非現実的な日常
目を覚ますと、傍らには土方さんの姿があった。
「目ぇ……覚めたか?」
土方さんは苦笑いすると、私の前髪にふわりと触れる。
「念の為、山崎を張り付けて居たが……まさかこんな事になるとはな」
「…………」
「お前には嫌なもん……見せちまったな。女には……きついモンだったろうな。お前は……新選組が嫌になったか?」
土方さんは寂しそうな顔で尋ねる。
私は咄嗟に首を横に振った。
「あ、あの……総司さん……は?」
「総司は無事だよ。あいつは殺しても死なねぇさ。今頃は……山崎や隊士たちと後始末してる事だろうよ」
「そっか……なら、良かった……です」
「今夜は……飯なんか食えねぇだろ?」
当然とも言える問いに、私はコクりと頷く。
先程の光景を思い出すと、胃の辺りから込み上げるものがある。
「なら……今日はこのままゆっくり休め」
そう言うと、土方さんは立ち上がった。
「い……行かないで!」
私は咄嗟に土方さんの着物の裾を掴む。
「あ……ごめん……なさい」
自分から引き留めておきながら、土方さんが振り返ったと同時にその手をひっこめてしまった。
「まだ何かあるのか?」
「えっと……」
「何だ? 遠慮なんざしてねぇで言ってみろ」
「……今日は、今だけは此処に居て……くれませんか? あの……えっと……怖いんです」
私は、土方さんにすがる様に頼む。
土方さんは、そんな私を見て溜め息を一つ付くと、その場に腰をおろした。
「副長さんは色々と忙しいんだがなぁ」
「ご………ごめんなさい」
布団を口元まで被り謝る。
「……冗談だ」
土方さんは小さく笑った。
「人を初めて斬った時、人が斬られるのを初めて見た時……眠れなくなるのは当然だ。まして、お前は女なんだから……な」
そう言うと、土方さんは畳に横になる。
「それに……お前は俺の小姓だろ? まぁ、たまには面倒見てやるさ」
土方さんは手をヒラヒラとさせながら、クスリと笑った。
この人は……なんて面倒見の良い人なんだろう。
なんだかんだと言っても、困っている人を放ってはおけないタイプの人間に違いない。
きっと。
今の土方さんが本来の土方さんなのだろう。
何となくだが……そう感じた。
その後、土方さんは私に色々な話をしてくれた。
子供の頃の話や、新選組の話。
私が此処に来る前のみんなの話。
とにかく、色々と聞かせてくれた。
私が嫌な事を思い出さないように……
「寝た……か?」
土方さんは、私が寝たのを確認すると立ち上がる。
大きく伸びをし、私の部屋を出た。
部屋の前には山崎さんが立っていた。
「……待たせたな」
「いえ……待機も隊務の一貫ですから」
「で、後始末は済んだのか?」
「はい。不逞浪士は長州の者で間違いありません……以前、沖田さんに仲間を斬られた事に対する敵討ちの様でした」
「……そうか」
土方さんは小さく呟いた。
「おい……山崎。お前が付いていながら、どうしてこうなった? 桜に見られる前に……総司からアイツだけ引き離すとか、気の利いた事はできなかったのか?」
「……申し訳ありません」
山崎さんは深々と頭を下げた。
「まぁ……なっちまったモンは仕方がねぇ。で? 総司はどうしてる?」
「人を斬り伏せた姿を彼女に見られてしまった事に、かなり心を砕いているようで……見兼ねた原田さんや永倉さん達が、なかば無理矢理にですが……島原に連れて行った様です」
「そうか……なら良い。他に何かあるか?」
「報告は以上です」
「分かった。お前もご苦労だったな……下がって良い」
「失礼します」
山崎さんが下がると、待ち構えていたかのように、山南さんが土方さんに声を掛ける。
「土方君も一杯いかがですか? 島原も良いですが……月見酒も中々風情がありますよ?」
「……頂こうか」
二人は縁側に腰を降ろすと、酒を酌み交わした。
程よく酔いが回って来た頃、山南さんが尋ねる。
「土方君は……やけに、彼女に御執心のようですね?」
「……そりゃあ、どういう意味だ?」
山南さんの言葉に土方さんは、眉間にシワを寄せる。
「どういう意味も何も……そのままの意味ですよ?」
山南さんは、クスリと笑う。
「……フンッ、山南さんは相変わらず……いけすかねぇなぁ」
「フフッ……それは、私への褒め言葉として受け取っておきますよ」
今宵は美しい満月だ。
「こんなのも……たまには悪くねぇなぁ」
「おや、感慨に耽るなど土方君らしくないですねぇ?」
「まぁ……隣に居るのが野郎ってのが、酷く頂けねぇがな」
