帰り路
餡蜜屋の前で葵チャンと別れると、私は屯所までの帰り道を急いだ。
少しでも遅くなると、土方サンに怒られる……というよりも、土方サンに当たり散らされる他の隊士に申し訳ない。
脇目もふらず走る。
曲がり角を曲がった時、人にぶつかってしまった。
「いったた……」
ぶつかった女性は立ち上がると
「ほんに、すんません」
と言い、座り込んでいる私に手を差し出す。
立ち上がろうとした瞬間
右足に激痛が走った。
「痛っっ!!」
転んだ時に足でも捻っただろうか。
「大丈夫どすか? ……あら? あんさんは確か」
女性は私の顔を見ると、動きが止まる。
「あっ……」
この人は……
あの日、土方と親しそうに話していた美女だ。
確か……あやめ、と言っただろうか?
嫌な人に会ってしまった……早く此処を去りたい。
とは思うものの、足の痛みに動き出せずに居た。
「足……痛めはりましたか?」
「大……丈夫……です」
「そや。うちで少し休んで行きはりませんか?」
断ろうとしたその時
「うちなぁ……あんさんと話してみたいと思うてたんや。……土方はんの事で」
あやめの言った一言に過剰に反応してしまった。
「……行きます!」
即答だった。
あやめの自宅に向かおうと立ち上がると、丁度原田サンと永倉サンに会った。
「おーい。嬢ちゃん! こんな所で何してやがんだ?」
「あっ。二人とも良いところに! 帰ったら、土方サンに戻りが少し遅くなると伝えてもらえますか? お願いしますっ!!」
「あー。良いけど……土方サン、怒るんじゃねぇか?」
渋る二人に嫌な役を無理矢理押し付けると、制止の声も聞かず、あやめの自宅に行く事を選択した。
そんなやり取りを見ていたあやめは、クスリと笑うと私に手を貸し、肩を抱くようにして自宅へと向かった。
「そこ。お座りやす」
「失礼します」
座布団に座ると、あやめはお茶を出す。
私の向かいに座り、品定めするような目で上から下へと見ると、口を開いた。
「あんさん……土方はんの何ですの?」
「何……って言われても……」
返答に困り、口ごもる。
あやめは溜め息を付くと、冷たい表情で言い放った。
「土方はんと別れておくれやす。あんさんみたいな小娘に土方はんは似合わへん。……うちなら、情報集めもできる。あの人の駒にやってなれるんや」
「…………」
「それになぁ。あん人は本気で女を愛したりしはりません! 今はあんさんも、物珍しいから手元に置かれてはりますけどなぁ……飽きられたら捨てられるのがオチや? 娘サンのアンタは……傷つく前に去った方がええ」
本気で女を愛したりしない。
この人は土方サンの何を知っているのだろうか?
土方サンはそんなに冷たい男なのだろうか?
言い知れぬ不安で、胸が抉られそうだった。
「あんさんは知らいでしょうけどね、あの人にはうちみたいな女が沢山いますえ。うち達は情報を集める報酬に、一夜限りの契りを交わす……そやけども、そこには愛情はあらしまへん。今まで数々の女がそうどした。」
「一夜限り? 報……酬? 何それ……」
私はその言葉に、顔が引きつる。
「せやから……あんさんが特別などと思わないほうがええや?」
あやめは、勝ち誇ったように笑った。
「そん……なの」
私は、着物をギュッと握りしめた。
「そんなの……信じない! 貴女が土方サンに本気になってもらえないからって、私まで巻き込まないでよ!」
私はあやめを睨むと、そう言い放った。
「そうやろか。聞き分けの無い娘は……うちは嫌いどす。素直に別れるなら、そのまんま帰してあげようと思っとったけどね……まぁ、勘忍どすえな? あんさんが傷物にでもなれば……土方はんの所には戻れはせいでしょうね」
そう言うと、あやめは笑顔で部屋を後にした。
私は、帰ろうと傷む足を庇いながら立ち上がる。
瞬間
部屋に3人の男達が入ってきた。
「な……何ですか?」
男たちは下卑た笑みを浮かべている。
「この人らはなぁ……土方はんや新選組に仲間を斬られた長州の者や。うちが長州の間者しとったんは土方はんの為だけやったから……それが無くなってしまえば、長州者とだって手を組みはりますわ。桜はん……あんじょう、お気張りやす」
あやめは、初めて私の名前を呼ぶと、足早に部屋から去って行った。
絶体……絶命
この足では走って逃げる事も出来ない。
刀すら持たない私は正真正銘、丸腰だ。
「さぁて。お前、あの土方の女なんだってなぁ?」
「それも、大層大事にされてるらしいじゃねぇか? まぁ……俺は、あやめの方が良い女だと思うがなぁ」
「自分の女が傷物にされたら……鬼の副長さんはどんな顔をするのかねぇ?」
3人は思い思いに話す。
「い……や」
恐怖で涙を流しながらも、必死に後ずさりする。
「あーあ。泣いちゃったよ」
「俺はそっちの方が良いけどね?」
男たちは、逃げようとする私をいとも簡単に捕まえると、私の手を纏め上げ馬乗りになる。
帯を緩められ夢中で抵抗すると、男は刀を抜き私の喉元に突き付けた。
「あまり煩いと……間違えて斬ってしまうよ?」
恐怖で全身が硬直する。
「そうそう……おとなしくしていれば良いんだ」
もう駄目だ……と思い堅く目を閉じた。
その時、不意に男の手が止まる。
「なんだ、何か騒がしいぞ? おい、お前……ちょっと表を見て来い!」
馬乗りになっていた男が、他の者に指示した。
言い付けられた仲間が部屋を出たのを確認すると、男は先程の続きと言わんばかりに私に手を伸ばす。
「てめぇ……誰のモンに手ぇ出してんだ?」
その声に、堅く閉じた目蓋を開ける。
あろうことか……
土方サンが男の首元に切っ先を向けていた。
「土……方サ……ン?」
同時に、原田サンと永倉サン、斉藤サンに平助クンの四人が、先程の二人の男とあやめを捕縛し、部屋に入ってくる。
「土方サン! こっちは終わったぜ!」
しかし
私と男と土方サンの状態を見て、四人は動きが止まる。
「……嬢ちゃん?」
土方サンは原田サンの方へ男を蹴り飛ばすと、私に自身の打ち掛けをかけ、抱きかかえた。
「こいつらに長州の情報を吐かせたら……全員処分しとけ」
土方サンは四人に、そう伝える。
その声はとても冷たく、まるで、その怒りを腹の底に必死に抑え込んでいるかの様だった。
土方サンは、不意にあやめの前で立ち止まる。
「お前や他の女共と、こいつは……違ぇんだよ」
そう呟くと、部屋を後にした。
土方サンに抱きかかえられながらも、あやめが泣き崩れているのが……私には何となく分かった。




