手紙 ―高杉晋作 編―
これは、桜が新選組の屯所に戻ってから、ずっと先のお話である。
「久し振りじゃのぅ、元気にしちょったか?」
その日、龍馬は薩摩へ向かう道中に、フラりと萩へと立ち寄っていた。
その理由は勿論……
桜の文を晋作に届ける為だ。
「坂本じゃねぇか。突然現れて、一体何の用だ? まぁ……どうせ用なんざねぇんだろうがな」
晋作は素っ気なく言う。
「何じゃあ、高杉は相変わらずつれないのぅ。今日は、ええモン持って来てやったちゆうのに……」
「いらん! どうせまた、訳の分からねぇガラクタだろうよ」
「ガラクタじゃなか。文じゃ!」
龍馬は文を晋作の目の前に突き付けた。
「文……だと?」
晋作は奪うようにして龍馬から文を受け取ると、一気に読み進めた。
「これは……」
文に書かれた文字に、名前に……晋作は目を疑う。
「桜サンからの文じゃ。確かに渡したきに! おまんを慰めてやりたいところだが……わしゃこれから薩摩へ向かう。生憎おまんと遊んじょる暇は無いがじゃ」
「そうか……そりゃあ、忙しいところに悪かったな」
「なんじゃ、やけに素直じゃのう。いつも、こうならええんじゃが……さてと、わしゃそろそろ行くぜよ」
「チッ……ごちゃごちゃとうるせぇ奴だ。さっさと行っちまえ!」
「ハハ……高杉は可愛いのう。桜サンの事となるとすぐに顔に出るきに。おまんは、まっことええ男じゃ……わしが娘じゃったら、おまんに惚れちょったろうなぁ」
「き……気色悪ぃ事をぬかすんじゃねぇ! 慰めなんざ……いらねぇんだよ」
「高杉もまだまだ若いのう。……ほいたら、また来るぜよ」
「うるせぇ! もう来んな!」
龍馬は晋作の言葉や表情に、大笑いしながら足早に去っていった。
一人残された部屋で、晋作は文を眺める。
わざわざ文を書くなど、律儀なものだ。
「そうか……アイツはやはり新選組に戻ったのか」
晋作は、独り言のように呟いた。
自分で京に行かせておきながら、後悔するなど可笑しな話だ。
こうなる可能性もあったはずなのに……
晋作は心の何処かで、桜は萩に帰ってくるだろうと思っていたのだろう。
「生憎だが、俺のあては……見事に外れたな」
自嘲気味にそう呟くと、三味線に手を伸ばす。
静かな部屋に、三味線の音色のみが響いている。
「どうしてこうも……俺が親しくなる者は……」
一曲弾き終えると、晋作は大切にしている筈の三味線を投げ捨てる。
「……俺の前から去って行くのかねぇ」
恩師である松陰に始まり、学友である久坂。
そして、初めて心から愛した女……桜。
「本当に心を許した者は、次々に俺の元から居なくなっていきやがる。フンッ……面白くねぇな」
今回の事はある意味、想定内だったはずなのに、晋作は何だか妙に苛立っていた。
そんな時、部屋の中に強い風が入り込み、机上の紙を巻き上げた。
巻き上げられた桜の文を拾い上げる際、文の隣に落ちていた一枚の紙に目を引かれる。
「面白き……こともなき世に面白く……」
晋作は、あの日に桜と完成させた例の句を口ずさむ。
「すみなすものは……心なりけり……か」
下の句を呟くと、晋作はクスリと笑った。
「さっさと今のくだらねぇ世を壊して……アイツを迎えに行かねばなるまい」
散乱する紙を整えると、桜の文と先程の句が書かれた紙を共に懐へと仕舞い込んだ。
「三千世界の鴉を殺し……主と朝寝がしてみたい」
晋作は、即興で作った都々逸を口にすると、いつも通りの不敵な笑みを浮かべた。
「俺ぁ……どうも、こっちの方が好みさな」
望まざるとも桜の存在は、それぞれに影響を与えていく。
新選組に、長州に、土佐や薩摩の者達……そして異国の者。
きっと、晋作もその内の一人に違いない。
明治の世を見ずに死に行く筈であったその運命を変えられた高杉晋作。
彼がこの先、何を思い考え、決断し行動して行くのか……
それを知るのは、もっともっと先のお話だ。