「それは、私も同感です」
土方さんと山南さんは顔を見合わせて笑う。
「なぁ……山南さん。アイツは……立ち直れると思うか?」
「沖田君の事ですか? それとも桜さんの事ですか?」
「どっちも……だよ」
「沖田君は……彼女が立ち直りさえすれば大丈夫でしょう」
「そうだな」
「……ただ。彼女は何とも言えませんね……」
山南さんは続ける。
「初めて人を斬った夜も、初めて人が斬られたのを見た夜も……誰もが眠れぬ物です。まして、彼女は平和な世で育った娘です。相当……心の負担になった事でしょう」
「そう……だな」
自分と全く同じことを考える山南さんに少し驚きつつも、土方さんは杯を一気に飲み干した。
その時
カタンッと襖が開いた。
「お前……目ぇ覚めたのか?」
「……夢を……見ちゃうんです」
私は、涙をこらえ俯く。
「お前も……呑むか?」
土方さんは表情を変えずに、私に杯を差し出す。
私はコクりと頷くと、土方さんと山南さんの間に腰掛けた。
「酒……弱ぇくせに」
土方さんはクスリと笑った。
「やはり、女性が居る方が満月がより美しく思えますね。男同士だとむさ苦しくて敵いませんからね」
山南さんの言葉に、私はクスクスと笑う。
肌寒い夜風が心地好い。
受け取った杯を一気に飲み干したせいか、急に酔いが回って来てしまった様で、自然と隣に居た土方さんにもたれ掛かった。
「勢いよく呑むクセに、本当に弱ぇなぁ……」
「さて……と。私もだいぶ酔いが回ってきたようです。今夜はそろそろ、お開きにしましょうか」
山南さんはそう言うと、ゆっくりと立ち上がった。
「土方君、彼女を頼みましたよ?」
土方さんに一言だけ告げると、山南さんは自室へと帰って行った。
土方さんは、ウトウトとしている私を容易に抱え上げ、部屋に運ぶ。
私は布団に戻された震動で、うっすら目を開けた。
「此処に居てやるから…ゆっくり休め」
土方さんはそう言うと、私の隣に座る。
「手……繋いでも良いですか?」
私の言葉に、土方さんは無言で手を差し出す。
「何度寝付いても……夢を見るんです。同じ……夢を」
「どんな夢だ?」
繋ぐ手に、自然と力がこめられる。
「斬られた人達が……私を追いかけて来るんです。医者の癖に俺たちを見捨てるのか? って……凄い形相で。私……そもそも医者なんかじゃないのに……ね」
私はたまらず、ぽろぽろと涙を流す。
「暗い闇の底に……引きずり込まれてしまいそうで…………怖いんです」
土方さんは頭を掻きながら、しばらくの間何かを考えていた。
「……ちょっと待ってろ」
そう言うと、私の制止の声も聞かずに自室に戻っていってしまった。
島原に行った皆は近藤さんも含め、明日の昼餉過ぎまで戻らないだろう。
幹部で残って居るのは土方さんと山南さんだけだ。
次に現れた土方さんは、両手に布団を抱えていた。
「こんなトコ、総司に見られたら……今度こそ斬られるかもしれねぇなぁ」
小さく呟くと、クスリと笑う。
「土……方サン?」
「これなら夜中に目が覚めても怖くねぇだろ? いくら何でも、畳に横になると痛ぇからなぁ」
土方さんは私の表情など気にも留めず、横に布団を敷き始める。
「でもっ! 誰かに見られたら……また、誤解されちゃいますよ!」
「心配すんな……総司を含め、幹部連中はみんな島原だよ。どうせ、昼過ぎまで戻って来やしねぇから安心しろ! 残ってんのは、島原が苦手な山南さんと平隊士だけだ」
土方さんは布団を敷き終えると横になり、手を差し出した。
「みんな、島原が大好きですよねぇ。いつも、島原通いしてるもん。きっと、土方さんも行きたかったですよね……なのに私のせいで……ごめんなさい」
私は、申し訳なさそうに謝る。
「島原なんざ、別に行きたかねぇよ。化粧臭ぇ遊女どもが何人も寄って来やがるから、落ち着いて酒も飲めねぇし……面倒なだけだ」
「さっすが副長さん……人気者ですねぇ」
私は差し出された手を取ると、土方さんをからかう様に言った。
わざと明るく振る舞うが
何故か、チクリと胸が痛む。
みんなが一人の遊女に夢中になって吉原に通いつめるように、土方さんにも……そんな女性が居るのかな。
天井を見つめ、そんなくだらない事を考える。
「うるせぇ、さっさと寝ろ!」
「はぁい」
隣に人が居る安心感からだろうか、すぐに睡魔に襲われた。
「ったく、やっと寝やがったか……」
土方さんはそう呟くと、私の頭をそっと撫でた。
「まったく……無防備な奴だな」
溜め息をひとつつくと、土方さんも眠りについた。




