高杉と桂
「高杉に……何か酷い事はされなかったか?」
桂サンは心配そうに尋ねる。
「いえ……大丈夫です」
平助クンの姿が一瞬チラついたが、私は敢えて何も言わなかった。
「さて……。まずは、その着物をどうにかせねば……な。私に付いてくると良い」
そう言うと、私は桂サンの後を追うようにして藩邸に入って行った。
途中、桂サンは出会った女中に
「この者に風呂を貸してやってくれ。それと……何か上等な着物を見繕ってやって欲しい。……高杉の客だからな……とにかく、丁重に頼む」
と言うと、私をその女中に任せた。
「こちらへどうぞ」
女中に促されるまま浴室に入る。
湯船に浸かりながら、ふと考えた。
平助クンは無事だったかなぁ?
土方サンはどうしているだろうか?
総司サンはちゃんとお薬を飲んでくれてるかな?
私は新選組に帰れるのだろうか?
これから……どうなってしまうのだろうか?
長州に連れて行かれてしまったら……土方サンとはきっと、二度と会えないだろう。
京都から山口県なんて……遠すぎるよ。
こんな事になるなら、あの夜誤魔化したりせずに、土方サンに素直に想いを告げるべきだった……
後悔と不安で胸がいっぱいになる。
浴室から出ると、女中が待機していた。
「お着物をお持ち致しました」
事務的にテキパキと私の着付けを終える。
「あの……こういった事はよくあるんですか?」
私は女中に尋ねる。
「こういった事?」
「えっと……あの人、いえ……高杉が私みたいのを連れて来る事……です」
女中はニッコリ微笑む。
「ええ……あの方はしょっちゅう女性を拾ってきはりますなぁ。日常茶飯時やさかい……うちらはもう慣れはりました」
「そう……ですか」
やっぱりあの人はロクな人じゃない!
そう確信した。
「あんさんは、無理矢理連れて来られたかは知りまへんけどなぁ……逃げよう等とは思わん方がええですよ。……あの方は、気性が激しいさかい。女かて斬り捨てられかねまへん。あの方が飽きるまで……ただ辛抱する事です」
私の表情を見て心中を察したのか、女中はそう付け加えた。
「さぁさ。こちらへどうぞ」
私は、高杉の部屋に通される。
「よぉ……。あの犬っころの血は……よく洗い流して来たか?」
高杉のその言葉に、私は無言で睨み付ける。
「良い目だ……と言いたい所だがなぁ。そう睨むな。折角の上等な着物が台無しじゃねぇか」
キセルを吹かし、余裕の表情を浮かべている。
「高杉ーっっ!」
「またおめぇか……桂。一体何の用だぁ?」
高杉はやる気の無い声で尋ねた。
「何だ? じゃない! 今度こそ、きちんと説明してもらうぞ!」
高杉の様子に苛立ちを隠せない桂サンは、捲し立てた。
「説明も何もねぇよ……。気に入った女が居たから連れてきた……ただそれだけだ」
高杉は悪びれもせずに言った。
「まぁ……途中で歯向かってきた壬生狼の犬っころが居たからなぁ……一匹程、斬り捨てたがなぁ。それにしても、こいつが賢い女だったからな……あの仔犬も命拾いしただろうよ」
「お……お前、何という事を!?」
高杉の適当な説明に、桂サンは激昂した。
「お前という奴は……あれ程騒ぎを起こすなと言ったのに……。よりによって新選組を斬り伏せただと? お前は……あの時の事を、もう忘れてしまったのか!?」
桂サンの最後の一言に、高杉は強く反応した。
高杉はあからさまに不機嫌な表情をする。
「桂ぁ……俺におめぇを斬らせるなよ!?」
そう言うと、高杉は私の手首を掴み引き寄せる。
「……出ていけ!!」
高杉は、桂サンに冷たく言い放った。
「出ていくのは構わん! だが……この娘は私が連れて行こう!!」
桂サンは、高杉から私を無理矢理引き剥がすと部屋を後にした。
桂サンの自室だろうか……とある一室に通される。
座るよう促され、腰を下ろした。
「まずは……高杉がすまない事をした」
桂サンは私に深々と頭を下げた。
「それで……。まずは名前だな。私は桂小五郎だ」
「私は……蓮見桜と言います」
まずは、お互いに名乗り合った。
「そうか。ところで、高杉とはどういった関係なのだろうか?」
「関係なんて……。この前、島原の近くで会ったのが初めてで、今日が二回目です。……何故私が連れ去られたのかなんて、私にも分かりません」
「……それは本当に申し訳ないことをした。それより……貴女は新選組なのか?」
「えっと……」
私は、返答に困る。
「いや……。高杉が新選組の隊士を斬り伏せたと言っていたもので……新選組の女中かと思ったのだ」
