不穏な動き
年も明けた、慶応3年1月1日
新選組の分離に向け、伊東サンはゆっくりと動き出していた。
油小路での事件まであと一年を切った。
私はこれを止められるのだろうか?
平助クンを救う事はできるのだろうか?
「桜サン、ちょっと宜しいですか?」
「……伊東サン? 如何されましたか?」
医務室に向かおうとする私を、伊東サンは呼び止める。
「今夜、出来れば時間を作って頂きたいのです。幹部数名と私らとで酒宴を開こうと思いましてね」
「酒宴……ですか」
「なに、年も明けたので正月の祝いのようなものですよ。ですが……土方サンには内密にお願いします」
「何故です?」
私の問いかけに、伊東サンは深い溜息を一つつく。
「あの方はね、どうやら私を良くは思ってはいないらしい。ですから、内密に……なのですよ。折角の宴ですからね、気心の知れた者のみで楽しみたいではありませんか。夕餉前に加納あたりを呼びに行かせますので……是非とも参加頂きたい」
「ですが……年明け前に孝明天皇が崩御され、祝いの席は控えるようにとの事ではありませんでしたか?」
「そちらの方は大丈夫ですよ。建前上は、天子様の崩御を偲ぶ会とでも銘打っておきましょう。それでは、今宵……角屋にて」
伊東サンは、言いたい事だけを言うと、足早に去って行った。
気心の知れたもの同士……か。
私、そんなに伊東サンと親しくはないと思うんだけどなぁ。
まぁ、折角の誘いだし……正月早々トシや近藤サンは、この数日は隊務で丁度屯所には居ない。
他にも隊士や幹部が居るみたいだから、仕方が無い……行ってみるかな。
私は今回の酒宴について、本当に軽く捉えていた。
「桜サン、入っても宜しいですか?」
加納サンの声がする。
「あ、今行きます!」
私は慌てて部屋から出た。
「伊東先生は既に角屋でお待ちです。準備が出来ているなら、早速参りましょう」
私達は、島原にある角屋へと向かった。
特に話をすることも無く、ただ黙々と歩く。
何だか気まずい……
「これは、これは……良く来て下さいました。さぁ、こちらへどうぞ」
私達が角屋の一室に入ると、伊東サンは大袈裟過ぎるくらい丁寧に私を招き入れる。
室内を見渡すと、そこには永倉サンや斉藤サンの姿もあった。
そのメンバーを見た瞬間、私は何だか言い知れぬ不安を覚える。
しかし、この時はまだ気付いていなかったのだ。
私自身も、あの悲しい事件に巻き込まれてしまっている事に……
「皆さんも呼ばれていたのですね?」
私は永倉サンに尋ねる。
「まぁな。タダ酒が飲めるならば誰の誘いでも構わねぇからな」
「俺は……断りきれなかっただけだ」
楽しそうに笑う永倉サンに反して、斉藤サンはつまらなそうな表情を浮かべていた。
「そういえば、原田サンや平助クンは居ないのですか?」
「左之は所帯持っちまったからなぁ……最近、付き合いが悪ぃんだよ。平助は、隊務だな」
「そうですか……」
その後、服部サンや内海サン、中西サンに佐野サンに三樹サンらも続々とやって来る。
何故このメンバーの中に、私や永倉サンらが居るのか、少しだけ不思議に思った。
しかし当の本人達は、それぞれの馴染みの女性を呼び、思いっきり楽しんでいる。
永倉サンの横には、当然の様に小常サンの姿があった。
更には大勢の隊士も加わり、大宴会になって行く。
何が、天子様の崩御を偲ぶ会よ……これじゃあ、化けて出てくると思うけど。
そう思いながらも、私は豪華な料理をゆっくりと口に運び続けた。
宴も最高潮に盛り上がり、そろそろ深夜になりかけた頃、私は伊東サンに声を掛ける。
「あの……そろそろ屯所に戻った方が良くないですか? 平隊士たちも門限に間に合うようにと、先に帰って行きましたし……」
私は、夕餉は出掛けるから要らないとだけ告げて来た。
無断外泊など以ての外……切腹モノの罪だ。
「桜サン、ご安心を。私は新選組の参謀ですよ? この程度の事はどうとでもなります」
伊東サンは杯を片手に、笑顔を向ける。
この人に言っても無駄だ……
そう思った私は、永倉サンの所へ行く。
「永倉サン……そろそろ戻りませんか? 私、無断外泊で切腹なんて嫌です」
「あのなぁ嬢ちゃん、俺らが切腹なんざありえねぇよ! 俺らには新選組の参謀 伊東大先生が付いてるんだ、安心して飲んで居りゃぁ大丈夫さ」
「永倉サン……」
永倉サンからは帰ろうとする様子は、微塵も見られなかった。
斉藤サンは酔い潰れて眠っている。
どうしよう……
「伊東サン、申し訳ありませんが……私はそろそろ屯所に戻らせて頂きます。今日は……ご馳走様でした!」
仕方が無いのでここは私一人屯所に戻り、事情を話して皆を連れ帰る事にしよう。
そう思った私は、ゆっくりと立ち上がる。
「いけませんねぇ……かような時刻に女性が一人歩きするとは……」
突然、掴まれた手首にかかる力の強さに、私は顔を歪ませる。
「そんな表情も何とも美しい。学の無い土方サンには勿体無い」
「離して……下さい」
「貴女をここで帰す訳には行かないのですよ。申し訳ありませんが……もうしばらく、私に付き合って下さいね?」
そう言う伊東サンのその表情からは笑顔が消え、代わりに見た事も無い程に冷たい表情となっていた。
優しい言い方の筈なのに、命令されたかのようだ。
この人、怖い……
本能的にそう察した私は、今敢えて逆らう事は得策ではないと感じ取り、伊東サンに引かれるままその隣りに腰を下ろした。
どうしよう。
どうしたら、この場から逃げられるのだろう?
このまま此処に居る事は、非常に危険な気がする。
「おやおや、そんな顔をしてどうしました? 門限の事なら心配ありませんよ?」
伊東サンは私の髪に触れながら言う。
その言葉に、私は答えようとはしなかった。
「私がどうしてこんな事をしたのか……知りたいですか?」
私は反射的に伊東サンを見る。
伊東サンの意図が知りたい。
そう思った私は、ゆっくりと頷いた。
「そうですか……では貴女には特別に、他の者よりも先にお教えしましょう」
伊東サンはゆっくりと立ち上がる。
「ここでは騒がしいですからね。部屋を変えましょうか……こちらへ付いて来なさい」
私は、伊東サンに促されるまま、その後を追うようにして付いて行った。




