葛藤から決断へ
「先程の坂本の話……お前はどう思う?」
この沈黙を先に破ったのは、晋作だった。
「どう……って言われても……」
私はただただ俯く。
「京に、行きたくなったか?」
晋作は、単刀直入に尋ねた。
「京に行った所で、今更どうなるの? 龍馬サンの考えは真実かもしれないし、間違えかもしれない。確実でないのに、私は屯所へは戻れないよ」
龍馬サンの考えが本当であるならば、トシは心配しているだろう。
でも……
もしも、その情報が間違いだったとしたら?
その、もしもが私には怖いのだ。
こんな考えは、ズルイだろうか?
「そりゃあ……そうだな」
晋作は溜息をつく。
「だが……京に上って確かめるのも一つの手だ」
「確かめる?」
「坂本の考えが誤っていたと分かったその時は、また此処に戻って来りゃあ良い」
「間違いでなかったら?」
「その時は……俺ぁまた、お前を失うだけ……さな」
寂しそうに笑う晋作の姿に、私は心が痛んだ。
「そんなの……駄目だよ」
こんな表情を見せる晋作を置いて行く事などできやしない。
恋心ではないが……何故だか、そう思えて仕方が無かった。
「同情なんざ、要らねぇさ」
「……晋作?」
「お前が居なくなったところで生憎、俺にはすべき事がまだ多く残っている。今後は特に、居なくなったお前を想う暇もあるまいよ」
口ではそんな事を言いながらも、辛そうな表情は変わってはいない。
きっと、これが晋作なりの優しさなのだろう。
だからこそ、放っておけないという気持ちが芽生えてしまう。
頼る時だけ頼っておいて、離れる時は簡単に離れていく。
そんな酷い事はできはしない。
「私……此処に残るよ。龍馬サンとは一緒には行かない」
私は、着物をギュッと握りしめた。
「桜……お前……」
「確かめる必要なんて無い。私は捨てられた。もう……それで良いの」
トシに会いたい。
そんな気持ちを必死に抑え込む。
何故、龍馬サンは今更こんな話をしたのだろうか?
私の傷を抉るような酷い事を……
本当に龍馬サンは酷い人だ。
そう思い、私は唇をかみしめる。
「それじゃぁお前はいつまで経っても前には進めはしまい。坂本はお前を心配して、わざと言ったのだろうよ? お前を……本当の意味で、前に進ませたかったのさ。まぁ、アイツらしいお節介さな」
晋作の言葉が胸に突き刺さる。
「じゃあ……私に、どうしろと言うのよ」
私は、声を絞り出す様に言った。
「京へ行け」
「だから、京になんて……」
「壬生狼の事を確かめる為でなくても良い。坂本を手伝う為でも良い。理由などは何でも良い! とにかく……京へ行け」
「……どうして、そんな事を言うのよ」
納得が行かない私は、晋作をキッと睨む。
「それが、お前の為だからさな」
「私の……為?」
「そして、俺の為でもある」
「何でそれが、晋作の為になるの?」
晋作の考えている事は、本当に訳が分からない。
あんなに悲しそうな顔をしていたクセに……どうして私を京に行かせようとするのだろう?
