内示
それは、6月10日の夜の事だった。
いつものように、私は御陵衛士の屯所から新選組の屯所へと帰宅する。
私が門をくぐると、そこには私の帰りを待ちかまえていたかの様に、幹部達の姿があった。
「やっと帰ってきたのか!」
「みなさんお揃いで……一体、どうしたのです?」
「どうしたも、こうしたもねぇよ。早く近藤サンの所へ行くぞ」
「えっ!? ちょ……ちょっと待って下さい。原田サン……そんなに引っ張らないで下さいよ。そ、総司サン! 笑っていないで、助けて下さいってば」
何の説明も受けぬまま、私は原田サンに引きずられるようにして歩く。
総司サンや永倉サンらに理由を尋ねるも、皆笑っているだけで、何一つ状況が分からない。
この様子からすると、悪い話では無さそうなのだが……
そうこうしている内に、私達は広間へと辿り着く。
襖を開けるなり目に入ったものに、私の表情は一瞬にして明るいものになった。
「山南……サン!?」
私やトシ達が山南サンの元を訪れて以来の再開だった。
皆がニコニコしていたのは、きっと山南サンの事だったのだろう。
私は小さく微笑むと、山南サンに頭を下げた。
「お帰りなさい……山南サン」
「フフ……ただいま。桜サン、今まで貴女にばかり土方クンの事を任せてしまって……苦労をかけてしまいましたね」
「いえ……そんな……苦労だなんて事はありませんよ。私は、好きでトシの側に居るんです。これが私の意思です」
私の言葉に一瞬、場の空気が止まる。
その瞬間、私は自分の発した言葉を思い返し、一気に赤面した。
「あっ! ち……違うんです。好きっていうのは、トシが好きとかって意味じゃなくてですねぇ……」
「えー? 嬢ちゃんは土方サンを好いているんじゃねぇのかよ?」
「ち……違っ! 確かにトシは好きですけど! 私が言いたかったのは、そういう個人的な意味でなく……あのですねぇ、とにかく……新選組や皆が好きだから、私の意思でここに居るんだって事なんですっ!」
原田サンはニヤニヤしながら私を眺めている。
「こら、こら。あまり、からかうものではありませんよ? 原田クンも祝言を挙げたそうですねぇ。でしたら、彼女や土方クンの気持ちも解るのではありませんか?」
「……悪かったな。つい、癖でからかっちまうんだが……まぁその、なんだ? 嬢ちゃんにそう言ってもらえるとさ、やっぱり俺らは嬉しいモンだ。……ありがとよ」
「これにて、一件落着……ですね」
山南サンはニコニコと微笑んでいる。
その日溜まりのような笑顔が、何だか懐かしく思え、とても心地好い。
「なぁにが一件落着なんだ? おい、左之……お前、また桜にちょっかい出しただろう」
遅れて広間に入ってきた近藤サンとトシ。
トシは襖を開けるなり、原田サンを一瞥し眉間にシワを寄せる。
「なっ……何もしちゃいねぇよ。なっ? 嬢ちゃん?」
「そ、そうだよ。トシは心配し過ぎだよ! 何でもないから大丈夫」
助けを求めるような原田サンの目に、私はつい原田サンを庇う。
トシは何だか納得の行かなそうな表情を浮かべていたが、それ以上何かを尋ねる事はなかった。
「忙しいところ、急に呼び立ててしまってすまなかったな。取り急ぎ、伝えたい事があったのだよ」
取り急ぎ伝えたい……事?
山南サンの事だけではないのだろうか。
不思議に思いつつも、私は近藤サンの声に耳を傾ける。
「あぁ、その前に……山南クン。よく帰って来てくれた……これからも、どうか私やトシを支えて貰いたい」
「局長……その様な勿体無い言葉は掛けないで頂きたい。私の方こそ……長い間、屯所を空けてしまい申し訳ありませんでした」
山南サンは、深々と頭を下げた。
「山南サンの役職だが……総長やら、参謀やらは取り止めだ!」
「そう……ですか。長期間、屯所を空けてしまった私が悪いのです。仕方ありませんね」
「何を言ってやがる? アンタは俺と同じ副長職じゃ、不満だってのか?」
「ふ……副長? 私が、ですか?」
「もとを正せば、初めの頃は二人で副長だったじゃねぇか。もしも、アンタが不満だってぇなら、仕方ねぇ……俺の上になるか?」
トシは頭を掻きながら、首を捻る。
「不満だなんて……そんな事はありません! むしろ、逆ですよ。それでは……副長職、謹んでお受け致します」
「そうか……不満じゃねぇなら、良い」
山南サンとトシは、顔を見合わせると微笑んだ。
「さて……本題だ」
近藤サンの声に、場の空気は一瞬にして引き締まる。
本題とは……一体、なんだろう?
