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桜前線此処にあり  作者: 祀木 楓
第2章 新生活 ―非現実的な日常―
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非現実的な日常



 目を覚ますと、傍らには土方さんの姿があった。



「目ぇ……覚めたか?」



 土方さんは苦笑いすると、私の前髪にふわりと触れる。



「念の為、山崎を張り付けて居たが……まさかこんな事になるとはな」


「…………」


「お前には嫌なもん……見せちまったな。女には……きついモンだったろうな。お前は……新選組が嫌になったか?」



 土方さんは寂しそうな顔で尋ねる。


 私は咄嗟に首を横に振った。



「あ、あの……総司さん……は?」


「総司は無事だよ。あいつは殺しても死なねぇさ。今頃は……山崎や隊士たちと後始末してる事だろうよ」


「そっか……なら、良かった……です」


「今夜は……飯なんか食えねぇだろ?」



 当然とも言える問いに、私はコクりと頷く。


 先程の光景を思い出すと、胃の辺りから込み上げるものがある。



「なら……今日はこのままゆっくり休め」



 そう言うと、土方さんは立ち上がった。



「い……行かないで!」



 私は咄嗟に土方さんの着物の裾を掴む。



「あ……ごめん……なさい」



 自分から引き留めておきながら、土方さんが振り返ったと同時にその手をひっこめてしまった。



「まだ何かあるのか?」


「えっと……」


「何だ? 遠慮なんざしてねぇで言ってみろ」


「……今日は、今だけは此処に居て……くれませんか? あの……えっと……怖いんです」



 私は、土方さんにすがる様に頼む。


 土方さんは、そんな私を見て溜め息を一つ付くと、その場に腰をおろした。



「副長さんは色々と忙しいんだがなぁ」


「ご………ごめんなさい」



 布団を口元まで被り謝る。



「……冗談だ」



 土方さんは小さく笑った。



「人を初めて斬った時、人が斬られるのを初めて見た時……眠れなくなるのは当然だ。まして、お前は女なんだから……な」



そう言うと、土方さんは畳に横になる。



「それに……お前は俺の小姓だろ? まぁ、たまには面倒見てやるさ」



 土方さんは手をヒラヒラとさせながら、クスリと笑った。


 この人は……なんて面倒見の良い人なんだろう。


 なんだかんだと言っても、困っている人を放ってはおけないタイプの人間に違いない。


 きっと。


 今の土方さんが本来の土方さんなのだろう。


 何となくだが……そう感じた。


 その後、土方さんは私に色々な話をしてくれた。


 子供の頃の話や、新選組の話。


 私が此処に来る前のみんなの話。


 とにかく、色々と聞かせてくれた。


 私が嫌な事を思い出さないように……



「寝た……か?」



 土方さんは、私が寝たのを確認すると立ち上がる。


 大きく伸びをし、私の部屋を出た。






 部屋の前には山崎さんが立っていた。



「……待たせたな」


「いえ……待機も隊務の一貫ですから」


「で、後始末は済んだのか?」


「はい。不逞浪士は長州の者で間違いありません……以前、沖田さんに仲間を斬られた事に対する敵討ちの様でした」


「……そうか」



 土方さんは小さく呟いた。



「おい……山崎。お前が付いていながら、どうしてこうなった? 桜に見られる前に……総司からアイツだけ引き離すとか、気の利いた事はできなかったのか?」


「……申し訳ありません」



 山崎さんは深々と頭を下げた。



「まぁ……なっちまったモンは仕方がねぇ。で? 総司はどうしてる?」


「人を斬り伏せた姿を彼女に見られてしまった事に、かなり心を砕いているようで……見兼ねた原田さんや永倉さん達が、なかば無理矢理にですが……島原に連れて行った様です」


