迷い
龍馬サンと会食をすると言っていた晋作が、何やら不機嫌そうな表情で医院に戻って来る。
出掛けてからほとんど時間は経ってはおらず、随分早かった様に思えた。
龍馬サンと喧嘩でもしたのだろうか?
私は、少し心配になった。
薩長同盟の締結を控えている、大切な時期なのに……と。
「会食のワリには、随分早かったのね?」
私は晋作に声を掛ける。
「お前の顔が早く見たくてなぁ」
「……嘘ばっかり。どうせ龍馬サンと喧嘩でもしたんでしょう?」
「嘘じゃねぇさ……」
何だか淋しそうに呟く晋作の姿に、違和感を感じた。
「こっちに来い」
晋作は私を呼ぶ。
「なぁに? 私、まだやる事があるんだけど……」
「そんなモンは後にまわせ」
どこか苦しそうな表情を浮かべる晋作。
やはり、いつもと様子が違う。
本当に、龍馬サンと何かあったのだろうか?
私は仕事の手を止めると、晋作の元へと近づいた。
「うわっ! な……何!?」
晋作の目の前に行くなり、手首を掴まれ強く引き寄せられる。
突然の事によろけた私は、気付けば晋作の懐に居た。
「痛たた……一体、何!?」
私は顔を上げ、晋作の顔を見る。
「晋作……何て顔……してるの?」
今にも泣きだしそうな表情を浮かべる晋作に、私は困惑した。
初めて見るこんな表情。
余程の何かがあったのだろうか?
「お前の幸せは……何だ?」
突然、そんな質問をしてくるなんて……一体、どうしたのだろう?
「そんなの……急に聞かれたって、わからないよ。でも、今だってきっと幸せなんだと思うけど?」
顔を見上げながらそう答えた瞬間、強く抱きしめられる。
「ねぇ、本当にどうしちゃったの!? こんな事をするなんて……今日の晋作は、変だよ!」
懐から抜け出そうとするも、力の強さには敵わず、思うように身動きが取れない。
「俺では駄目……なのか?」
呟くように囁かれたその言葉に、耳を疑う。
「此処に居れば……新しい世をお前に見せてやる事も出来る。壬生狼などと共に無駄死にする事もねぇ……だが、それでもお前は……壬生狼が良いと言うのか?」
壬生狼という言葉に私の心が反応する。
新選組を離れて早半年、長州に来てからは4カ月もの月日が経っていた。
忘れようとしても出来なかった、新選組での多くの想い出。
時が解決してくれるという晋作の言葉を信じて、ここでは穏やかな毎日を過ごしていた。
最近では、所サンの遺した医院にも通ってくる患者が増え、ここに入り浸るように暮らしている晋作や他の皆とも楽しく暮らしてきた。
それが全て、晋作のお蔭だという事も解っている。
しかし、何故今になって晋作はそんな事を言い出したのだろう?
「龍馬サンと何かあったの?」
私は静かに尋ねた。
だが、いくら待てども晋作の答えは返ってはこない。
ただ悪戯に時間と、晋作の腕の力の強さだけが増すばかりだ。
苦しい……とも言えず、私は黙ったまま顔を歪める。
私の表情など見えはしない晋作は、そんな事はお構いなしだ。
「お前…………坂本と、京へ行け」
そんな中、晋作は震える声で静かに告げた。
「ど……どうして私が京へ?」
突拍子の無いその言葉に戸惑う。
「坂本が薩摩と長州の密約を取り次ぐ為に、京へと向かう。お前は……それに付いて行き、坂本を手伝え」
「だから……どうして、私が!?」
突如として与えられた、訳の分からない任務。
何故、私が薩長同盟の加担をしなければならないのだろうか?
そもそも史実では、龍馬サンや中岡サンらの手だけで、十分に果たせている仕事だ。
私が手伝う必要は全く無い。
「私……京には行きたくない! だから……此処に来たのに……」
晋作の着物をギュッと握り、私は言葉を濁らせる。
「いい加減……けじめを付けて来いや」
「……けじめ?」
「坂本が……言っていた。お前は無理をしていると」
「私、無理なんて!」
晋作は私の言葉を遮る。
「俺が気付かないとでも思っているのか? 俺ぁ……そこまで鈍くはねぇと、自負しているんだがなぁ」
自嘲気味に言う晋作に、私は何も答えられなかった。
「壬生狼の鬼と……話もせずに出て来たんだろう?」
「そう……だけど。でも、向こうだって話す必要も無いから、ああやって自分の居ない時に私を追い出したんでしょう? だったら……今更話す事なんて無い」
「そう思っているのが……お前だけだとしたら?」
晋作は溜息を一つつくと、言葉を紡ぐ。
「あの男は、そんな事をするような腑抜けた男なのか?」
「実際にそうしたんだから……腑抜けなんでしょ」
「質問を変える。もしも……あの男が知らない内に……お前が追い出されていたとしたら? お前が居なくなったと知った時、アイツはどんな顔をしたのだろうなぁ?」
「な……にが言いたいの?」
私は表情を引きつらせる。
晋作には私の顔が見えない様な体勢である事が、本当に良かったと自分でも思う程、今の私はきっと酷い顔をしていると思う。
「壬生狼の中で何らかの行き違いがあり……勘違いした奴らが勝手にお前を追い出した、というのはあり得ねぇのか?」
「そ……れは……」
あの日の総司サンの言葉を思い返す。
私が傷付かない為にも屯所を出て行けと言っていた。
総司サンは、トシを説得するとも言っていた。
そして
トシは変わってしまったとも……
「そんなの、有り得ないよ!」
「何故、そう言い切れる?」
「だって……トシは……変わっちゃったって……総司サンが言ってたもの」
私は耐え切れず、ポロポロと涙を流した。
「悪ぃ…………お前の傷を抉る気も、お前を泣かせるつもりも……なかったんだがな」
そのままの体勢で、晋作は私をなだめるかのように、私の頭をふわりと撫でた。
「私……このまま、此処に居たいよ。でも、それは……晋作にとっては、迷惑な事なの?」
「迷惑などではあるまいよ。やっと……俺の手が届く距離に居る。それは願ってもない幸運だ」
「けど、私はまだ…………」
「分かっている。それ以上は言わなくて良い。先はまだ長ぇんだ……俺ぁ気長に待つとしようかねぇ」
腕の力が緩んだのを見計らい、私は顔を上げた。
「その頃には、お婆ちゃんになってるかもよ?」
「お前……そんなに長く、あの腑抜けを想い続けるつもりかよ!?」
「さぁねぇ……。だって、時が解決してくれるんでしょう?」
「確かにそうは言ったが……もう少し早いと……俺が助かる」
困ったような顔でそう言う晋作に、自然と笑みがこぼれた。
もしかしたら……
その時は、意外と早く訪れるのかもしれない。
お婆ちゃんになってしまうよりも、ずっとずっと早く……
何故なら……晋作の香りも温もりも、不思議と心地よく感じている自分が居る事に、ふと気付いたからだった。
その時
突然の来客が現れる。
その存在が、その言葉が……
私の心を更に掻き乱す事になろうとは、この時はまだ思いもしなかった。




