偶然の三つ巴
男は優しい声で尋ねる。
「あんな所で独りきりで居たら危ないよ? ここは酔っ払いばかりだからねぇ。そういや、君……名前は?」
「桜……です」
「何だ。話せるんじゃない。何故、こんな所に居るの?」
「仕事の……方達に連れて来られたから……です」
「それで? ……何で部屋から飛び出して泣いていたの? 何で、仲間は誰も気付かないの?」
この男は、先程から質問だらけだ。
「質問ばかりですね……。私、貴方の名前すら知らないんですけど」
「ああ……悪い悪い! 君が涙を流す姿に目を奪われてしまってね……つい部屋に連れてきてしまったんだ。あっ! 変な意味じゃないよ? ……あのままあんな所に居たら危ないと思ったから……」
名前を聞いたつもりなのに……的外れな返答に少し苛立つ。
「私は、久坂玄瑞。今日は藩の会合だった……というか、今も正にその最中なんだけどね。頭の固い連中ばかりで嫌気がさして……抜け出して来たのだよ」
「久坂玄瑞!? てことは……長州の人?」
私の記憶が正しければ……来年、禁門の変で自刃する人……だ。
「そう。あれ? ……会ったことあったっけ?」
返事の代わりに首を横に振る。
「あの、高杉……サンは元気ですか?」
長州藩邸から飛び出した夜、高杉を叩いてしまった事を不意に思い出し……つい聞いてしまった。
「高杉サンを知ってるの? ……もしかして。高杉サンの女?」
「ち……違いますっ!!」
私は慌てて否定する。
とはいえ……。
貴方達の天敵、新選組の副長の女だ……とも口が裂けても言えないが。
「あやしいなぁ。まぁ良いや、高杉サンに会いたいなら呼んでこようか? ……会合に居るけど?」
「け……結構です! あ、桂サンも居るんですか?」
「居るよ! 会いたい?」
「あ……はい!」
桂サンに会えるならば、この前のお礼をしたいと思った。
「へぇ。高杉サンじゃなくて桂サンだったのかぁ……あの人も、意外と隅に置けないなぁ」
思いっきり何か勘違いされているようだ。
恥ずかしさで俯き加減に言った。
「ち……違いますよ! 前に、助けて頂いたからお礼をと……」
言い切らない内に、私の視界が反転する。
「可憐な君の口から、他の男の名前が出てくるなんて……妬けるよなぁ。私は君に興味を持ったから、口説くつもりで話掛けたんだけどなぁ?」
組み敷かれた体勢を、何とか崩そうと努力する。
「離……してください」
久坂サンは妖しく微笑んでいる。
「ねぇ……君は、此処がどういう所か分かっているの?」
耳元で囁いた。
「久坂ぁ! 此処に居ったか! ……随分探したんだぞ!?」
突然襖が開く。
「あーあ。良いところだったのに……」
久坂サンは不満そうな表情で私から離れると、襖の方を振り返った。
「まったく……。桂サンには敵わないですよ」
苦笑いする。
「敵わないなどとは、何を言う!? 久坂、お前は村塾の双璧と謳われた男! 松陰殿もお主を最も気にかけておった……私など到底及びはしない」
「桂サン……そういう意味じゃないんですけどね?」
久坂サンは深い溜め息をついた。
「ん? 貴女は……まさか」
桂サンは、私を見ると驚きのあまり固まる。
「か……桂サン、あの……」
「そうか、そうか。君は……久坂クンの!! それは知らなかった」
なんだか、桂サンに思いっきり誤解されてるような気が……。
「違いますよ……桂サン。私が彼女を口説いてる最中に桂サンが入ってきちゃったんですよ? だから、お陰様で大失敗っっ!」
「む? それは、すまん……かったな。」
桂サンは、申し訳なさそうに頭を下げた。
この人、桂小五郎という人は……本当に素直な人なのだろうなぁと、そう感じた瞬間だった。
「久坂が居なくなったと思ったら、桂まで居なくなりやがって……。探しに来てみれば、こんなトコで遊女の取り合いたぁ……おめぇら、良いご身分さな?」
聞き覚えのある声に、顔をあげた。
「お……おめぇは!!」
高杉は驚きのあまり、持っていたキセルを落としてしまった。
キセルが床に叩き付けられる音だけが響く。
時間が止まってしまったかの様な感覚に襲われた。




