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桜前線此処にあり  作者: 祀木 楓
第29章 陶酔
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内示

 

 

 それは、6月10日の夜の事だった。


 いつものように、私は御陵衛士の屯所から新選組の屯所へと帰宅する。


 私が門をくぐると、そこには私の帰りを待ちかまえていたかの様に、幹部達の姿があった。



「やっと帰ってきたのか!」


「みなさんお揃いで……一体、どうしたのです?」


「どうしたも、こうしたもねぇよ。早く近藤サンの所へ行くぞ」


「えっ!? ちょ……ちょっと待って下さい。原田サン……そんなに引っ張らないで下さいよ。そ、総司サン! 笑っていないで、助けて下さいってば」



 何の説明も受けぬまま、私は原田サンに引きずられるようにして歩く。


 総司サンや永倉サンらに理由を尋ねるも、皆笑っているだけで、何一つ状況が分からない。


 この様子からすると、悪い話では無さそうなのだが……






 そうこうしている内に、私達は広間へと辿り着く。


 襖を開けるなり目に入ったものに、私の表情は一瞬にして明るいものになった。



「山南……サン!?」



 私やトシ達が山南サンの元を訪れて以来の再開だった。


 皆がニコニコしていたのは、きっと山南サンの事だったのだろう。


 私は小さく微笑むと、山南サンに頭を下げた。



「お帰りなさい……山南サン」


「フフ……ただいま。桜サン、今まで貴女にばかり土方クンの事を任せてしまって……苦労をかけてしまいましたね」


「いえ……そんな……苦労だなんて事はありませんよ。私は、好きでトシの側に居るんです。これが私の意思です」



 私の言葉に一瞬、場の空気が止まる。


 その瞬間、私は自分の発した言葉を思い返し、一気に赤面した。



「あっ! ち……違うんです。好きっていうのは、トシが好きとかって意味じゃなくてですねぇ……」


「えー? 嬢ちゃんは土方サンを好いているんじゃねぇのかよ?」


「ち……違っ! 確かにトシは好きですけど! 私が言いたかったのは、そういう個人的な意味でなく……あのですねぇ、とにかく……新選組や皆が好きだから、私の意思でここに居るんだって事なんですっ!」



 原田サンはニヤニヤしながら私を眺めている。



「こら、こら。あまり、からかうものではありませんよ? 原田クンも祝言を挙げたそうですねぇ。でしたら、彼女や土方クンの気持ちも解るのではありませんか?」


「……悪かったな。つい、癖でからかっちまうんだが……まぁその、なんだ? 嬢ちゃんにそう言ってもらえるとさ、やっぱり俺らは嬉しいモンだ。……ありがとよ」


「これにて、一件落着……ですね」



 山南サンはニコニコと微笑んでいる。


 その日溜まりのような笑顔が、何だか懐かしく思え、とても心地好い。



「なぁにが一件落着なんだ? おい、左之……お前、また桜にちょっかい出しただろう」



 遅れて広間に入ってきた近藤サンとトシ。


 トシは襖を開けるなり、原田サンを一瞥し眉間にシワを寄せる。



「なっ……何もしちゃいねぇよ。なっ? 嬢ちゃん?」


「そ、そうだよ。トシは心配し過ぎだよ! 何でもないから大丈夫」



 助けを求めるような原田サンの目に、私はつい原田サンを庇う。


 トシは何だか納得の行かなそうな表情を浮かべていたが、それ以上何かを尋ねる事はなかった。






「忙しいところ、急に呼び立ててしまってすまなかったな。取り急ぎ、伝えたい事があったのだよ」



 取り急ぎ伝えたい……事?


 山南サンの事だけではないのだろうか。


 不思議に思いつつも、私は近藤サンの声に耳を傾ける。



「あぁ、その前に……山南クン。よく帰って来てくれた……これからも、どうか私やトシを支えて貰いたい」


「局長……その様な勿体無い言葉は掛けないで頂きたい。私の方こそ……長い間、屯所を空けてしまい申し訳ありませんでした」



 山南サンは、深々と頭を下げた。



「山南サンの役職だが……総長やら、参謀やらは取り止めだ!」


「そう……ですか。長期間、屯所を空けてしまった私が悪いのです。仕方ありませんね」


「何を言ってやがる? アンタは俺と同じ副長職じゃ、不満だってのか?」


「ふ……副長? 私が、ですか?」


「もとを正せば、初めの頃は二人で副長だったじゃねぇか。もしも、アンタが不満だってぇなら、仕方ねぇ……俺の上になるか?」



 トシは頭を掻きながら、首を捻る。



「不満だなんて……そんな事はありません! むしろ、逆ですよ。それでは……副長職、謹んでお受け致します」


「そうか……不満じゃねぇなら、良い」



 山南サンとトシは、顔を見合わせると微笑んだ。



「さて……本題だ」



 近藤サンの声に、場の空気は一瞬にして引き締まる。


 本題とは……一体、なんだろう?


