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桜前線此処にあり  作者: 祀木 楓
第25章 京 -薩長同盟-
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寺田屋




 慶応2年1月19日



 10日に長州を出た私たちは神戸を経て、この日京へと上った。


 この日の宿は、龍馬サンの願いで寺田屋となった。



「わしらはこの京では様々なモンから命を狙われる身じゃき、それを忘れんよう覚悟を持って生きとおせ」



 京へと入る寸前で、龍馬サンが私にそう忠告していた。


 その際、近江屋でこれから起きるであろう、龍馬サンの暗殺事件の事が、不意に頭をよぎった。


 史実の通りに進めば、今から一年ちょっと後の慶応3年11月15日、龍馬サンと中岡サンは近江屋で暗殺されてしまう。


 龍馬サンを生かすために、この京ですべき事。


 それは、私の中ではもう決まっていた。





「おりょう! まっこと久しいのぉ。元気にしちょったがかえ?」


 龍馬サンがおりょうサンに顔を見せると、おりょうサンは一瞬にして、花のような笑顔になった。


「龍馬……サン……生きてはったんやね!? 長い事待たせるモンやから……うち、もう待ちくたびれはりました」


 涙を流しながら抱擁するおりょうサン達に、私は邪魔をしてはいけないと悟る。



「私は少し出掛けてきます。お二人には後で伝えて下さい。多分、今夜中には戻れると思いますが……」



 隣に居た三吉サンにそう告げると、私はこっそりと寺田屋を出た。




 私がこれから向かう場所。



 それは……



 そこまでの道中、私は幾度となく新選組の隊士を見掛けた。


 彼らはきっと巡察中なのだろう。


 それを見掛ける度に身を隠す。


 なんだか、私までお尋ね者の気分だ。


 お蔭で、目的の場所に着くまでに、かなりの時間を要してしまった。


 日は既に傾きかけている。



 ウィリス邸



 それが、私の目的地だった。


「アーネストさん……いらっしゃいますか?」


 玄関先で声を掛ける。


 しばらくすると、足音と共に扉が開いた。



「あ……貴女は……」



 アーネストさんは、私の顔を見るなり抱きつく。


「アーネスト……さん!?」


「生きて……生きて居たのですね!?」


 そう呟いたアーネストさんは、私からそっと離れると、屋内へと招き入れた。





「どうぞ」


 懐かしい香りがする。


 桜の香りのする紅茶だ。


 たった半年の事だったのに、もう何年も経ってしまったかの様に錯覚する。



「今まで……何処に居たのですか? 私もウィリアムも貴女を探していました。新選組には私たちのところに行くと言い残して去って行ったそうですね? あの後すぐに新選組の者たちが、やって来て大変でしたよ」


