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桜前線此処にあり  作者: 祀木 楓
第29章 陶酔
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小料理屋での密会

 

 

「とりあえず、適当に頼め」



 トシのその一言に、私と平助クンは顔を見合わせ、戸惑いながらもお酒といくらかの料理を注文した。


 お酒が届くと、トシは無言で一口また一口とお酒を飲み始める。


 私たちはそんなトシの様子を横目に、料理に手をつけた。







「おい……桜、土方サンは一体何の用で、俺を呼んだんだろうな。さっきから何も話しゃしねぇし……酒を飲んでるだけだしさ」


「そう……だね。私が居るから……なのかな。やっぱり、私……帰ったほうが良い……よね?」



 こっそりと話し掛ける平助クンに、私は静かに答える。



「そりゃねぇよ。頼むから今俺を独りにしねぇでくれよ。この雰囲気でお前が居なくなっちまったら、俺も耐えられねぇよ」


「で……でも……」



 トシの密会の相手が平助クンだと分かった時点で、私が此処に居続ける意味はもう無いのだが……私の着物の袖を掴み懇願する平助クンの姿に、何だか帰るに帰れなくなってしまった。


 その後もしばらくの間、沈黙と居心地の悪い雰囲気は続く。


 トシは一体何の為に、平助クンを呼び出したのだろうか?


 やはり、私が居るから話せないのだろうか?


 それとも、考えをまとめているのだろうか?


 いずれにせよ、この重苦しい雰囲気は……気まずい。


 きっと、それ程までに大切な話だったのだろう。


 平助クンには悪いが、やっぱり帰ろう。


 そう思った私は、ゆっくりと口を開く。



「……あ、あの!」


「話……だがな」



 何という事だろう。


 私の言葉が、トシの言葉とかぶってしまった。


 気まず過ぎる……



「ん? 何だ? 何か言いたい事でもあんのか?」


「あ……えっと、別に……何でもない。ごめんね、トシが話して」



 帰ると言うタイミングを完全に逃してしまった私は、この雰囲気に最後まで付き合う覚悟を決めた。



「それで……その、話ってのは何なんですか?」


「あ……あぁ、そうだな。話だったな。まぁ何てぇか……遠回しな言い方をしても面倒だからな、単刀直入に言う」



 一瞬にして真剣な表情になったトシは、平助クンに向き直ると、その言葉を続けた。



「平助……お前、新選組に戻ってこい」



 トシの意外な言葉に、私も平助クンも顔を見合わせたまま、返す言葉を失ってしまう。


 平助クンを連れ戻したいと思っているのは、私だけじゃ……なかった。


 そう思った時、私の心臓はトクンと跳ねた。


 これは、史実にある事なのだろうか?


 トシが平助クンを呼び出し、平助クンがそれに応じる……言ってみれば、密会だ。


 それが史実通りか否かなど、私に確かめる術は無い。


 そもそも、今はそんな事を考えている場合ではないのだが……私は様々な考えを巡らせた。



「念願の幕臣にもなった。近々、新しい屯所にも移る。あの日……あの試衛館で思い描いていた事が、次々と現実になっている。これは、俺や近藤サンだけで成し遂げた事じゃねぇ。総司や山南サンや源サンたちが居てこそ、実現できた事だ。勿論、平助……お前もその中に入っている」


「でもさ……土方サン、俺は……もう」


「俺らはお前を仲間だと思ってるんだがな。それこそ、昔も今も変わらず……だ」



 トシの言葉に、平助クンは俯き唇をギュッと噛み締めていた。


 その一言が平助クンにとって嬉しくない筈が無い。


 かつて志を共にした近藤サンと伊東サンとの狭間で、揺れ動く心があるのだろう。


 近藤サンに恩義はあるが、伊東サンを裏切ることもできない。


 きっと、そんな風に考えているのだろうと思った。


 だからトシのこの一言は、嬉しい言葉である反面、平助クンを苦しめるような言葉。


 私は、二人の話の行方を静かに見守った。



「まぁ……すぐにどうこうしろなんて思っちゃいねぇさ。俺もそこまで鬼じゃねぇ……ゆっくり考えろ、とまでは言えねえが……少し考えてみてくれ」



 静かにそう話すトシに、平助クンは反応すらできない様子だ。


 心配に思った私は、平助クンにそっと手を伸ばす。



「今日のところはこれで帰る。良い返事を……期待しているからな。……桜! 行くぞ」



 私の手は平助クンに届く事も無いままトシに呼ばれ、その手を引っ込める。


 平助クンの様子が気にはなったものの、私は小さく「またね」と声を掛け、ゆっくりと立ち上がった。



「……待って」



 立ち上がった私を引き止める声と腕に、私はゆっくりと振り返った。



「土方サン……悪ぃけど……桜を置いてってくんねぇか? ちょっと、独りじゃ気持ちの整理がつかねぇみてぇ……だ」



 トシは、戸惑う私と俯く平助クンを交互に見ると、ニヤリと口角を上げた。



「良いだろう。だが……必ず朝方までには、コイツを屯所に帰すこと。勿論、無傷で……な。桜を送る途中で、不逞浪士なんざに襲われて、二人して怪我するような格好悪ぃ事になるんじゃねぇぞ? それが約束できるなら、貸してやろうじゃねぇか」


「……分かってる」


「そういう事だ。桜……悪ぃが、平助の相談に乗ってやってくれ。俺ぁ、先に戻ってるからな」



 私がコクりと頷いたのを見ると、トシは私たちに背を向け、店を後にした。



 平助クンは……私に、何を話したいのだろうか?



 トシの背を見送りながら、平助クンにどんな言葉を掛ければ良いものかと、頭を悩ませていた。






 

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