課題
目が覚めると、昨夜まで隣りに居たはずの土方さんの姿は無かった。
私は急に不安になり、咄嗟に飛び起きる。
「土方さん!?」
ゆっくりと部屋を見回す。
「おう……起きたのか?」
土方さんは私の机で、何やら書き物をしていた。
その姿に、私は安堵の声を漏らす。
「……良かった」
土方さんはゆっくりと振り返ると、不思議そうな表情を浮かべた。
「良かったって……一体、何がだ?」
「えっと……土方さんが居なくなっちゃったと思いまして……でも、こうして顔が見られたので安心しました」
「……そうか」
私の言葉に、土方さんは小さく微笑んだ。
「あの……ありがとうございました」
思わず見惚れてしまいそうなその柔らかい笑顔をかき消すかのように一言だけお礼を告げると、土方さんから視線を逸らし急いで布団を片付ける。
土方さんはそんな私の様子など気にも留めず、返事の代わりに手をヒラヒラさせると、また机に向かった。
「こんな早朝からお仕事ですか?」
片付けの済んだ私は、隣に座り覗き込む。
「まぁな。色々と忙しいと言っただろう? 近頃は、遊ぶ暇もありゃしねぇ」
「それは……大変ですね」
しばらくすると、仕事も一段落着いたのか土方さんは帳簿をパタンと閉じた。
「腹……減ったか?」
そう言われてみると、昨夜から何も口にしていないためか、さすがに空腹感があった。
「はい。昨日はあんなだったのに、不思議なもので……すっかり食欲も戻ったようです」
「そりゃあ良かった。それなら、何か食いに行くか? どうせ、みんな昼過ぎまで戻って来ねぇだろうしな」
「い……行きます!」
突然のお誘いに、私は目を輝かせる。
「そうか……すぐに支度をしてくる。その間に、お前も支度しておけ」
土方さんは、そう言うと立ち上がり自室へと戻っていった。
私は女中に着付けをしてもらい、土方さんの部屋に行く。
外に出ると、その身に降り注ぐ日差しが妙に心地よかった。
今回は、土方さんがよく行くと言う小料理屋に連れて行ってもらった。
「何でも好きな物を頼め」
そうは言われたものの……色々な品があり、優柔不断な私は迷ってしまう。
結局「花懐石」という名の懐石料理に決めた。
「お待たせ致しました」
運ばれてきた料理に目が輝く。
可愛らしい器に色とりどりの華やかな料理の数々……何とも美しい。
「わぁ、さすがは京都! 本場の懐石料理は華やかなんですねぇ」
「? ……京都?」
「あっ……私の時代では、京の事を京都府って言うんですよ」
「お前の時代では、街の名前も違っているのか……」
土方さんはさして興味は無さそうに答えると、箸を進める。
「そうだ! 土方さん……折り入ってご相談……いえ、お願いがあるんです」
「お願いだと? 叶えてやれる保証はねぇが……とりあえず言ってみろ」
話をする許可を得た私は、昨日の健康診断について隊内で改善したい所を説明する。
「えっとですね……昨日の診察で、いくつか隊内で改善すべき点があるんです。私一人ではとてもやり遂げられませんので、それをご協力頂けないかと思いまして……」
「で、その改善点ってぇのは何だ?」
「まずは、環境整備です」
「環境?」
「掃除を徹底する事。それに、体調不良の隊士が出た際に良くなるまで隔離する部屋が欲しいという事です。隔離する事で、他の隊士に病がうつらないようにしたいんです」
「隔離ねぇ……まぁ良い、わかった。それで、他には?」
「あとは、隊士達の栄養状態の向上です。普段から栄養を蓄えておかなければ、いざという時に戦えないでしょうから」
「つまり、どういう事だ?」
「鶏や豚を飼いませんか?」
「鶏の卵や豚肉には蛋白質やビタミンB1という、脚気予防になったり人には欠かせない成分が入っています。それに、鶏や豚は残飯や雑草で育てられますし……ある程度、敷地も広いので良いかと」
「ビタ……何だそりゃあ? いや、説明はしてくれなくても良い。どうせ俺には理解できやしねぇだろうからな。とにかく、良くは解らねぇが……それは山南さんにでも相談しておこう」
「あ……ありがとうございます!」
早急に対処してくれる事に気を良くした私は、土方さんに精一杯のお礼を告げた。
「もっと言えば、鰹節を摂るとか色々あるんですが、それは食事担当の女中に頼みたいと思います」
「わかった。隊内の健康面に関しては、お前に一任してやる。お前の好きなようにやってくれりゃあ良いさ」
土方さんの好意で、これらの課題は何とかなりそうだ。
これで課題は少し減り、一歩前進したというところだろうか?