 私はゴクリと唾を飲み込んだ。



「喜べ! 本日、内示を賜った……我々は……この新選組は、ついに幕臣となるのだ」


「ば……幕臣!? 何だって急に……」


「これまでの功績が認められたという事だろう。今まで皆には、苦労ばかりかけてしまったな。本当にすまなかった……そして、ありがとう。これからも、宜しく頼む」




 近藤サンは目を潤ませながら、皆を見渡した。



「まぁ、幕臣てぇのは有り難ぇ話なんだがな……今のところ、副長助勤格……つまりは、この場に居る者のみってわけだ」


「何だよそれ……」


「一応な……新選組全体がそうなれるように、打診はしている。だが……中々厳しいかもしれねぇなぁ」



 トシは、そう言うと深い溜め息を一つついた。



「土方サン、幕臣になると何か良い事でもあるんですか?」


「……総司、何だその漠然とした問いは。幕臣が良いかどうかは、俺にだって分からねぇよ。だがな、やっとここまで来られた……やっと誠の武士になれた……それは、此所に居る誰にとっても、感慨深ぇ事じゃねぇのか?」


「んー。僕にはよく分かりませんが、お給金が増えるなら良い事なのかなぁ? そしたら、今までよりももっと京菓子が食べられるし……」


「お前は、甘いモンばっかり食い過ぎなんだよ! おい、桜。お前からも、総司に何か言ってやれ」



 トシは溜め息をつきながら、私にあとを託す。


 何かと言われても……



「糖分の過剰摂取は、糖尿病や高血圧それに糖質依存症とか色々な物を引き起こすけど……今はそんな事よりも、内示の話の方を聞きたい……かな?」


「何か気になる事でもあるのか?」


「少し……ね。幕臣の取り立てって、今の段階ではここに居る皆だけなんだよね? でも、私が知ってる歴史では、新選組の全員が幕臣になるってあったから……ちょっと気になったの」


「そう……か。それは良い話じゃねぇか。全員がそうなるって事はだ、俺の打診が功を奏するって事だからな」



 トシは嬉しそうに笑っていたが、内心私は気に病んでいた。


 また、私の意図と関係なく歴史が変わってしまったのではないかと……







 あれから2週間近く経った、6月23日。


 新選組は正式に、幕臣となった。


 私の危惧していた事は特に問題なく、やはり史実通り事は進んでいた。


 つまりは、全員が幕臣に取り立てられたという事だ。


 見廻り組と同格という事で、一部の人達は特に喜んでいた。


 これで対等に渡り合えると、そう考えているのだろう……



「嬢ちゃん! なんだ、こんな日まで働いているのかよ……どんどん似てくるなぁ……土方サンに」


「働かざる者、食うべからず……ですよ! トシも私も、すべき事があるからこなしているまでです。仕事には、こんな日もあんな日もありませんよ」


「仕事って……働き過ぎじゃねぇか! 嬢ちゃんは、伊東サンの所が非番の日は、こっちで仕事をしてるだろ? 皆、心配してるんだ。それにさ……嬢ちゃんも土方サンも、もうちょっと肩の力を抜いた方が良いぜ? あんまり気ばっか張ってっと……」


「原田サンの言いたい事は、分かってますよ。これでも、夜はゆっくり休んで居ますから大丈夫です。それより……何かあったんじゃないですか?」



 私は原田サンに尋ねる。



「あぁ……そう、そう! 今日は夜から、酒宴だ……と伝えに来たんだった」


「酒宴……今日は島原ですか? 祇園ですか?」


「違ぇよ。今日は……此処でやる。全員が幕臣になったんだ。祝うのも全員でってぇのが筋だろ?」


「確かにそうですが……流石に此処で、お酒を飲んで騒ぐのはマズイかと……」


「それなら大丈夫みてぇだぞ? 何でも、今日だけは特別だそうだ」


「そう……ですか」



 伝える事だけ伝えて去って行く原田サンの背を見送りながら、ふと考える。



 こんな所で酒宴だなんて……本当に良いのかなぁ。


 幕臣になったからって、押し切っちゃったのかな。


 ちゃんと許可されたのなら、良いんだけど……



 酒宴まであと数刻。


 私はとりあえず、手元の仕事をこなしていった。












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