とある日の昼下がり
「お前……身体の具合はもう良いのか?」
部屋の掃除をしている私に、トシは尋ねた。
「だいぶ良くなったと思うよ。傷痕が残っちゃった部分もあるけどね。それでも、顔には傷を付けないでくれたから……それは不幸中の幸いだけどね」
「お前は無茶をし過ぎなんだ。それにしても……奉行所の役人は赦せねぇ……」
「まったくだよ。アイツ絶対に変態だって。普通さぁ、女の子が痛がる姿を見て喜ぶ? 思い出すだけでも気持ち悪い!」
私はあの夜の事を思い出し、身震いする。
「お前……アイツに何かされたのか!?」
「何かって?」
「その……まぁ、色々……だ」
トシが何を想像しているのかは分からないが、その顔は見る間に赤くなっていく。
「初めは龍馬サンの事を普通に聞かれて……知らぬ存ぜぬを貫き通してたの。そしたら、新選組を呼ぶとか言い出すから……今は新選組じゃないから、呼ばないでって言ったの」
「何故、俺らを呼ぶ事を拒否した?」
「だって……今更、迷惑掛けたくないって思ったんだもん」
「それで、その後は?」
「まぁ……知っての通りの尋問だよね。鞭打ちの上に、気を失えば水をかけられて……その繰り返し」
「お前……よく耐えられたな」
トシは真っ青な顔をしている。
「実は、途中からあんまり覚えてないんだよね。気付いたら此処に居たくらいだし」
「……そうか。俺のせいで、また傷を増やしちまったな。本当に……悪かったな」
仲直りして以来、奉行所での事を尋ねられたのは初めてだった。
こんなに素直に謝られたのもまた初めてだ。
「愛情の分だけ、傷も増えるって事かな?」
「クク……それならば、こんなモンでは済まねぇだろう?」
「大層な自信ですねぇ?」
「当たり前だ」
堂々とそう言い放つトシの姿に、思わず笑みがこぼれる。
修復不可能だと思っていた私たちの関係は、意外にもあっさりと元に戻ったのだ。
それは私からしたら、奇跡だとしか言いようがない事だった。
隊務にに復活した……と言いたい所だが、今日は生憎だが塾は休みだ。
療養生活から解放されたというのに、何だか拍子抜けしてしまう。
一通り部屋の掃除を済ませると、縁側で休憩をとった。
「お! 桜じゃん。何してんの?」
声の主を辿る。
「平助クン……それに斉藤サン」
「お前、ここで暇してんのか?」
「そうですねぇ……暇かと言われれば、暇ですね」
「そうか! じゃあさ、一緒に出掛けねぇか?」
平助クンは目を輝かせている。
「出掛けるって何処に?」
「そりゃ秘密だ。良いモン見せてやるから付いてこいよ!」
その言葉に私は立ち上がると、平助クンと斎藤サンの後を追った。
「こんな所に、何があるんですか?」
たどり着いた場所は、屯所の裏手にある倉の脇だった。
「良いから見てろって」
平助クンは笑顔でそう言うと、斎藤サンが懐から煮干を取り出した。
「あっ、ヤマト!」
以前見たように、一匹の猫が飛び出してくる。
「ヤマトも一緒に引っ越していたんですね」
「いや……前の屯所に置いてきたのだが、先日ここに来ているのを見付けてな。それより……」
「こ……仔猫!?」
ヤマトの後ろを歩く小さな仔猫に目を引かれる。
「コイツ、雌なんだぜ。少し前に産んだみてぇだ」
「か、可愛い!」
ちょこちょこと歩く五匹の仔猫。
その後ろから初めて見る大きな白い猫の姿もあった。
「なぁ、コイツらにも名前付けてやろうぜ」
「そうですねぇ……」
私は猫たちの名前を考える。
「じゃあ、この三毛の仔猫は平助。灰色の仔猫はハジメで、真っ黒い仔猫はトシ!」
「おいおい、俺らの名前かよ」
「あ……駄目ですよね。何だか仲が良さそうだったのでつい」
私は平助クンに謝った。
「良いんじゃないのか?」
斎藤サンは穏やかな表情をしている。
「お前がハジメか……きっとコイツは強くなるな」
小さなハジメを抱き上げた斎藤サンは、何だか嬉しそうだ。
「平助の方が強ぇ猫になるに決まってんだろ?」
平助クンは斎藤サンに対抗して、小さな平助を抱き上げる。
「後は……虎柄の茶色い仔猫と、真っ白い仔猫ですねぇ」
「じゃあさ、白い仔猫はサクラな?」
「わ、私ですか?」
「だってさ、あの黒い仔猫が土方サンなんだろ? 黒いのと白いの、すっげぇ仲良さそうだもんな」
平助クンの言葉に、顔が赤くなる。
でも……何だか嬉しい。
私は、小さなサクラとトシを抱き上げた。
「仲良く育ってね」
そう小さく呟くと、二匹を膝の上に乗せる。
残るはあと一匹。
茶虎の仔猫だ。
何が良いか、みんなで考える。
「こんな所で何やってんの?」
顔を上げると、稽古帰りの総司サンが立っていた。
「総司! そうだよ、コイツは総司だ!」
平助クンの言葉に、総司サンは怪訝そうな顔をする。
「平助、何言ってんのさ。僕が総司じゃなければ、一体何なわけ?」
「違ぇよ、お前じゃなくて……コイツの名前!」
「仔猫?」
「そうだ。五匹の仔猫の名前を決めてたんだよ」
総司サンは私たちの隣に腰を下ろすと、茶虎の仔猫を膝にのせた。
「総司……ねぇ。他の猫は何て名前にしたわけ?」
「えっと……あの三毛猫がヘイスケで、灰色の猫がハジメです。ここに居る黒猫がトシで、白猫がサクラ……です」
「ハハ……何だかピッタリだね!中々良いよ。で、あの親猫は?」
「黒い母猫はヤマトです。白い父猫は、名前は無いですね」
総司サンは、少し考える素振りを見せる。
「じゃあ、白い父猫は……イサミだね!」
「こ、近藤サン!? あの……怒られないでしょうか?」
「近藤サンは、そんな小さい男じゃないよ。笑って許してくれるさ」
「……そうですね」
私と総司サンは、顔を見合わせ微笑んだ。
「フフ……何だか、小さな新選組みたいですね」
仔猫達を膝から下ろし、しばらく眺めていた私は、ふと呟いた。
父猫であるイサミに寄って行く、小さなトシ。
そのトシの後ろを付いていくサクラ。
ヘイスケは蝶を追いかけて遊んでいるし、ソウジはみんなから離れた所で気ままに昼寝をしている。
ハジメは、そんな他の猫たちの様子を、観察して居るようにも見えた。
「本当だな。何だか、性格まで似ているみたいだ」
「平助はやはり魁先生……と言ったところか」
「そういうハジメくんだって、似てるよね? 一歩引いた所で、みんなを見ているところなんて、ソックリだよ」
「総司サンもですね。私、知ってますよ? たまぁに隊務をサボって、あの猫のようにお昼寝してるって事」
みんな図星を突かれて、笑い合う。
とても穏やかな昼下がりだ。
「そういえば……新ぱっつぁんと、佐之サンの分が足りねぇな」
「すっかり忘れていた……次に産まれたら、二人の名を貰うとしよう」
「あの二人、拗ねちゃったりしてね」
「じゃ、じゃあ……この事は、私たちだけの秘密……ですね?」
私たちの間に、穏やかな時間が流れていく。
こんな日が長くは続かないことは分かっているが、願わずにはいられなかった。
いつまでも、みんな仲良く暮らしていけることを……




