紀州 -前編-
とある日の事だった。
御陵衛士での隊務もその日は非番であった為、私は日々の疲れを癒すかの様に、屯所にてゆったりと過ごしていた。
「サク姉! 文が届いてるぜ」
大声を上げながら私の部屋に文を持って来てくれたのは、鉄クンだった。
「ありがとう。それにしても……誰からだろう?」
不思議に思いながらも、私は封を開けた。
鉄クンも気になっている様で、後ろから覗き込んでいる。
「この手紙は……。鉄クン、トシは今どこに居るか分かる?」
「土方サンなら今頃、隊士達の稽古をやってると思うぜ」
「トシを……呼んできてくれるかなぁ?」
「わ、わかった! すぐに連れてくるから待っててくれ」
私の様子を察してか、鉄クンは部屋を飛び出した。
見覚えのある整った文字。
あの人の性格が滲み出ているようだ。
「おい、何かあったのか!?」
鉄クンと共に、トシが血相をかいて部屋に入ってくる。
「文が……きたの」
「誰からだ?」
私の様子を見たトシは、眉をひそめた。
「……山南サン」
「さ……山南サンだと!?」
「山南サンって……誰だ? サク姉の好い人か?」
「っるせぇ! お前は少し黙ってろ!」
「痛っ!」
トシは、傍らで騒ぐ鉄クンの額を小突いた。
二人の前で、文を読み上げる。
内容は近況報告と、山南サンの意思についてだった。
近況報告の内容はこうだった。
諸国を遊学していた山南サンが、今は紀州に居るという事。
紀州とは、現代で言う和歌山県だ。
しばらく紀州に滞在するとの事だった。
和歌山県と言えば、白浜温泉や海老にクエなどのイメージが強い。
崎の湯は、海が間近に見られる温泉だと聞いた事がある。
吉宗も入った温泉だとか……
こんな時勢に不謹慎かもしれないが、温泉旅行に行きたいなどと思ってしまった。
自由に諸国を旅する、山南サンと明里サンが羨ましく感じる。
「サク姉! 俺……山南サンに逢ってみたい」
「えっ!?」
「山南サンってさぁ……すっげぇ良い人だったんだろ? 総司も左之も、新八も……みんながそう言ってたんだ。だから、早く逢いたい」
「そうねぇ……いつごろ帰って来るのかしらね」
しばらく紀州に滞在した後は、新選組に戻ると文には書いてある。
鉄クンが山南サンに逢える日も、そう遠くは無いだろう。
本当に長い休暇だったが、その期間が山南サンにとって本当に有意義なものであったろう事が、この文の内容からも見受けられた。
山南サンが京に帰って来る、そう考えただけでも何だか嬉しい。
「紀州か……京からならば、そう遠くはねぇな」
「そうね。どれほど滞在するのかは分からないけど……近々、逢えそうね」
「そういう意味じゃねぇよ」
「どういう事?」
「つまり……だ。ここしばらく、遠出なんぞ出来やしなかったからなぁ……折角だから、山南サンに逢いに行くか?」
「連れて行ってくれるの!?」
私は思わず目を見開く。
それと同時に、鉄クンも満面の笑みを浮かべた。
「サク姉! 土方サンが、紀州に連れて行ってくれるってよ! そうと決まれば、俺……支度してくらぁ」
「待て……誰がお前を連れて行くと言った?」
「俺は、サク姉の護衛だ! 付いて行くのは当然だろ?」
「なぁにが護衛だぁ? そんなモンは、俺に勝ってから言いやがれ!」
「だからぁ……土方サンも良い年なんだから、いい加減疲れちまうだろ? 俺は土方サンを労ってやってんだよ」
「っ……良い年だぁ!?」
十代の鉄クンから見れば、トシはもうオジサンに見えるのだろうか。
何だか複雑だ。
鉄クンの言葉にショックを受けているトシの背中を、私は無言でさすった。
「お前まで、そんな顔すんじゃねぇ! 良いか? 俺ぁまだ、そんな年じゃねぇ」
「鉄クンから見ればきっと、そんな風に言われちゃうような年なのよ。……私も、きっとトシと同じ様な部類よ」
「さ……サク姉は違ぇよ! サク姉は、若いし……優しくて、綺麗だ。俺の憧れの……」
「フフ……ありがとう」
顔を真っ赤にして言う鉄クンに、自然と笑みがこぼれる。
やっぱり可愛い。
弟が居たら、きっとこんな感じなのだろう。
夕餉後
私はみんなに、山南サンからの文の内容を伝えた。
紀州に行く事を近藤サンも許してくれ……私とトシの他に、総司サンと鉄クンが一緒に行く事となった。
他のみんなも山南サンに会いたがってはいたが、幹部全員が屯所を離れる訳にはいかない。
原田サンは奥サンが居るので、家を空けられないと言っていたが、他のみんなは私達にその役目を譲ってくれた形となった。
伊東サンの方も、今回の件を快く許可してくれた。
翌日
私達四人は、みんなに見送られながら屯所を後にする。
目指すは紀州。
山南サンの滞在する宿だ。
久しぶりの遠出と山南サンとの再会に喜びが隠せない私は、屯所を出てからもずっと笑顔のままだった。
紀州はどんな所だろう?
温泉に……入れるかな?
折角だから、良い旅になるといいな。
今回はトシと二人きりでの旅行ではないが、それでも人数が多い分きっと楽しい旅路になるはずだ。
早く山南サンに逢いたい。
そう思いつつ、紀州までの長い道のりを、私達はただひたすらと歩いた。