 アーネストさんは苦笑いで言った。


「ご迷惑をお掛けしてしまったようで、すみませんでした」


「それで……貴女は今まで何処に居たのです?」


「新選組を追い出された後、私は長崎へと行きました。その後はしばらく萩にて身を寄せていました」


「そうですか……。数カ月の間、新選組は貴女を探していました。今でもきっと探している者も居るでしょう。新選組には行きましたか?」


 アーネストさんは心配そうに尋ねた。


「いえ……新選組には戻るつもりはありません。今更……戻れませんから」


「でしたら、私たちと共に暮らすのはいかがですか? ウィリアムもきっと喜びます」


「折角ですが……私にはやるべき事がありますので。ごめんなさい」


「やるべき事?」


 そうアーネストさんが呟いた時、ウィリアムさんが帰宅する。



「今戻ったよ、アーネスト。紅茶の香りがするが……来客かね?」



 ウィリアムさんは、部屋に入ってくるなり動きが止まる。



「来客ですよ。待望の……ね?」


 アーネストさんの言葉と同時に、私はウィリアムさんに会釈した。


「サクラさん!? どうして貴女がここに?」


「ウィリアムさん、お久しぶりです。たくさんのご迷惑をお掛けしてしまい申し訳ありませんでした」


「そんな事は良いのだよ。なにより、貴女が無事で本当によかった」


 アーネストさんはキッチンへ行くと、ウィリアムさんの分の紅茶も用意した。


 その間に、私はウィリアムさんに今まで何処でどう過ごしていたかを簡単に説明する。



「さて……今までの事情はわかった。しかし何故ここに来たのかね? 何かあるなら話してみなさい」



 ウィリアムさんは、静かに尋ねた。


「今日はお願いがあって、此処に参りました」


「お願い?」


 アーネストさんが首をかしげる。


「今から1年後の慶応3年11月15日……その日の寸前に、とある人を海外へ連れて行きたいのです」


「何だって!? 外国への渡航はこの国では禁止されていると聞いているが……どうしてまた、そんな事を」


「ある人物の命を……救いたいからです。これは、不可能な事ですか? 長崎のグラバーさんは、長州や薩摩の者を英国留学させたと聞きましたが……」



 二人はしばらく考え込んでいた。



「それは……イノウエやイトウの事を言っているのですか?」


 アーネストさんは私に尋ねた。


「もしかして……お二人をご存知なのですか!?」


「知っているも何も……こういう間柄ですよ」


 棚から取り出した物は、手紙のようだった。


 そこに書かれていた名前に、私は驚く。


 伊藤サンと井上サン……



「文通……していたのですね?」


「そうです。この国の情勢を知るには、様々な人と関わらなければいけませんからね。新選組もその一つです。こう見えて私は、長州の戦争の際には……四国艦隊総司令官のキューパー提督付きの通訳として講和交渉の場に居たのですよ」


「それなら……晋作や桂サンも知っているのですか?」


「勿論!」



 アーネストさんが長州の皆と交流があったとは知らなかった。


 何だか急に親近感が湧く。



「それにしても……貴女がグラバーと会ったとはね。正直、意外です」


「そういえば……グラバーさんからは、この小さな銃を頂きました。護身用に……と」


「へぇ、あの男がねぇ……貴女方は親しかったのですか?」


「いえ……グラバーさんと会ったのは一度きりですよ」


「それは驚きです! お金にうるさいあの商人が、ただで商品である銃を渡すとは……貴女は相当気に入られたのでしょうね? 彼が一介の娘に一目惚れするとは……死神のクセに、恋焦がれる心は人並み……という事でしょうかねぇ」


 アーネストさんの棘のある言い方が少し気になった。


「あの……グラバーさんがお嫌いですか?」


「ええ、大嫌いですよ! あの死神は、美しい日本を戦火に巻き込もうとしています。商人としては優れていても、人の心は持ち合わせていない最低の人間です。これだからスコットランド人は……」


 何だかよくは分からないが、口ぶりから察するに、アーネストさんはグラバーさんを相当嫌っているようだ。


「スコットランドも良い所だよ、アーネスト。私は、スコットランドのエディンバラ大学で医学を学んだからねぇ」


 ウィリアムさんは穏やかな表情で言った。



「そういえば、話が逸れてしまいましたね? 先程のお願いですが……私たちが何とかしましょう」


「私たちって……そこには私も入っているのかね? アーネスト……」


「当然ですよ! グラバーにできて、私には出来ないと思われたくはありませんからね! イングランドの者としての意地ですよ」


「君はロンドン生まれとはいえ……お父上はヴィスマールがルーツだったではないか?」


「そういう細かい事は良いのですよ。私は英国生まれの英国育ちですからね」


 ウィリアムさんの苦笑いとは対照的に、アーネストさんは清々しいほどの表情を浮かべていた。




「この件に関しては、そのように手配できるよう進めますので……何かありましたらすぐに報告しますよ」


「ありがとうございます」


 私は、深々と頭を下げた。


「それともう一つ……」


「何でしょう?」


「私が京に居る事は、新選組には話さないで下さい。お願いします!」


 二人は不思議そうな顔を浮かべる。


「新選組も……ヒジカタも、貴女を探していましたよ? どうして、また……」


 ウィリアムさんは首をかしげる。


「今はもう……新選組ではありません。共に行動する者も、土佐や長州の者……いわば新選組の敵です。ですから、あの屯所には私の帰る場所など無いのです。どうか……お願いします」


「わかりました……ですが、条件が一つあります」


「条件?」


 アーネストさんは微笑む。


「此処に……紅茶を飲みにいらして下さい。紅茶の味の分からないウィリアムでは、私も退屈ですから」


「……はい!」


 あの日と同じ言葉だ。


 なんだか懐かしい。


 新選組を離れた今でも、こうして今まで通りに接してくれる人が居る。


 それだけで、何だか嬉しかった。






 次にすべき事は……



 おりょうサンと話をする事だ。



 龍馬サンには悪いが、今はまだ本人にこの計画を知られる訳には行かない。



 自分の運命を潔く受け止めてしまいそうなあの人には、きっと……断られてしまうような気がしたから。



 だから、私は周りから攻める。



 それは勝手な事かもしれないが……



 彼が亡くなれば、涙を流す人は大勢居るだろう。



 そんな人たちに……特におりょうサンに、そんな想いはさせたくはない。



 龍馬サンとおりょうサンの再会した時の姿を見て、その思いはより一層強くなっていた。





 

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