それは優しさを通り越して、お節介だ。
「何度も言うが、京に行ってみて……やはり長州が良いと感じた時は、すぐに帰ってくりゃあ良い」
「そんな理由じゃ、どうして晋作の為になるのか解らないよ」
「そんな事もねぇさ」
晋作は小さく笑う。
「今のまんま此処に居続けたところで、お前は俺なんざ見やしねぇからな。お前が京で気持ちを整理してくれねぇと……俺ぁ本当に爺さんになるまで待つ破目になりそうで敵わねぇ」
「それが晋作のため……という事?」
「そうさな。それが俺の為だ」
「でも……私が、戻らなかった時は?」
「そん時は……」
晋作はいつも通りの不敵な笑みを浮かべる。
「お前を奪いにでも行こうかねぇ」
「お尋ね者のクセに何言ってんのよ!」
自信満々に言い放つ晋作の姿に、私は思わず噴き出した。
「そりゃあ、まぁ冗談だが……」
晋作は不意に真剣な表情に戻る。
「新しい世が訪れたら……そん時は、お前を迎えに行く」
ハッキリとした声で、晋作は私に告げる。
新しい世が訪れるという事は、新選組は無くなりトシも……亡くなっているという事。
晋作はそれを分かっていて言っているのだろう。
「うん……待ってる」
私は小さく答えた。
何てズルイのだろう。
自分が一番傷ついているような顔をして、自分が一番他人を傷つけている。
どちらに転んでも、戻るところがある状況を……無意識に作っている。
結局、こうやって生きている。
そんな自分が浅ましいと思った。
だからこそ、異なる時代でも今の今まで、生きて来られたのかもしれないが……
翌日
朝早くから、私は所サンのお墓参りをした。
最後になるかもしれない、お墓参りだ。
墓標を前に、私は所サンに何度も何度も謝った。
医院を中途半端に投げ出してしまった事。
それから、晋作を傷つけてしまった事。
それと同時に、晋作や長州の皆の無事も願う。
昼餉過ぎ
龍馬サンが医院にやって来た。
昨日言っていた通り、私の決断を聞きに来たのだろう。
「桜サンの気持ちは決まったがかえ?」
龍馬サンは早速私に尋ねた。
「京に……行きます! 私にはやりたい事があるから。だから京に行きます」
私は龍馬サンに、はっきりと言った。
「やりたい事? 一体、何じゃ?」
不思議そうに尋ねる龍馬サンに、私は昨夜一晩考えた事を話して聞かせた。
それは、晋作にもまだ話していない事だった。
「私は、龍馬サンの手助けをしに……龍馬サンの命を救うために京に行くのです」
昨日晋作は言っていた。
京に行く理由は何でも良いと……
ならば、私は龍馬サンの命を守る為に京へ行こう。
今更、どんな顔をして屯所に戻れば良いのか私には分からないし、生憎そんな勇気も無い。
だから、私は屯所には戻らない。
龍馬サンの話も、よくよく考えれば出来過ぎている。
京に居る間は、自分の気持ちと向き合い、過去を清算しよう。
荒治療かもしれないが……わざと想い出の深い京に滞在する事で、気持ちを整理するのだ。
近江屋での悲劇を防ぐ事ができたならば……
その時は、長州に戻ろう。
私は、そう決断した。
「そうか……お前はそう決めたのか。ならば、気を付けて行ってこい」
晋作は静かに言った。
「高杉。おまんは、これでええがかえ? おまんが寂しくて泣きゃあせんか……わしゃ心配じゃき」
「お……お前がコイツを京に連れて行くと言い出したんだろうが! それに……これはコイツが決めた事だ。俺には止める事はできまいよ」
「おまんは……まっこと良い男じゃぁ!」
龍馬サンは晋作に抱きつく。
「は……は、早く離れろ!! 気色悪ぃじゃねぇか!」
「異国じゃ、抱擁は挨拶じゃき」
「うるせぇ! 此処は日の本だ! いい加減にしねぇと、その頭ぁぶち抜くぞ?」
晋作は懐から銃を取り出した。
「なんじゃあ……晋作は、まっこと冗談が通じん男じゃのぉ」
龍馬サンは口を尖らせながら、晋作から離れる。
「……お前の冗談は、冗談に聞こえねぇんだよ」
仲の良さそうな二人の姿に、私はクスクスと笑った。
「これは……お前にやる」
晋作は手にしていた銃を、龍馬サンに差し出した。
「けんど、これは高杉の大切な……」
龍馬サンは、突然の事にうろたえる。
「道中、コイツに危険が無いよう……これで守ってやってくれ。坂本、これが俺からの頼みだ……」
晋作は龍馬サンに押し付けるようにして銃を握らせた。
「お前も……気を付けて行って来いよ? いつか会う日まで……絶対に、死ぬんじゃねぇぞ」
私は晋作に駆け寄る。
「ありが……とう。私、行ってくるね! 京に行って、自分の気持ちに整理を付けてくるから……だから……」
待っていて。
最後にそう言おうとしたが、その言葉は敢えて言わなかった。
事が済めば長州に戻ろうと考えてはいるが、それは晋作たちには伝えては居ない。
この先に何が起こるかは分からない。
私がずっと生きて居られるという保障も無いのだ。
待っていてなどという言葉で、晋作を縛ってはいけない……
そう思い、最後の言葉はぐっと飲み込んだ。
晋作との最後の夕餉を済ませた私と龍馬サンは、その後、長府藩士である三吉慎蔵サンを伴い京へ向け出立した。
慶応2年、1月10日の事だった。




