が苦しくなり、涙が出そうだったが必死に堪えた。



 土方サンは遊女の誘いを断ると思っていた。



 だが、淡い期待は崩れ去ってしまった。



 知らなければ良かった事を、知るはめになってしまったのだ。



 私だけ……では無かったようだ。



 作り笑いとは反して、心は滅入っていた。



「副長はんなら……わっちは後悔しいんせん」



 胸の痛みを必死で抑え込み、遊女らしく言った。




「クク……」



 よく見ると、土方サンは笑いを堪えているようだ。



「おい。お前ら……面白ぇ事をしてくれたじゃねぇか?」



 その言葉に永倉サン達は固まる。



「トシ? 突然どうした?」



「どうしたもこうしたもねぇよ、近藤サン!」



 土方サンは言った。



「俺がてめぇの女を見間違う筈はねぇだろ?」



「トシ……何を言ってるんだ?」



 近藤サンはイマイチ状況が飲み込めない様子だ。




「お前……何でそんな格好してるんだよ?」



 土方サンは私に言った。



「おっしゃる意味がわかりんせん」



 わざと、とぼけてみせた。




「まぁ良いや。おい……二階の部屋ぁ借りるぜ!」


 そう言うと、私の手を引き部屋を後にした。





「あーあ。やっぱバレちまったか!」


 永倉サンは残念そうに言った。


「今回の賭けは、ハジメの一人勝ちだな!」


 原田サンは恨めしそうに呟いた。


「あんなもの……バレるに決まっています」


 斎藤サンは杯を煽る。


「でもさぁ……桜、綺麗だったよなぁ。女の変わり様って……すげぇや」




 平助クンの言葉に近藤サンが反応した。



「な!? 紅桜さんは桜サンなのか!? 私は……本気で彼女を水揚げしようかと考えてしまったよ」



 近藤サンはガクリと肩を落とす。




「皆さん……何て事をしたのですか? あなた方四名は、土方クンからのキツイお仕置きを覚悟した方が良さそうですね!!」




 山南サンの言葉に、四人は身を縮こまらせた。



「それにしても……綺麗でしたね。あれを見抜くとは、さすがは土方クン。女性慣れの賜物だか、彼女への愛情だかは分かりませんが……何にせよ、羨ましい限りですね」



 山南サンは溜め息を付くと、そう付け足した。











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