とにかく食生活は人間にとって、切っては切れない大切な物だ。
というのも……体内で生成できないが、人体には必要な物質もある。
言い換えれば、食事でしか得られないものもあるという事だ。
食生活を改善するという事は、疾病予防だけでなく、隊を屈強にする事にも繋がるだろう。
いつの日にか……私にできる小さな事から、少しずつ行っていこうと決めた。
この人たちの役に立ちたい。
そんな風に思わせるだけの魅力が、この新選組にはある。
「そんな難しい面ぁしてんじゃねぇよ。心配しなくとも、お前は役立っているさ。まぁ……その、何だ……頼りに、してる」
私の心情を見透かしているのだろうか、土方さんはそう呟くと私の頭をふわりと撫でた。
「ま……任せて下さい。土方さんの健康は、私が護りますから!」
その言動が嬉しくて仕方がなかった私は、張り切ってみせた。
食事が終わり、屯所まで並んで歩く。
「お前は……俺達がどんな道を歩むのか……みんな知っているんだよな?」
土方さんが不意に呟く。
「………はい」
返答に困ったが、私は小さな返事をひとつだけ返した。
「だが……お前が此処に居る事で、お前の知るその未来とは変わってしまっているかもしれねぇよな」
何気無いその言葉にハッとする。
私が何か行動を起こす事で歪みが生じ、歴史が……変わってしまうのだろうか?
その状態で現代に帰ったとしたら……そこに、私の居場所はあるのだろうか?
今までそんな事を考えていなかった。
ただ、みんなの悲しい未来を変えたい……私はそんな衝動に突き動かされていただけだった。
土方さんの一言に得体の知れない恐怖を感じた私は、言い知れぬ不安が込み上げる。
「悪ぃ……すまなかった、そんな面ぁしねぇでも……きっと……大丈夫だ」
そんな私の気持ちを見抜いたのか、土方さんは穏やかな声で途切れ途切れに言う。
「お前は……俺達を良い未来に導いてくれんだろ? なら……歴史が変わろうと、何が起ころうと問題ねぇよ」
ポンポンッと私の頭に手を置くと、土方さんは笑ってみせた。
屯所に戻ると、既に皆は帰還していた。
「やっと帰ってきたか! 桜も俺らが居なくて寂しかったんじゃねぇの?」
帰宅した私たちを、平助君達が出迎えてくれる。
「いやぁ、それにしても島原は天国だなぁ。昨夜は近藤さんの奢りだったから、そりゃあもう豪勢だったぜ? 羨ましいか?」
「そんなに凄い所なんですか? そりゃあ羨ましいですよ! 今度、私も連れて行って下さいよ……ねぇ、土方さん!」
「……お前は女だろうが!」
土方さんは溜息混じりにそう言うと、そそくさと中に入って行ってしまった。
取り残された私は、平助君や永倉さん達から島原が如何に素晴らしい場所か、そりゃあもう延々と聞かされた。
「花街かぁ……良いなぁ」
島原がどんな所か知らない訳ではないが、みんなの話を聞く内に不覚にもそう思ってしまった。
「そう言えば……総司さんは?」
私が尋ねると、今までの楽しげな表情から一変して皆の顔色が変わる。
「い、いや……部屋に居るだろうけど、まぁ……今は行かない方が良いと思うぜ……アイツ、かなり荒れてるからさ」
平助君のその言葉に、皆賛同する。
少し躊躇ったが、心配なものは心配だ。
優しい総司さんの事だ……きっと、あの時のことを気にしているはず。
そう思うと居てもたっても居られず、総司さんの部屋へ行ってみる事にした。
「やっぱり……様子が気になるから行ってみます!」
そう一言だけ言い残し、その場を去る。
「お……おいっ! 待てよ! 止めとけって!」
後ろで平助君が何やら叫んでいたが、私の耳には届いてはいなかった。




