歪んだ歴史
下に降りて行くと、数人の男が何やらお登勢サンと揉めていた。
「おかみサン……どないしはりましたの?」
「おりょうチャン……何やこの方らぁが、土佐の浪人を出せぇ言いはりましてなぁ」
「浪人どすか?」
「此処にはそないな客は居てはりません言うたのに……納得してもらえへんのや。此処はええから、二人は二階へお行きやす」
お登勢サンの言葉に、私とおりょうサンは二階へと上がって行った。
どういう事!?
あれは、どう見ても幕府の捕方だ。
寺田屋事件は、明後日に起こるはずだ。
何故、今……それが起きているのだろう?
私は混乱しきっていた。
おりょうサンを……とにかく、龍馬サンの元へ向かわせなければ……
この現状では、龍馬サンが居ない事が不幸中の幸いだ。
それに、この宿に居たところで、捕方の方も女には用は無いはずだ。
「おりょうサンは、捕方が帰ったら……すぐに小松邸に行ってくださいね?」
「分かってはります」
私の言葉に、おりょうサンは小さく答えた。
そうこうしている内に階段を駆け上がる足音が聞こえてくる。
案ずることは無い。
きっと私たちなどには目もくれず、彼らは通り過ぎて行くはずだ。
捕方達は一室一室確認している様子だった。
私たちの居る部屋の襖も勢いよく開いた。
「何事ですか?」
私は堂々と尋ねた。
「土佐の脱藩浪士がこの宿に居ると聞いた。隠し立てすると容赦は無いぞ」
男たちは脅かすように言った。
「ご覧のとおり、この部屋には男など居ないではありませんか! 分かったら速やかに出て行ってください」
私は精一杯の虚勢を張る。
「ふむ……騒がせてすまなかったな。どうやらこの部屋で最後の様だ。我々は失礼しよう」
一通り見渡すと、男たちは背を向けた。
「土佐の脱藩浪士には、美しい恋人が居ると聞き及んでいます。それは……どちらでしょうかねぇ?」
男たちが襖を開くと同時に、一人の男が部屋に入って来た。
その男に対して、他の男たちは道を開け頭を下げる。
きっとこの中でも一番偉い人物なのだろう。
同心たちとは身なりが異なる。
よく分からないが、役人か何かだろうか?
「確かに坂本は居ないようですね。ですが……恋人でしたら、居場所を知っているかもしれませんよね? お話を伺いたいので、私と共に来ては頂けませんか? 何なら……二人同時でも構いませんよ」
おりょうサンは隣で俯いていた。
それは、今にも自分が行くと言い出しかねない表情だった。
絶対絶命……
この危機を乗り越えるにはどうしたら良いのだろうか……
「おりょうサン……私が言った事、覚えていますね?」
私はこっそり、耳打ちする。
「あんさん……何をしはるつもりや」
おりょうサンは震える手で、私の袖を掴む。
「私は……大丈夫ですから」
おりょうサンに笑顔を向けると、私は一歩前に出た。
「おやおや、貴方がそうでしたか……これは意外ですねぇ」
役人は品定めをするような目つきで、私を見た。
「土佐の浪人などは知りません! 彼女も同様です。彼女は私の友人、その様な者とは関わりはありませんよ」
私は役人を見据えて言う。
「そんな話は通用しませんよ。京の者が浪士を隠し立てするのは、世の習い。貴女もその一人でしょう? さ、何をしているのです。二人とも連れて行きなさい!」
役人は振り返り、皆に命じた。
「無礼は許しません!」
私の声に、男たちの動きが止まる。
この場を乗り切るには……
おりょうサンを救うには……
もう、これしかない。
「京都守護職、会津藩松平肥後守容保中将御預……」
私は精一杯声を張り上げた。
「新選組……蓮見桜! この私が、土佐の浪士などを匿うはずが無い!」
その言葉に、ざわめき立つ。
新選組……
この名を再び口に出す日が来る事になろうとは。
新選組の名を使い、この場をやり過ごせば……きっと大丈夫。
彼らが立ち去った後は、おりょうサンを小松邸へ向かわせ、私は長州へ戻るんだ。
ここですべき事は済んでいる。
「分かったなら、速やかに立ち去りなさい!」
私は、更に力強く言った。
「新選組か……こりゃ情報も偽物だったな」
「奉行所に戻るとするか……」
男たちは口々にそう言うと、部屋を出ようとする。
これで……一件落着だ。
私は、ホッと胸をなで下ろした。
「お待ちなさい!」
一番偉いと思われる男は、帰ろうとする部下たちを制止する。
「新選組……でしたか。いやねぇ、かねてから新選組には女性の幹部が居ると伺っていたのですよ。そうですか……貴女がそうでしたか」
「そうです。医者として新選組では幹部格を賜っています。京を守る新選組が浪人風情と通じるはずがない」
「それはそれは、失礼致しました……」
役人が背を向けた瞬間、全てが終わったと、胸を撫で下ろす。
「なんて……そんな話が信じられると、お思いですか?」
役人は再度振り返ると、私の手首を掴む。
「離し……なさい……」
「その気概……貴女が新選組の名をかたった……坂本の恋人かもしれませんからねぇ。真か否かは、奉行所にて確認させて頂きますよ?」
その冷たい視線に、背筋がゾクリと凍る。
「こっちの女はどうしますか?」
部下の一人は、おりょうサンを指さす。
「放っておきなさい。部屋の隅で震えているような女は、ただの京女でしょう。私は……この気概のある女こそが怪しいと思いますからねぇ」
この状況の中、おりょうサンを救えた事は良かったと思う。
「さ……桜!」
「大丈夫! 私は大丈夫だから……もう、家に……帰って!」
おりょうサンは、私の言いたい事を察してくれたようで、小さく頷いていた。
「自分の心配よりも、友の心配ですか……泣けますねぇ」
役人はわざとらしく言った。
「私を、どうするつもり?」
私は彼をキッと睨む。
「さて……どうしましょうね?」
ニヤニヤと笑みを浮かべるその表情に、無性に腹が立つ。
こうして、私は伏見奉行所へと連行された。
おりょうサンは、無事に小松邸へと行けただろうか?
そして私は、これからどうなってしまうのだろうか……
坂本龍馬の恋人として尋問に掛けられた上に、斬られるのだろうか?
それとも、新選組に戻され切腹させられるのだろうか?
どちらに転んでも、その末路は『死』以外には思い浮かばない。
晋作、ごめんね。
私……長州に戻れそうもないや。
新しい世が来て、迎えに来てくれても……
もう生きてさえ……いないかもしれないね。
私は牢に繋がれたまま、心の中で呟いた。