「……女中とは違いますが、新選組にお世話になっています」
桂サンは少し困った表情をしていた。
「女中ではないという事は……誰かの愛妾か何かなのか?」
「愛……妾?」
聞き慣れない言葉に私は戸惑う。
「つまりは、誰かの妾かという事だ」
妾とはつまり、愛人の事だ。
私は驚きつつも、強く否定した。
「違いますっ! 私は新選組で隊士の看護を仕事にしていただけです!」
「看……護?」
初めて聞く言葉に、今度は桂サンが聞き返す。
「えっと……そっか、この時代の人には伝わりませんよね。看護って言うのは、私の時代の言葉で、病人や怪我人の世話をする人の事です」
そこまで言って、私はハッと気付く。
新選組では、幹部や山崎サンなどの一部の隊士は私の素性を知っていたので、隠す必要はなかった。
だから、つい普段のように話してしまったのだ。
「この時代? ……私の時代?」
桂サンが首を捻る。
「面白ぇなぁ……」
その声に振り返ると、いつから居たのだろう……高杉の姿があった。
高杉は、そのまま私に近づくと顎を掴む。
「壬生狼の犬っころ共は、こんな面白ぇ女を匿っていた訳か。ククッ……今頃、お前を血眼で捜してるだろうよ?」
品定めするような目で私を見る。
「高杉っ!」
桂サンが制止すると、高杉は私の横にドカッと腰を下ろした。
「おめぇ……この時代の人間じゃねぇんだろ?」
「……そんな事はありません」
「嘘吐くんじゃねぇよ。……おめぇの事は調べさせたんだ。……蓮見桜。少し前に壬生狼の屯所に現れた。おめぇは先の世から来た。今まで壬生狼に匿われて暮らしてたんだろ?」
「そんな事は……」
「うちの間者も中々有能なもんでなぁ……島原に忍ばせれば、こんな情報すぐに掴めらぁよ」
高杉の表情に、私は何も言えずにただ俯く。
「それは……本当……なのか?」
桂サンは声を震わせた。
「それで……この、日の本の未来は……どうなるのだ?徳川の世は続くのか?それとも……」
興奮した桂サンは私の手を取り、詰め寄る。
「桂ぁ……汚ぇ手で触んじゃねぇよ!!」
その瞬間、高杉は桂サンの手を叩いた。
「私の居た時代は……貴方達が作った世の中……です」
その言葉を聞き、桂サンは更に質問を重ねる。
「そうか、そうか。それで? どの様な世になっているんだ?」
「とても平和で……争いもなく……武士も居ない。皆が十分な教育を受ける事が出来る。とても平等な世の中です」
「桂サンも高杉サンも……歴史上の偉人てして、後世に名が受け継がれています」
それを聞き、桂サンは満足そうな表情を浮かべた。
「おい。もう良いだろ?」
一言、そう言うと高杉は私を抱え、部屋に戻った。
乱暴に下ろされるかと思ったが、意外にも普通に下ろされた事に少し驚いた。
高杉は私に近付く。
「おめぇは先が見えているのに……何故、壬生狼に居る? 俺達が新しい世を作った……という事は、壬生狼の犬どもは消えるって事だろ?」
と尋ねた。
「……それは」
土方サンが居るから。
とは言えず、口ごもる。
高杉は表情で悟ったのか
「壬生狼の犬に飼い慣らされてやがんのか?」
そう言い、私を床に押し倒すと更に尋ねた。
「相手は……今日斬った仔犬か? それとも……」
「ち……違っ」
「そいつを斬れば……おめぇがあそこに居る道理は無くなるよなぁ?」
手首を掴む力が強まる。
この人……危ない。
本能でそう直感し避けようとするが、力では敵わず、私にはどうする事も出来なかった。
「そろそろ、壬生狼の犬どもを狩るのも良いだろう。今日の仔犬程度の奴なら……すぐに仕留められる」
その言葉に、私は高杉を睨み付ける。
「土方サンは……あんたなんかに斬られないっ!」
つい、頭に来て叫んでしまった。
ハッと気付くが時、既に遅し。
「ハッ……そうか。あの有名な、鬼の副長様に飼い慣らされてやがんのか」
高杉は、不敵な笑みを浮かべた。
「相手にとって不足なし……と言いたい所だが、まずはこっち……だな」
組み敷いた私を、高杉は上から見下ろす。
「さて……おめぇがこんな所でこんな状況だと知ったら……鬼の副長様は、一体どんな表情をするんだろうな? さぞ面白ぇ表情するんだろうよ」
その言葉に背筋が凍りつく。
恐怖で声が出ない。
気付けば涙が溢れていた。
「……興が冷めた」
しばらく、私のその表情を眺めていた高杉は、突然私からパッと手を離した。
私は起き上がると、高杉の頬を思いっきり叩く。
「最っ低!」
私は、泣きながら部屋を出た。