「そうか……なら良い。他に何かあるか?」


「報告は以上です」


「分かった。お前もご苦労だったな……下がって良い」


「失礼します」






 山崎さんが下がると、待ち構えていたかのように、山南さんが土方さんに声を掛ける。


「土方君も一杯いかがですか? 島原も良いですが……月見酒も中々風情がありますよ?」


「……頂こうか」



 二人は縁側に腰を降ろすと、酒を酌み交わした。


 程よく酔いが回って来た頃、山南さんが尋ねる。



「土方君は……やけに、彼女に御執心のようですね?」


「……そりゃあ、どういう意味だ?」



 山南さんの言葉に土方さんは、眉間にシワを寄せる。



「どういう意味も何も……そのままの意味ですよ?」


 山南さんは、クスリと笑う。



「……フンッ、山南さんは相変わらず……いけすかねぇなぁ」


「フフッ……それは、私への褒め言葉として受け取っておきますよ」




 今宵は美しい満月だ。




「こんなのも……たまには悪くねぇなぁ」


「おや、感慨に耽るなど土方君らしくないですねぇ?」


「まぁ……隣に居るのが野郎ってのが、酷く頂けねぇがな」


「それは、私も同感です」



 土方さんと山南さんは顔を見合わせて笑う。



「なぁ……山南さん。アイツは……立ち直れると思うか?」


「沖田君の事ですか? それとも桜さんの事ですか?」


「どっちも……だよ」


「沖田君は……彼女が立ち直りさえすれば大丈夫でしょう」


「そうだな」


「……ただ。彼女は何とも言えませんね……」



 山南さんは続ける。



「初めて人を斬った夜も、初めて人が斬られたのを見た夜も……誰もが眠れぬ物です。まして、彼女は平和な世で育った娘です。相当……心の負担になった事でしょう」


「そう……だな」



 自分と全く同じことを考える山南さんに少し驚きつつも、土方さんは杯を一気に飲み干した。






 その時



 カタンッと襖が開いた。



「お前……目ぇ覚めたのか?」


「……夢を……見ちゃうんです」



 私は、涙をこらえ俯く。



「お前も……呑むか?」



 土方さんは表情を変えずに、私に杯を差し出す。


 私はコクりと頷くと、土方さんと山南さんの間に腰掛けた。



「酒……弱ぇくせに」



 土方さんはクスリと笑った。



「やはり、女性が居る方が満月がより美しく思えますね。男同士だとむさ苦しくて敵いませんからね」



 山南さんの言葉に、私はクスクスと笑う。



 肌寒い夜風が心地好い。



 受け取った杯を一気に飲み干したせいか、急に酔いが回って来てしまった様で、自然と隣に居た土方さんにもたれ掛かった。



「勢いよく呑むクセに、本当に弱ぇなぁ……」


「さて……と。私もだいぶ酔いが回ってきたようです。今夜はそろそろ、お開きにしましょうか」



 山南さんはそう言うと、ゆっくりと立ち上がった。



「土方君、彼女を頼みましたよ?」



 土方さんに一言だけ告げると、山南さんは自室へと帰って行った。





 土方さんは、ウトウトとしている私を容易に抱え上げ、部屋に運ぶ。


 私は布団に戻された震動で、うっすら目を開けた。



「此処に居てやるから…ゆっくり休め」



 土方さんはそう言うと、私の隣に座る。



「手……繋いでも良いですか?」



 私の言葉に、土方さんは無言で手を差し出す。



「何度寝付いても……夢を見るんです。同じ……夢を」


「どんな夢だ?」



 繋ぐ手に、自然と力がこめられる。



「斬られた人達が……私を追いかけて来るんです。医者の癖に俺たちを見捨てるのか? って……凄い形相で。私……そもそも医者なんかじゃないのに……ね」



 私はたまらず、ぽろぽろと涙を流す。



「暗い闇の底に……引きずり込まれてしまいそうで…………怖いんです」



 土方さんは頭を掻きながら、しばらくの間何かを考えていた。



「……ちょっと待ってろ」



 そう言うと、私の制止の声も聞かずに自室に戻っていってしまった。





 島原に行った皆は近藤さんも含め、明日の昼餉過ぎまで戻らないだろう。


 幹部で残って居るのは土方さんと山南さんだけだ。




 次に現れた土方さんは、両手に布団を抱えていた。



「こんなトコ、総司に見られたら……今度こそ斬られるかもしれねぇなぁ」



 小さく呟くと、クスリと笑う。



「土……方サン?」



「これなら夜中に目が覚めても怖くねぇだろ? いくら何でも、畳に横になると痛ぇからなぁ」



 土方さんは私の表情など気にも留めず、横に布団を敷き始める。



「でもっ! 誰かに見られたら……また、誤解されちゃいますよ!」

 


「心配すんな……総司を含め、幹部連中はみんな島原だよ。どうせ、昼過ぎまで戻って来やしねぇから安心しろ! 残ってんのは、島原が苦手な山南さんと平隊士だけだ」



 土方さんは布団を敷き終えると横になり、手を差し出した。



「みんな、島原が大好きですよねぇ。いつも、島原通いしてるもん。きっと、土方さんも行きたかったですよね……なのに私のせいで……ごめんなさい」



 私は、申し訳なさそうに謝る。



「島原なんざ、別に行きたかねぇよ。化粧臭ぇ遊女どもが何人も寄って来やがるから、落ち着いて酒も飲めねぇし……面倒なだけだ」



「さっすが副長さん……人気者ですねぇ」



 私は差し出された手を取ると、土方さんをからかう様に言った。




 わざと明るく振る舞うが




 何故か、チクリと胸が痛む。




 みんなが一人の遊女に夢中になって吉原に通いつめるように、土方さんにも……そんな女性が居るのかな。




 天井を見つめ、そんなくだらない事を考える。



「うるせぇ、さっさと寝ろ!」


「はぁい」



 隣に人が居る安心感からだろうか、すぐに睡魔に襲われた。



「ったく、やっと寝やがったか……」



 土方さんはそう呟くと、私の頭をそっと撫でた。



「まったく……無防備な奴だな」



 溜め息をひとつつくと、土方さんも眠りについた。











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