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桜前線此処にあり  作者: 祀木 楓
第29章 陶酔
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偶然の同行

 

 

「伊東サン、すみませんが本日は街に行ってきても宜しいでしょうか? 物品が減って来ていますので、補充のため買い出しに行きたいと思います」



 ある日の事、私は医薬品の補充のための買い出しを、伊東サンに願い出た。


 実戦的な事を毎日行っている新選組とは異なり、御陵衛士で怪我人が出る事は少ない。


 しかし、稽古での擦り傷や風邪などの病に臥せる者は、意外と多かった。


 新選組に比べれば医薬品の減り方は緩やかだったが、そろそろ補充しておきたい物もいくつかあった。



「そうですか。勿論、構いませんが……念のため、誰か護衛を付けましょう。生憎、私は所用がありましてね……同行できないのです。ですが、貴女に何かあっては、いけませんからね」


「そんな……買い出しとはいえ、近くを回るだけですから結構です。皆さんお忙しいのに、申し訳ありません」


「そういう訳にはいきません。貴女を一人で外出させるなど……心配で、私自身も仕事に身が入りませんからね。どうか、私の為だと思って護衛を共にして下さい」


「そういう事でしたら……お願いします」


「素直な女性は、やはり良い。さて、誰を護衛に付けるべきか……加納も斎藤クンも今日は屯所を離れていましてね。そうだ! 藤堂クンが良い。彼なら貴女も気兼ねしないでしょう」



 私が気兼ねしない相手として、伊東サンは平助クンを選んだ。


 こんな些細な事にも、こういった細やかな気遣いができる。


 伊東サンのそんな所は、正直尊敬する。


 私は伊東サンにお礼を言うと、平助クンと共に屯所を出た。


 出先になって伊東サンは私にお金を手渡し、余りが出たなら平助クンと甘味屋にでも寄ってくるようにと言っていた。


 はじめはお断りしたのだが、いつも頑張っているご褒美だと言われたので、その好意に甘える事にした。







 何はともあれ、これは願ってもない好機だ。


 偶然にも、平助クンとゆっくり話せる機会が持てたのだから。


 私は急いで買い物や薬の調達を済ませ、平助クンと共に定食屋へと向かった。


 お昼時だったので、甘味屋ではなく定食屋を選んだのだ。



「何だか久しぶりだな……」


「何が?」


「桜とこうして、ゆっくり話すのは……だよ」


「そういえば、そうかも。平助クンは御陵衛士に来てから、本当に忙しそうだったから……」


「伊東先生に色々な仕事を任せて貰えるようになってさ、中々屯所でゆっくりする事も出来なかったんだよな。だから、久々の休みにお前とこうして過ごせて、良かった」


「久々の休みなのに、ごめんなさい」


「謝るなって、一人で過ごすより余程有意義だからな」



 私達は運ばれてきた御膳を口にしながら、他愛も無い話しに花を咲かせる。


 そんな会話中も、私はどのようにして核心に迫る話をしようかと考えていた。


 早くどうにかしなくては……気持ちだけが、ただただ焦る。



「そういやさ、桜はどうして御陵衛士に来たんだ? 俺はてっきり、断ると思って居たから……その理由が、どうしても気になってな」


「平助クンも、私を間者だと思っているの?」


「思っていねぇさ……いや、正直言うとはじめはそう思っていた。けどさ、お前はうちでも本当に良くやっているし……いつしか、そうは思わなくなったな」


「皆そう思うよね。私も、はじめは断るつもりだったんだよ。でも……新選組から、平助クンも斎藤サンも行ったでしょう? それが、一番の決め手かな」


「どういう事だ?」


「新選組には、私の塾で学んだ隊士や講師の医師も居るじゃない。だから、何かあっても大丈夫だと思うの。でも、御陵衛士には医者も看護師も居ないから……だから、私が行こうと思ったの。新選組から移った人を、死なせる訳にはいかないもの」


「お前はやっぱり、真面目だな。お前のそういう所、俺は好きだ」


「ありがとう」



 私はお礼を告げると、小さく微笑んだ。



「伊東サンって……立派な人だよね」


「突然どうしたんだ?」


「はじめはね……正直言って、何となく毛嫌いしてたんだ。でも、御陵衛士で過ごす内に伊東サンの性格がだんだん分かってきたって言うか……本当は想像と違って、とても良い人だって気付いたって言うか……」



 平助クンが伊東サンをどう思っているのか知りたかった私は、伊東サンの話題を振ってみた。


 平助クンが伊東サンに対して、ただならぬ好感を抱いている事は明白なので、私もそれに同調していると相手に示し、徐々に色々な話を引き出そうという算段だ。



「そうなんだよ! 伊東先生はすげぇんだ。勿論、近藤サンや土方サンもすげぇよ? けどさ……やっぱり、この先を共にするなら俺は伊東先生が良い」


「そうだね……あんな風に細やかな気遣いができる人は、中々居ないよね」


「だろ? お前も先生の素晴らしさが分かってきたみてぇだな。じゃあ、特別に色々と教えてやるよ」



 その言葉を皮切りに、平助クンは延々と伊東サンの素晴らしさについて話し続けた。


 それは、陶酔というかマインドコントロールというか……とにかくそれは、平助クンを伊東サンから引き剥がす事の困難さを示していた。


 目を輝かせている平助クンに対し、その話題を今ここで出す事は得策ではないだろう。


 今日のところは、聞き手に回る事にした。


 きっとまた、機会は巡ってくる。


 そんな淡い期待を胸に抱く。



「何だか、俺ばかり話しちまったな……悪かった」


「そんな事ないよ! 私も、色々聞けて楽しかったよ。また……こんな風に、時間が取れるかな?」


「当然だろ。時間が空いたらまた誘うからさ、これからは時々こうして、飯でも食おうぜ?」


「うん、約束ね?」



 今日は何も出来なかったが、平助クンは私を誘ってくれると言っている。


 焦る事はない……まだ時間はある。


 何度かこういう事を重ね、本当に何でも言い合える程の信頼関係が築けた時に……あの話をしよう。


 絶対に平助クンを死なせやしない。


 そう心に強く誓い、定食屋を後にした。



「そういや、さ……総司たちは、新選組の皆は元気にしてるか?」


「うん……元気にしてるよ。でも……」


「でも?」


「平助クンが居ないと、やっぱり静か過ぎてつまらないや。私はこうして一緒に居られるから良いけど、総司サンや永倉サンたちは寂しそうにしていたよ?」


「アイツら、俺が居ねぇとダメだからなぁ……たまには、顔を見に行ってやるかぁ」


「そうだね。是非、そうしてあげて」


「……分かった」



 そう小さく答えた平助クンは、何だか嬉しそうな表情を浮かべていた。



 そんな彼の笑顔が、何故だかとても印象的だった。





 




 

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