鬼の居ぬ間の交渉
温泉旅行から1週間が経った。
足の怪我はすっかり良くなり、隊務も不便なくこなせるようになっていた。
ここしばらくは全てが順調で、隊務もプライベートも充実している。
しかし
昨日からは少し違う。
土方サンが隊務の為、昨日の朝から今夜まで戻らないのだ。
たった一晩会えなかっただけで、こんなにも気が滅入る物なのだろうか?
今まで、誰かと付き合って居てもそんな風に思った事は無かった。
むしろ、週に一回会うか会わないかでも全く構わないと言う程で、周囲の女友達の様に恋愛事に必死になれない部分があった。
きっと、相手を本当に好きになっては居なかったのだろう。
もしかしたら……これが本当の恋心なのかもしれない。
隊務に当たって居ても、土方サンの事ばかりを考えてしまう。
夜になれば、女の人と一緒だったらどうしようと不安になる。
それは、初めて認識した自分の女々しさに、嫌気がさす程だった。
「はぁ……」
昨日から何度溜め息を付いているだろう。
「おーい。嬢ちゃん!」
原田サンと永倉サンが駆け寄って来る。
「何か用ですか~? 今は見ての通り……気に入るような反応はできませんからね!」
この二人にこんな風に声を掛られる時は、たいてい土方サン絡みのネタでからかわれる時だ。
「ちげぇよ! 土方サンが居なくて塞ぎ込んでる嬢ちゃんに、そんな酷ぇ事しねぇよ!」
この人は……いつも一言余分なんだってば!
心の中で原田サンに突っ込む。
「で? 何の用ですか?」
私は訝しげに尋ねた。
「土方サンと表情まで似てきやがった!」と腹を抱えて笑う原田サンをよそに、永倉サンは私の両肩をガッチリ掴むと言った。
「喜べ! 今夜、嬢ちゃんを島原に招待してやる! 俺の奢りだから、何っでも好きなモンをたらふく食わしてやるぞっ!」
「はぁ? いきなり、何ですか!?」
「嬢ちゃん、前に島原に行ってみたいって言ってただろ?」
「まぁ……確かに、興味はありますけど……。でも!」
土方サンに怒られると断ろうとした瞬間
「土方サンは今夜は遅いんだろ? なら……行っちまったモン勝ちだ!」
と私の台詞を永倉サンに先越されてしまう。
それでも、土方に心配を掛けたくない思いが強く、断り方を選んでいると……原田サンが真剣な表情で言った。
「なぁ。今夜は付き合ってくんねぇか? 土方サンの監視が強すぎて、中々嬢ちゃんを連れ出せねぇんだよ……」
いつもふざけている原田サンが急に真顔になったので、不覚にも一瞬ドキッとしてしまった。
「何か……理由があるのですか?」
永倉サンは頭を掻くと、照れ臭そうに話始めた。
「実はな……。小常が……あっ、小常ってぇのは俺の馴染みの女なんだがな。……お前に会いたがってんだよ」
「私に?」
「俺達がお前の事を良く話すから、小常が興味を持っちまってよ……。酒も入ってるもんだから、つい軽く約束しちまったんだよなぁ」
永倉サンは申し訳なさそうに言った。
「ちょっと待ってくださいっ! そんな事より……どうせ、ロクでもない事を言ってたんでしょう? 私の何を話したんですか!?」
永倉サンに詰問する。
「医術ができる珍しい女が入隊してきたって事を言っただけだ! ……あとは、土方サンの女だって事を少ぉぉしだけ」
小常とやらが私に会いたがった理由が少し分かった気がした。
きっと後者の方だ。
おおかた、島原でも人気の土方サンが選んだ女を品定めしたかったのだろう。
「嫌ですっ!」
笑顔ではっきりと断った。
永倉サンは、立ち去ろうとする私の前に回り込むと、深々と頭を下げた。
「頼むっ! 小常が楽しみにして仕方ねぇんだ!」
原田サンは私の肩に手を置くと、
「新ぱっつぁんの顔を立てると思って協力してやってくんねぇか? ……小常は特別な女なんだとよ!」
と笑顔で言った。
「…………」
困った表情で永倉サンと原田サンを交互に見た。
「好いた女の願いは、どんな小っせぇ事でも叶えてやりてぇと思うのが男なんだよ。土方サンだって、嬢チャンの為なら危険も顧みずに敵サンの中に平気で突っ込んで行くだろ?」
「そこで土方サンを出すのは卑怯です……」
私は、頬を膨らませる。
「もうっ!! 私が土方サンに怒られたら……二人のせいにしますよ? それから……美味しいもの、期待してますからね?」
と呟いた。
永倉サンは、
「望むところだ!」
と言うと、何度も何度もお礼を言った。
島原……前から興味があったから、実はちょっと嬉しい。
と言うのは秘密。




