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桜前線此処にあり  作者: 祀木 楓
第28章 御陵衛士
169/181

分離


 あの晩の宴以来、伊東サンが私に声を掛けて来る事は一度もなかった。


 私の御陵衛士への入隊に対して、あれだけ自信あり気だっただけに、何の交渉も無いなんて……なんだか奇妙で仕方が無い。



 慶応3年1月9日


 新たな天皇が即位する。


 そう、いわゆる明治天皇だ。



 1月18日より九州へと遊説に出掛けていた伊東サンは、3月12日に屯所へと戻ってきたのだが……そのお土産というのが、新選組を揺るがす様なとんでもないものだった。



 3月13日


 この日、ついにその「お土産」が明らかになる。






 それは、夕餉後の事だった。


「俺は、これから近藤サンの部屋に行ってくる。何だか知らねぇが、伊東サンが俺らに話があるんだとよ」


 トシは面倒臭そうに言った。


「伊東サン……が? 一体、何の話……なんだろうね」


 話の内容など一つしか無い事は分かりきって居たが、それを知っているという事を悟られないよう、私はわざと尋ねた。


「さぁな。だが……あの人の事だ。どうせまた、遊説での胡散臭い話をさも自慢げに話したいだけだろうよ」


「そっか」


「なに浮かない顔してんだよ。伊東サンの話なんざ適当に切り上げて、すぐに戻るさ。戻ったら相手してやっから、そんな寂しそうな顔すんな」


「うん……分かった」


 どうやらトシは、私の表情を見て勝手に勘違いしているようだ。


 満足そうな表情を浮かべると、私の頭をポンと撫で、部屋を出た。








 しばらく部屋で待つが、トシが戻って来る気配は無い。


 何だかんだで、もう深夜だ。


 戻りを待とうと思っていたのだが、日中の隊務による疲れからか、強い睡魔が私を襲う。




「……くら。おい……桜!」




 聞き覚えのある声に、私は重い目蓋を開ける。



「あ、トシ! 私……寝ちゃってたんだね。トシが戻る前に寝ちゃうなんて……ごめんなさい」


「いや、良いんだ。俺の方こそ、起こしちまって悪かったな」



 トシは何だか浮かない顔をしている。


 きっと、話の内容は……離隊の件だったのだろう。



「そういえば、伊東サンは何だって?」



「それが……だな。近々、伊東サンらは新選組を抜ける事となった。今日呼ばれたのは、その話だったわけだ」



「そっか……」



「驚かないんだな」



「伊東サンの離隊は……私が知る史実の一つだもん。御陵衞士……でしょう? それに、トシは斎藤サンを間者として潜入させるのよね?」



 私の言葉に、トシは目を丸くさせた。



「その通りだ。あの野郎……九州遊説ついでに、その胡散臭い名をちゃっかり拝命して来やがった」


「やっぱり……新選組から分離するのね?」


「まぁ、そういうこったな」



 トシは深い溜め息を一つつく。



「それで……私を起こしたからには、話はそれだけでは無いんでしょう?」



 私は静かに尋ねた。



 普段であれば、いくら自分が遅くに帰宅しようとも、私を起こす事は無い。


 トシがわざわざ私を起こすと言う事は、余程の話があるのだろう。



「実はだな……伊東サンが、平助と斎藤……それに、お前を連れて行きたがっている」


「わ……私!?」


 伊東サンが私でなく、トシに交渉していた事にはさすがに驚いた。


「そりゃあ、お前も嫌だよな……」


「トシは……私に、どうして欲しい?」


 何か策がありそうな表情をしているトシに、私は尋ねる。



「お前に関しては……まぁ、女だからな。屯所からの通いでも良いと言っていた。あの人は、お前の医術を欲しているそうだ」


「私の医術……ねぇ」


 きっと、そんなモノは建前だ。


 何か裏があるに違いない……そう感じた。


「本音を言っても良いか?」


「う……うん」


 私は小さく返事した。



「これは、願っても無い好機だと思っている。円満な離隊などと体の良い事を言っていたが……俺ぁ、あの男の話など、ハナっから何一つ信用しちゃいねぇからな」


 トシは眉間にシワを寄せる。


「お前に間者の様な真似はさせたくはねぇが……お前が納得してくれるなら、御陵衞士に潜入してもらいてぇ。お前が新選組に情報を流すだろうとあちらに思わせておけば、斉藤に対して疑惑の念を抱くものは居ねぇはずだ」


「つまり、私に疑惑の目を向けさせておけば、斉藤サンがその影に隠れるから信用されやすいって事ね? 確かに、二人も間者が居るとは思わないだろうし……有効な策かもしれないね」


「その通りだ。やはり賢い女は良い。お前には辛い役目かもしれねぇが……な。嫌なら断ってくれて良い。俺とて、好きでてめぇの女を道具に使いたくはねえからな」


 申し訳なさそうに言うトシにの表情に、私は思い悩む。


 伊東サンがあれ程、自信ありげに言っていたのは、こういう事を見越していたからなのだろうか?


 今となっては、その真意を知る術は無い。




 翌日


 決断した事を、トシに話す。


 私は、一晩かけて考えをまとめていた。



「あのね、トシ。私……御陵衛士に行くよ。きっと、トシの役に立ってみせる」



 伊東サンの目論見通りになってしまった事は、少し悔しかったが……これは仕方のない事。


 何故私が御陵衛士行きを決断したかというと、この先に起こるであろう油小路事件。


 これに伴い命を落とすはずである平助クンを救いたいからだった。


 今の時点では、伊東サンに心酔しきっている平助クンを引き止める事は難しい。


 だが、私も御陵衛士に加わり時間を掛ける事で、良い方向に導けるかもしれない。


 そう考えたのだ。


 塾の方は、私が抜けても問題は無いだろう。


 講師も居るし、隊士たちの方もかなり自主的に学ぶようになった。


 それに伊東サンは、屯所からの通いでも構わないとさえ言っているそうだ。


 だとしたら、これはチャンスだろう。



「そうか……すまねぇな。だが、これだけは忘れるな。あの男……何か企んでやがる。俺の女であるお前を引き抜くという事は、それを意味している。お前を入れりゃあ、御陵衛士の内部事情がこっちに筒抜けになる事は明白だ。そんなモンは馬鹿でも分かる。だからな……あの男の言葉、何が建前で何が本心か……見極めなけりゃあならねぇ」


「解ってる。きっと……何かある事は、間違いないもの」


「それから……斉藤とはあまり親しくするな」


「うん……わかってる」



 私が笑顔を向けると、トシは突然私を抱きしめた。



「頼むから、危ねぇ事だけはすんなよ? それと……必ず、毎日ここに戻って来い」



「もちろん……約束する」







 それから数日後


 

 平助クンや斎藤サンを含めた伊東一派は、新選組の屯所を出て、御陵衛士の屯所……城安寺へと引っ越して行った。


 




 




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