私はゴクリと唾を飲み込んだ。
「喜べ! 本日、内示を賜った……我々は……この新選組は、ついに幕臣となるのだ」
「ば……幕臣!? 何だって急に……」
「これまでの功績が認められたという事だろう。今まで皆には、苦労ばかりかけてしまったな。本当にすまなかった……そして、ありがとう。これからも、宜しく頼む」
近藤サンは目を潤ませながら、皆を見渡した。
「まぁ、幕臣てぇのは有り難ぇ話なんだがな……今のところ、副長助勤格……つまりは、この場に居る者のみってわけだ」
「何だよそれ……」
「一応な……新選組全体がそうなれるように、打診はしている。だが……中々厳しいかもしれねぇなぁ」
トシは、そう言うと深い溜め息を一つついた。
「土方サン、幕臣になると何か良い事でもあるんですか?」
「……総司、何だその漠然とした問いは。幕臣が良いかどうかは、俺にだって分からねぇよ。だがな、やっとここまで来られた……やっと誠の武士になれた……それは、此所に居る誰にとっても、感慨深ぇ事じゃねぇのか?」
「んー。僕にはよく分かりませんが、お給金が増えるなら良い事なのかなぁ? そしたら、今までよりももっと京菓子が食べられるし……」
「お前は、甘いモンばっかり食い過ぎなんだよ! おい、桜。お前からも、総司に何か言ってやれ」
トシは溜め息をつきながら、私にあとを託す。
何かと言われても……
「糖分の過剰摂取は、糖尿病や高血圧それに糖質依存症とか色々な物を引き起こすけど……今はそんな事よりも、内示の話の方を聞きたい……かな?」
「何か気になる事でもあるのか?」
「少し……ね。幕臣の取り立てって、今の段階ではここに居る皆だけなんだよね? でも、私が知ってる歴史では、新選組の全員が幕臣になるってあったから……ちょっと気になったの」
「そう……か。それは良い話じゃねぇか。全員がそうなるって事はだ、俺の打診が功を奏するって事だからな」
トシは嬉しそうに笑っていたが、内心私は気に病んでいた。
また、私の意図と関係なく歴史が変わってしまったのではないかと……
あれから2週間近く経った、6月23日。
新選組は正式に、幕臣となった。
私の危惧していた事は特に問題なく、やはり史実通り事は進んでいた。
つまりは、全員が幕臣に取り立てられたという事だ。
見廻り組と同格という事で、一部の人達は特に喜んでいた。
これで対等に渡り合えると、そう考えているのだろう……
「嬢ちゃん! なんだ、こんな日まで働いているのかよ……どんどん似てくるなぁ……土方サンに」
「働かざる者、食うべからず……ですよ! トシも私も、すべき事があるからこなしているまでです。仕事には、こんな日もあんな日もありませんよ」
「仕事って……働き過ぎじゃねぇか! 嬢ちゃんは、伊東サンの所が非番の日は、こっちで仕事をしてるだろ? 皆、心配してるんだ。それにさ……嬢ちゃんも土方サンも、もうちょっと肩の力を抜いた方が良いぜ? あんまり気ばっか張ってっと……」
「原田サンの言いたい事は、分かってますよ。これでも、夜はゆっくり休んで居ますから大丈夫です。それより……何かあったんじゃないですか?」
私は原田サンに尋ねる。
「あぁ……そう、そう! 今日は夜から、酒宴だ……と伝えに来たんだった」
「酒宴……今日は島原ですか? 祇園ですか?」
「違ぇよ。今日は……此処でやる。全員が幕臣になったんだ。祝うのも全員でってぇのが筋だろ?」
「確かにそうですが……流石に此処で、お酒を飲んで騒ぐのはマズイかと……」
「それなら大丈夫みてぇだぞ? 何でも、今日だけは特別だそうだ」
「そう……ですか」
伝える事だけ伝えて去って行く原田サンの背を見送りながら、ふと考える。
こんな所で酒宴だなんて……本当に良いのかなぁ。
幕臣になったからって、押し切っちゃったのかな。
ちゃんと許可されたのなら、良いんだけど……
酒宴まであと数刻。
私はとりあえず、手元の仕事をこなしていった。




